緊急招集
「また、新種か…………」
魔物退治の依頼を終えたラムセスは、噛みしめるようにそう呟いた。
不可解なものに対する疑念を抱え、眉に皺を寄せて思考を巡らせる。
「やっぱり、魔人…………が関係しているんでしょうか、にゃ」
「一件や二件ならともかく、自然災害もなしにこれだけの新しい魔物が出現するなんて、考えられないよ。近隣で行方不明になった人もいないし…………死体の出所が分からないから…………誰かが意図的に産み出したとしか思えない」
先ほど倒した魔物の亡骸を観察しながら、ラムセスはバステトにそう返した。
自領内、それも屋敷からそれなりに近い地域で未確認の魔物が発生したという情報が入ったのは、昨日のこと。
ラムセスが急ぎ駆けつけると、そこには人の顔を貼り付けた立方体の液状生物が大繁殖していた。
ナイル河から村の畑へと水を引く道中に、水路を埋めつくようにして塞ぐ大量の魔物達。
それは見る者に生理的な嫌悪感を覚えさせるほどに、悍ましく醜い景色となって視覚へと暴力的に訴えかける。
ペタン、ペタンと音を立てながら、箱が回転するように辺りを這いずり回るそれを目撃したラムセスは、得意の火の魔術で攻撃を仕掛けた。
苦悶の声とともに蒸発していく魔物たちは、さしたる抵抗もしないままにその命を終える。
箱型を保っていた水分は、その体積の半分ほどを失うとただの液体となって地に吸い込まれていった。
その跡地からは何かが溶ける音と共に煙が立ち上っており、魔物の肉体を構成していた水分が酸に通じるものであった事は、触れるまでもなく自明だ。
近接戦でなければ、さほど脅威ではない存在。
それがなんの前触れもなく出現し、コロニーのようなものを形成して繁殖している事は、あまりにも不可解に過ぎた。
間違いなく、何者かの手が入り込んでいる。
「い、意図的にってことは…………」
「個体数の多い魔物っていうのは、どうしても特定の種族に偏りがちなんだ。大規模な災害かなにかで死なない限り、同じ死因になる事はありえないからね」
だから、とラムセスは続ける。
「震災や、大飢饉、あるいは集団的な感染症もなしに、特別な魔物が大量に産まれることは殆どないんだ。そして、同時に新種が現れる事も珍しい」
なぜならーーーー。
「人の歴史の中で、どれだけの悲劇が繰り返されてきたのか。それは膨大な書物が記録している。その中に前例がない、という事は…………意識して被らないようにした。と、受け取る事ができるんだよね」
「ラムセス様は、全ての魔物を記憶しているんですか?」
「過去の誤ちに習う事は大切だからね。それに、魔物は特殊な生態を築き上げる事が多いから…………それに対処する、という意味でも。僕たち貴族は魔物について学んでいるんだ」
それから周囲に撃ち漏らしがいないかを確認し、魔物の亡骸を処分…………一部標本として入手し、ラムセスはようやく帰還することを決めた。
「バステト、帰りも頼んでいいかな?」
「は、はい! 大丈夫です、にゃ!」
バステトが手首から輪を取り外し、魔術を発動させる。
圧縮されていた分が解放されるように、輪から大量の金属が溢れ出し、地面へと降り注ぎ、形を変える。
全ての工程が終了した時、その場には金属で出来た巨大な虎の像が鎮座していた。
ラムセス達の身長の二倍ほどの大きさがあり、その背には人が腰掛けるための鞍が設置されている。
ラムセスが戦いを乗り越えて魔術の腕を上げたように。
バステトもあの日以降、急激に魔術の実力が向上していた。
戦闘を経験したわけではない。
命の危機に遭遇したわけでもない。
しかし、それでも彼女は一目で分かるほどに出力を大きく伸ばしていた。
まるで、自分の力以外の何かが作用しているかのように。
バステトは身軽な動きでひょいと背に登ると、ラムセスへと手を差し伸ばす。
その手を取り、ラムセスも地面を蹴ってバステトの後ろに乗り込んだ。
「じゃあ、帰ろうか」
「はいです、にゃ」
二人が乗った虎の像が動き出し、その見た目からは考えられないほどの速さで地をかける。
ラムセスは報告するべき内容を頭の中で纏めながら、バステトの腰に両手を回してバランスを取る。
像を操り、前に集中しているバステトの頬は、夕焼けに負けないほどに赤く染まっていた。
その日の夜の事だった。
ラムセスはレムリットに呼び出され、屋敷の執務室を訪れていた。
コン、コンと扉を二回叩き、反応を待つ。
「誰だ」
「父上、僕です」
「……………………入れ」
レムリットの返事がやけに遅かった事に対し、ラムセスは首を傾げながら扉を開いた。
「失礼します」
レムリットはラムセスに視線を合わせると、目で入室を促す。
ラムセスは一つ頷き、部屋に足を踏み入れた。
