番外編三 「渇望」より、「 」へ
「『渇望の試練』は、終わりを迎えました」
円状に並べられた棺桶。
そのうちの一つに腰掛けながら、白衣の女性は口を開いた。
「自己否定は何も生まず、自ら欲するものを手に入れるための旅路。我らが王は他者の誤ちから学び、正しく求める事の大切さを認識しました」
自分に向けて、あるいはその場の全てに対して語りかけるように、淡々と事実を報告する。
「故に、王は知ることでしょう。人々の欲望に、最果てなど存在しない事を。望みとは、生きるための活力であり…………しかし、過ぎたるものは、その末端から腐り落ちていくという事を。全てを追い求めることは、その全てを失うまでの第一歩である事を。そしてーーーー」
首に掛けた飾りを片手で握りしめ、眼前に持ち上げる。
それはまるで、何かに祈りを捧げているかのようであり。
女性は瞳に強い意志を宿し、彼方を見据えて言葉を連ねる。
「それでも万物を望み、全てを手中に収める事こそ…………「王道」、そのものであるという事を」
棺桶を対角線で結んだ先、部屋の中央に存在する祭壇に向けて、女性の力が注ぎ込まれる。
一つの大きな杯を、八つの小さな杯が囲うように配置されている。
女性に最も近い杯が光り輝き、その中から赤い炎が溢れ出す。
炎の杯と中央の杯を繋ぐように、青白い光が線となって宙を走る。
それを見届けた女性は一つため息を吐き出すと、自らの隣に存在する棺桶へと視線を動かし、再び口を開いた。
「…………何か言いたいことがあるなら、出てきたらどうですか?」
『別に、ボクは君に用なんてないんだけどね』
「それだけ熱心な視線を送っておきながら、何もないということはないでしょう? ハッキリしなさい」
『…………はぁ、じゃあ言わせてもらうけどね』
風などないというのに、その場の空気が乱れ、渦となって形を作る。
それは掴み所の存在しない、特徴一つ言い表す事の出来ない大気の塊となって、女性の視線の先に姿を見せる。
『ボクの手番を奪って王に謁見した気分はどうだい? 自分ばっかりいいカッコを見せて、満足かな? 本来はボクの試練が先だったというのに、順番を変えてまで王に会いたかった? だいたいボクは君の事を認めているわけじゃないんだ。最後まで人として王の側にいながら、彼の苦難に気がつけなかった君のことはね』
「その話はもう終わったはずですが?」
『そうだね、そうなんだよ。ただボクが納得していない…………それだけの、些細な問題さ。でも、一応言っておかないと気が済まないからね…………っていうかさ、王に対して凄い馴れ馴れしくなかった? 案内人としての役割を譲るのは、まぁ許容したさ。でも、これ見よがしに抱きしめたりなんだり…………あざとすぎない? 勇者としての化身の女の子にきっ…………キス、させたりしてさ? おかしくない? 自分だけポイント稼ごうとしてない? ボク達がこうして刻を待っている間に、なんで君だけ良い思いをしようとしてるのさ!!』
「えぇ、それは否定しませんよ? わたしはコレでも「渇望の神」としての役割を与えられた身ですので…………自分の欲求には正直でいようと心掛けていますから」
『は?』
女性と風との間に、火花が散る。
目に見えて不機嫌な風に対して、女性は余裕を持った笑みを絶やさない。
今にも争いが始まりそうな、不穏な雰囲気が空間を包み込む。
『鎮まれ、王の御前だ』
二人のものではない声が、その場の熱を引き裂いた。
女性と風はギョッとした表情を浮かべ、意外なものを見たかのような反応を返しながら視線を移す。
二人のいる場所とは別の棺桶の上に、金属で出来た鰐の像が鎮座していた。
それは台座に対して恐ろしく小さく、手乗りサイズといってもいいだろう。
女性はその像へと向け、声をかける。
「め、珍しいですね…………その、あなたが口を開くなど」
