プロローグ
「…………けほっ」
「ん? …………なんだ、咳か。風邪でも引いたか?」
「いや、ちょっと喉に痰が絡んだだけだと思う。気にしないで」
「お水、飲みますか?」
「ありがとう、助かるよ」
女性が杖を振るうと、空中に手のひらほどの大きさの水球が発生した。
彼女は背嚢の中からコップを取り出し、その中へと水球を落とす。
ちゃぷん、と小さく水音が鳴った。
「はい、どうぞ」
受け取る際にもう一度礼を告げてから、青年はコップの水を一気に飲み干す。
そして喉の調子を確かめてから、女性にたいして話しかけた。
「本当、水属性は便利だよね」
「私からすれば、風属性の方が羨ましいですよ」
「まぁ、隣の芝は青く見えるから…………」
話しながら足を動かす二人に対し、先頭を進んでいた男が振り返ることなく声をかける。
「そろそろ目的地に到着するぞ。イチャついてないで前を見ろ」
「はーい」
「別にイチャついてないよ?」
男二人に、女一人。
彼らは王国に所属する冒険者だ。
全員が魔術師としての教育を受けており、それゆえに冒険者の中では平均よりも高い実力を持っている。
火魔術師が一人、風魔術師が一人、水魔術師が一人。
役割が明白に分かれている彼らは様々な状況に対応することが出来るため、組合からも他の冒険者達からも信頼されている。
そんな彼らはいま、組合から依頼を受けたことにより、王国領の最西端の村へと向かっていた。
村の近辺には、国の主要都市も重要施設も存在しない。文字通り、辺境そのものだ。
彼らは高く伸びた草木をかき分けて、森の中を進む。
「しかし、未確認の魔物の討伐ねぇ…………辺境の村の周辺でそんなもんが出たんじゃ、村人達も不安で仕方がないだろうな」
「緊急依頼なんて、いつぶりでしょうか…………」
「でも最近多いよな、魔物討伐。食い扶持には困らないが…………正直、先行きが不安だぜ」
「ぶっちゃけ、人員が足りてないよな…………」
依頼のあった村に間も無く到着するからか、気を緩めて会話をする三人。
もちろん、それでも警戒は怠っていない。
冒険者稼業で繋がっている彼らの共通の話題といえば、やはり昨今の冒険者事情に他ならない。
特に、魔物関係に対しては話題が尽きる事はなかった。
「やっぱ、あれだな…………魔人連合って奴が関係してんのかね?」
「断定するほど根拠がある訳じゃないけど、タイミング的にはそうかもしれないね」
「魔人…………一度しか見た事がありませんが、あれは本当に脅威的でした…………」
「S級冒険者が三人も駆り出される事態になったからね…………魔人も魔物と同じでピンキリだとはいえ、知性一つ手に入れただけであんなにも差があるなんて」
「そりゃ、あれだろ。人間だって性格の悪い奴が成功するんだからな…………性根が腐った異形なんて、災害以外の何者でもないだろ」
「そういえば貴族の子供が一人で魔人を倒したって聞いたけど、本当なのかな?」
「わっかんねぇなぁ…………公爵家の長男だって話だから、ありえねぇ訳じゃないのがまた…………貴族ってのは、俺たちなんちゃって魔術師とは別の生き物みたいなもんだしよ」
「オリシス家の長男といえば、神童って噂が流れていましたからね…………」
「あぁ、そういやお前も元貴族か。やっぱりそういうの詳しいのか?」
「貴族といっても、私は子爵家の四女ですから…………流石に同じ貴族扱いはやめてほしいです」
苦笑して手のひらを振る女性を見て、二人の男達は「それもそうか」と反応を返しながら笑い声を上げる。
「あとはヒノさんが気になるかな。前からすごい人だとは思ってたけど、まさか魔人を二体同時に相手取るなんてね」
「『魔剣狂い』かぁ…………羨ましいねぇ。魔剣、俺も一本くらいほしいぜ」
「やめときなよ、どうせヒノさんが『殺してでも奪い取る』って言って襲いかかってくるよ」
「うっわ、なんかすげぇ容易に想像できるわ…………」
「いや、流石にそこまで野蛮じゃないと思いますけど…………」
それほど真面目に話しているわけではないのか、彼らの話題は二転三転と方向を変えながら続く。
「あっ、村が見えましたね」
「やっと着いた…………みたいだね」
目的地を視覚で認識した女性と青年は、安堵のため息を吐き出しながら歩みを速めようとする。
しかし先頭を行く男が後続の二人を手で制した事で、それは未然に防がれた。
「どうかしましたか?」
「静かにっ! …………なんだ? 様子がおかしいぞ」
「…………例の未確認魔物の反応があったのか?」
「ちげぇ…………熱感知の魔術には何も引っかからない」
「じゃあ、どうしたんです?」
「おかしいと思わねぇのか? 村は目の前にあるんだぞ? …………なのに、熱源が一つもないんだ」
「…………っ、それは…………」
男の言葉によって、その場の緊張感が一気に上昇する。
ハッとなって口を押さえた女性に対して、男は続ける。
「杞憂なら、まだいい。もしかしたら集団で避難した可能性もあるからな…………むしろ、そっちの方がありえる話かもしれん。だが…………万が一、という事もある。此処からは慎重にいくぞ」
「分かりました」
「おい、エリック。お前の魔術で村の様子を探ってくれ…………何か、物音はあるか?」
男の指示を受け、エリックと呼ばれた青年は魔術を発動させる。
耳に手を当て、口を開く。