レムリットが座るソファーの対面に腰を下ろし、両手を膝の上に乗せる。
レムリットから漂う、今まで殆ど感じたことがないほどに真面目な雰囲気に合わせて、ラムセスは思考を平坦にした。
そんなラムセスに対し、レムリットは何かを言おうとしてーーーーそして、口を閉じる。
片手で口元を触り、視線を外して宙を見つめる。
そんなレムリットの様子を見つつ、ラムセスは疑問を抑えながら声をかける。
「父上、今日はいったいどのような要件でしょうか?」
レムリットはラムセスの質問に対し、逆に質問を投げかける。
「ラムセス…………今日の魔物討伐の件、お前はどう思った?」
「…………どう、とは?」
「この頻繁におこる魔物の大量発生、そして次々と発見される新種…………はっきり言おう、何者かの手が入っているのは間違いない」
「はい、それは僕も感じていました」
お互いに瞳を合わせ、意見をすり合わせる。
「そして…………この問題はついに、我々が全霊を尽くして解決せねばならない所までやってきたのだ」
「…………? それは、一体どういう…………」
「これを、見てくれ」
レムリットは懐から一枚の封筒を取り出し、二人の間に配置されている机の上に置いた。
「失礼します」
一言断ってから、ラムセスは封筒に手を伸ばした。
既に封は切られており、蝋に描かれた紋章が剥がれ、開け口を露出している。
その紋章を目にして、ラムセスは一瞬だけ体を強張らせた。
そして慣れた手つきで中から書類を取り出すと、その内容を読み進める。
それは、ラムセスにとっても衝撃の強い内容だった。
驚きを浮かべるラムセスへと、レムリットは静かに語りかける。
「王家からの…………緊急招集だ。各家から魔術師を…………それも、実戦に耐えうる者を最低でも一人は送り出さなければならない」
「…………っ! これは、本当なのですか? だとしたら…………あまりにも」
「間違いない、その内容は本当だよ。裏も取った…………だが、私はどうしても此処を離れるわけにはいかないんだ」
「じゃあ…………話というのは」
「ああ、まだ八つのお前にとっては余りにも酷なことだが…………それでも、一人の魔術師と見込んで頼みがある」
王国の貴族とは、即ち国の戦力であるということ。
人間同士の戦争がないからこそ、普段は領地経営に勤めているが、その本質は兵士であり軍人。
だからこそ、彼らには果たすべき義務と使命が存在している。
レムリットはラムセスに頭を下げ、歪んだ表情を見せないように努めながら口を開いた。
「頼む。私の代わりに「大遠征」に参加し、「大量発生」の現場に向かってほしい」
「大量発生」。
それは国全体を揺るがすほどの脅威になりえる、魔物の大繁殖に対して付けられる非常識別名。
魔術師として力を振るうべく、国が主導して対処しなければならない緊急事態。
「私はいま、イシズの側を離れるわけにはいかないんだ。公私を分けられていないと言われたら、その通りと認めることしか出来ない。しかし、それでも…………どうしても妻の命を見捨てたくない」
「父上…………」
「こんな危険な事を息子に頼むなど、親として間違っているのは分かっている…………だが、先の事件で活躍したお前であるならば、私の代わりとしても申し分ない。きっと、国も民も認めてくれる…………だから、オリシス家当主としてではなく、レムリット個人としてお前に頼みたい。どうか、私の代わりにーーーー」
「父上っ!」
「……………………」
自分の息子を死地に追いやるために、その息子本人に対して頭を下げる。
そこに、どれだけの葛藤が存在した事だろうか。
普段は見せないレムリットの必死な様子が、ラムセスの心に強く衝撃を与えていた。
「父上、顔を上げてください」
「だが…………」
「ーーーー母上の事は、お任せしました」
ラムセスの答えを聞いて、レムリットは瞳を伏せる。
こう言えば、息子が頼みを断れない事をレムリットは理解していた。
理解した上で、こうするしかなかった。
「医療魔術」の使い手として、一人の男として、どうしても助けたい相手がいるから。
彼は、そのために父親としてのプライドを捨て去ったのだ。
「だから…………ホルスの事も、どうかよろしくお願いします」
「…………ああ、分かっている」
レムリットの返事を聞いてから、ラムセスは一度深呼吸をする。
そして、再び口を開く。
「僕が…………父上の代わりに、「大遠征」に向かいます!」
今回のファラオ'sキーワード
「箱人相」
平均して凡そ一片が一メートルの立方体の形をした、全体が強力な酸性の液体で満たされている魔物。
中心に人の悲痛な表情が浮かび上がっており、見る者に嫌悪感を抱かせる。
物理的な衝撃を与えると分裂し、他の生物を取り込む事で体を大きくする。