『沈黙は金、じゃなかったのかい?』
鰐の像は生物のように瞳を動かし、女性と風の間で視線を彷徨わせる。
そして、空間に響かせるようにして言葉を吐き出した。
『「栄光」無き者に、道理を語る事は許されない…………「蛇」は役目を果たし、自らの「価値」を示した。なれば、それは王の裁定の元に「許された」事柄に他ならない。「蛇」のとった行動に文句をつけるというのであれば、それは王に対する侮辱に繋がるだろう…………理解しての事か?』
『あぅ、ぼ、ボクはそんなつもりじゃ…………』
『「蛇」よ、貴様の役割は果たされた。早々に退場するがよい…………身を弁えよ、我々は王の前にて等しく「無価値」であるが故に、等しく「価値」を示す必要があるのだ』
「相変わらず、その、お堅い考えをしていますね…………生前のあなたとは別人のようです」
『我は自らについて語る口を持たぬ』
引き気味な二人をその場に残し、鰐の像は崩壊し、塵となって消え失せる。
暗い表情のまま動かない二人の元へ、また別の声が鳴り響く。
『まぁまぁ二人とも、許してあげて。彼はちょっと素直じゃないんだよ…………本当は、もっと色々語りたいはずなんだ。彼って、ほら、すごくお喋りだったでしょ? でも、すごく真面目だったからね…………自分で自分が許せないだけで、そして他の人に同じ思いをしてほしくないだけなんだ。分かってあげてほしいな』
声の発生源に視線を移した二人の視界には、全身が透明な蛙が存在していた。
鰐の像と同じく手乗りサイズであり、良く見ればそれは液体で出来ている。
全身を波打たせながら、蛙は二人に語りかける。
『今回は丸く収まった訳だけど、明らかに予定外の出来事が起きていたからね…………彼も少し気が立っていたのかもしれないよ。ほら、一歩間違えたら手遅れになっていたかもしれないじゃないか』
「それは…………」
『確かに、ちょっと危うかったよね』
穏やかな蛙の語り口に、二人も思うところがあるのか、控えめな同意を返す。
表情は分かりづらいが、蛙はニコニコと笑顔を浮かべている。
『彼はこう伝えたかったのさ。「蛇は良くやった。束の間の休息を取り、次の戦いに備えろ」「風にも役割が残っている。王の命が降るまで、敬意を忘れずただ待て」…………ってね? あれで心配性だからさ、今回の出来事も重く見ているんだよ…………あの魂、蒐集出来なかったんだよね?』
「えぇ、墓守としてあるまじき事ですが…………おそらく、取り逃がしたかと」
『思う通りにいかないからこそ、試練足り得る…………か。でも、皮肉だよね? 人々に試練を与える役目を持っていた僕たちが、逆にこうして力を試されているなんてさ』
「…………大丈夫ですか? 既に時代の流れは我々の手を離れていますが…………もし、順当に行くのならば次は…………やはり、わたしも王の元にいるべきなのでは」
『大丈夫だよ』
穏和な中にも確かに存在する、芯の強さ。
水の蛙は喉を鳴らし、確固たる意志を持って自らの言葉を告げる。
『この僕が、ついているからね』
そう言い終えると、蛙は水音を立ててその場に崩れ落ちる。
後に残ったのは、女性と風の二人のみ。
『まぁ、いいさ。今回は君に手柄を譲るよ…………どうせ、暫くあちらに掛り切りになるんだろうからね。精々……王の期待を裏切らないことだ』
その風も、捨て台詞のような言葉を残して空間に散っていった。
後に残された女性ーーーーヴァジャトは一人ため息をつくと、その場で後ろへと体を倒す。
「王を、頼みましたよ」
棺桶の蓋を擦り抜けて、その下へと落下していきながら、彼女は呟くようにそう言い残した。
今回のファラオ'sキーワード
「勇者」
王によって選ばれ、神々の加護を得た者達を特別とするのであれば。
勇者という言葉こそ、彼らを呼ぶに相応しいだろう。




