バステトと勉強会 国家編 前
「バステト、今日は国について教えるよ」
「分かりました、にゃ」
バステトがラムセスと共に魔術を使用した日から、彼女は時折、放心する事がある。
勉強や訓練の時は真剣そのものなのだが、ふと気がつくと呆けたようにラムセスの方を見つめているのだ。
ラムセスはそれを疑問に思ったが、普段は真面目に取り組んでいるので、特に注意するような事はなかった。
ただ、バステトが抱きついてくる頻度が増えた事には、少し辟易としていた。
なにせ勉強中は一時間に一度、訓練が終わった後は三十分ほど、ラムセスのお腹に顔を埋めてくるのだ。
何故かとても懐かれているみたいだし、行為の後は勉強にも一層力を入れている事が伝わってくるので、注意し辛いのだ。
初めての魔術訓練から、半月ほど経った。
バステトはメキメキと実力を伸ばしている。
それはラムセスの役に立ちたいからであり、褒めてほしいから。
そしてあわよくば、あの日の様にラムセスから抱きしめて貰いたいからだ。
あの日、ラムセスはバステトにこう言った。
「バステトは造型が得意みたいだから、それを磨いてほしい。でも、最低限自衛できるだけの戦闘力も必要だし、僕との訓練の時は戦闘向きの魔術を練習しよう」
ラムセスと一緒に訓練する時は戦闘の、自習する時は造型の魔術を磨くようになった。
ラムセスは、バステトの訓練のために様々な鉱物を彼女へ贈った。
その中には、金などもあった。
今、バステトに与えられた部屋の中は、ラムセスの像が沢山並べられている。
訓練と実益を兼ねた、彼女なりの賢いやり方というやつだ。
バステトは部屋に一人になると、ラムセスの像へ魔術を行使し、劇のように動かしている。
人には言えないが、バステト自身の像も作り出し…………像同士で絡ませている。
つまり、魔術を使用した無駄に高度なおままごとが趣味になっているのだ。
その内容はとても乙女チックであり、とてもじゃないがラムセスに見せられないような事すらしている。
その様はさながら、初恋を拗らせてしまった少女そのものだ。
「それで、王国と帝国と共和国に挟まれるように聖教国か存在して…………バステト? 大丈夫? ちゃんと聞いてる?」
「大丈夫です、にゃ」
「じゃあ、今言ったことを説明してみて」
バステトは、ラムセスの声で意識を現実へと戻した。
昨日の夜の魔術訓練の内容を反芻して、悦に浸っていたのだ。
しかし、それとは別の思考でラムセスの話へとしっかりと聞いていた。
バステトにとって、ラムセスの言葉を聞き逃すことなど、ありえないのだ。
バステトは少し拙い言葉で、ラムセスの言っていたことを復唱する。
「えっと、ラムセスさまがいる国が王国です、にゃ。王さまと貴族さまが統治していて、魔術師として魔物から国を守っています…………にゃ」
「うん、そうだね」
「王国から東へ行くと、帝国があります…………にゃ? それで、えっと、皇帝が統治しています、にゃ」
「正しくは、皇帝と宰相が実質の統治者だね。最大戦力が皇帝その人であり、宰相が国の経営を支えているんだ」
「あ、あぅ…………」
「大丈夫、ちゃんと覚えられてるよ。それで、共和国は?」
「共和国は、王国と帝国の南側にあります…………にゃ。それで、人間と色々な種族の獣人が一緒に統治してて…………えっと、その」
「多分、バステトの故郷だと思う。君が、どんな経緯があって奴隷になったのかは分からないけど」
「ぅ…………」
「バステト、やっぱりまだ教えてくれないのかな? 君が事情を話してくれて、それで僕に仕える事を約束してくれるのなら…………僕は君を奴隷じゃなくて、一人の部下として面倒を見ていくつもりだよ」
「あの、それは、まだ、その…………だめです、にゃ」
ラムセスはバステトと魔術訓練をしたあの日から、こうして彼女を普通の従者として扱おうとしていた。
そもそも、獣人は基本的に共和国にしかいないのだ。
それは、共和国という国が「奴隷として扱われていた獣人達が集って決起した」結果に生まれたものだからだ。
その先導者となったのは、王国の初代国王とは別の「黒髪の英雄」だった。
もちろん、人間だ。
なので、今の共和国ではその子孫である人間と獣人達が手を取り合って生きている。
共和国が建国された時にその場にいなかった獣人達の部族も、やがては共和国へと集まった。
そして、共和国からの抗議を受け入れ、聖教国がとりなした事で、王国や帝国でも、獣人を正式に国民として扱うという決まりができたのだ。
だから、獣人の奴隷というものは本当に珍しい。
この世界では、長い事戦争が起きていない。
それには理由があるのだが、何が言いたいのかというと、つまるところ戦争奴隷がいないのだ。
よって、今現在奴隷として扱われているのは、何かしらの理由で生活する事が厳しくなった者達ばかりなのだ。
そして少数だが、人に言えないような深い理由を持つものもいる。
国家間の問題になるため、獣人を奴隷として売買することは、殆どない。
モグリの奴隷商ならともかく、ラムセス達が訪れた場所は国家公認の公共事業で運営されている。
その商品にも信用がおけるし、他国のスパイなどが潜り込んでいる心配もない。
そんな場所に、共和国の国民らしきバステトがいた事自体が、珍しいのだ。
だからこそ、バステトは必然的に「何かしらの事情がある」奴隷ということになる。
そんな怪しい奴隷であるバステトを公爵家が購入する事によって、下手な相手に買われる前に保護するという名目もあった。
だからこそ、乗り気でないとはいえ、レムリットも獣人を買う事を許した。
「えっと、や、やくそくで…………言えなくて…………ご、ごめんなさいです、にゃぁ…………」
「いや、いいよ。いつか自分から言ってくれるのを待ってるから」
とうとう涙目になってしまったバステトへ、やや慌てながらラムセスは自分の言葉を撤回した。
ラムセスはバステトを奴隷から解放したいが、そのためには確かな身元を確認する必要がある。
出所の怪しいバステトをこうして公爵家に置いておけるのは、奴隷であるという部分が強く影響しているのだ。
下手すれば、国際問題に発展する可能性もある。
今の時点でラムセスは、どんな事情があったとしても、バステトを手放すつもりはなかった。
彼女はすでに、将来のファラオとしても、そしてラムセス個人としても大切な人材なのだ。
確かに、隠し事をされるのは気分がいいものではない。
信頼しつつある相手であるなら、なおさらだ。
ラムセスはバステトの事を見つめた。
この少女は、この話題を出すといつも申し訳なさそうにしている。
話せる範囲でわかった事だが、誰かとの大事な約束が原因らしい。
どんな約束をすれば、奴隷になる事に繋がるのかは分からない。
しかし、誰だって言えないことくらいはある。
自分だって、秘密ばかりだ。
ラムセスはそう結論を出し、これ以上は考えないことにして、話を進める。
「じゃあ、勉強の続きをしようか」
「は、はいです…………にゃ」
少し逸れてしまったが、勉強会は始まったばかりである。
二人は、机に乗せた書物へと視線を向けた。
今回のファラオ'sキーワード
「黒髪の英雄」
この世界で歴史が動く時、彼らは現れる。
ラムセスは彼らの正体を、ファラオなのではないかと推測している。