「なにか…………なんだろう、これは…………羽音、かな? あと……笑い声? それに、これは……多分…………咳き込んでいる、んだと思う。少し水っぽかったから、もしかしたら吐いてるのかも」
「なんだ、ハッキリしないな」
「静かだから分かりやすい方なんだけど、音が小さすぎて」
両目を閉じて聴覚に集中していた彼は、少しして目を開くと、怪訝そうな顔をして首を縦に横に振った。
「ダメだ、一箇所しか反応がない」
「なら…………仕方ないな、そこへ向かおう」
「…………大丈夫、なんですか?」
「もしかしたら、一人だけ避難が遅れた可能性もある。魔物の目撃情報がある以上、放置していくわけにもいかないだろう。エリック、案内してくれ」
「…………いいんだね?」
その問いかけの意味を正確に理解して、男は頷いた。
そんな二人の間で女性は戸惑い、何度も視線を彷徨わせる。
男の意見に異論を挟む者はおらず、やがて三人は忍び足で村へと近づく。
そして、それが彼らの最大の誤ちだった。
◆ ◆ ◆
「ワタシが思うに、人々は魔物や魔人に対する認識が甘すぎる節があるのだよ」
「…………ふぅん、例えば?」
「魔物や魔人というのはね…………災害そのものなのだよ。生産性が全くない、生きる者達の足を引っ張る事しか出来ない、最悪で、劣悪で、無価値な存在さ」
「随分な言いようだね? 僕たちは魔人だというのに」
「いやいや、だからこそだよ。自分というモノを正しく理解することは、とてもとても大切なのさ」
「で、人間はどこが甘いって?」
「要するに、危機感が足りてないのだよ。魔人を犬畜生の延長にいると勘違いしてる。魔人は確かに魔物の系譜に位置しているが、その実態はまるで別物さ」
「あぁ…………まぁ、確かにそうかもね。僕たちだって色々考えるし、感情もある…………徒党を組んでもおかしくないのに、それを予見していなかった時点で理解が足りていないのかも」
「そして……人は、潜在的に魔物を恐れている。それは、何故だと思う?」
「さぁ? 理由なんてないんじゃない? だって、殺意を向けてくる相手を恐れるなって方が無理筋でしょ?」
「そうっ! その通りさ!! 恐ろしいという感情に、理由なんていらない!! だって、怖いものは怖いんだからね!!」
「…………で、結局何が言いたいわけ?」
「つまりはね…………人間は魔物を恐れるあまり、理解を深めることを拒絶しているのさ。闇の中を覗き込むような真似は、余りにも愚かしい。そう思っているのだよ」
「はぁ」
「だから彼らは知らないのさ!! 魔人の本当の怖さを!! 正しく相手を見つめることすら出来ない者が、その本質を掴めるはずもない!! 我々はこんなにも悪辣で、こんなにも素晴らしいというのに!! 未知を解き明かそうという発想が、まるで足りてないんだ!!」
「流石、君が言うと説得力が違うよね。ガルリエフ」
「ノン、ノン! ワタシの事は「博士」と呼んでくれたまえよ」
「…………で、ドクター? そろそろ行くのかい?」
「ああ…………ワタシも早く王へと挨拶を済ませておきたいからね。今後の研究にも影響するだろうし、こういうのは最初が肝心なのさ」
「じゃあ、精霊石を渡してーーーー」
「ピュグマリオンくん」
「…………どうしたの?」
「ワタシにはワタシの誇りというものがある。その研究材料は魅力的だが、今回はワタシの手練手管だけでやらせてもらおう」
「まぁ、ドクターがそれでいいなら…………それでいいけどね」
「存分に期待して待っていてくれたまえよ。何せワタシは「魔物博士」!! こういった役目には、一家言あるのだからね」
「期待してるよ、『第二天使』」
「任せてくれたまえ。無知蒙昧な王国へ、このワタシが教育してあげよう…………知恵をつけ、悪意を持った災害が……果たして…………」
「どれだけの被害を産み落とすのかを、ね?」
◆ ◆ ◆
エリックは自らの手の中を、信じられないものを見る目で見つめていた。
黒い血液。
それは、彼自身が口から吐き出したものだった。
驚愕に体を硬ばらせる女性へ、最後の力を振り絞って伝える。
「ミシェル…………逃げ、ろ…………」
彼らを引っ張っていた男は、もういない。
二人を逃がすため、魔物の群勢に向かって一人で立ち向かっていったのだ。
今までの人生のどの一瞬よりも、遥かに強い魔術を巧みに操り、炎を動かしていた。
しかし、そんな彼は二人の目の前でーーーー。
「い、いやああああああああああ!!」
その場に倒れ伏し、薄れゆく意識の中で女性ーーーーミシェルの悲鳴を聴きながら、エリックは祈った。
ミシェルが無事生き残り、村の惨状を他の者へと伝える事を。
そして、一刻も早くこの悪夢のような光景を終わらせてくれる事を。
『きゃっきゃっ、きゃっきゃっ』
笑い声が、その場に鳴り響く。
何処から、聞こえてくるのだろうか。
エリックが最後に見たもの。
それは自分の体の中から溢れ出す、無数の「黒い羽根を持つ小人」だった。
『きゃっきゃっ、きゃっきゃっ』
そして、彼は理解した。
頭の中に響く笑い声、それは口の中を這いずり回る魔物が原因なのだと。
仲間を失い、ミシェルはその場にへたり込む。
呆然とエリックを見つめる彼女の周りには、笑いながら宙を飛ぶ小人だけが存在している。
『きゃっきゃっ、きゃっきゃっ』
『きゃっきゃっ、きゃっきゃっ』
『きゃっきゃっ、きゃっきゃっ』
それは、新たなる悲劇の序章。




