「嫉妬」の魔人
最初に求めたのは、いったい何だっただろうか。
理想的な家族か、対等な友人か、強く輝く才能か、自由に生きていける立場か、人から愛される容姿か。
その内のどれか、あるいはその全て。
彼はそれを手に入れようと足掻き、しかし何一つ手に入れることはなかった。
それは、何故か。
問いかけるまでもなく、彼の中でその答えは明白だった。
奪われたからだ。
同じ日に産まれながら、彼と彼女はあまりにも違いすぎた。
彼には双子の姉がいた。
両親から受け継いだ美貌と才能が豊かな心を育み。
その絵に描いたような善性の心は万人の好意を引き寄せた。
恵まれた環境は彼女を何一つ不自由させる事なく。
だからこそ彼女は、ただひた向きに努力する事が出来た。
彼はそれが羨ましかった。
実の姉と同じ顔は、金髪碧眼であるという理由で敬遠され。
姉に届かないどころか、その他の平均からも大きく劣った才能の欠落は両親の無関心を招き。
他者から侮られ、笑い者にされて。
努力することさえ、許されずに。
それだけなら、まだ良かったのかもしれない。
彼の善性は、歪まなかったのかもしれない。
しかし、自分には無いものを全て手に入れた姉が手を差し伸べた時。
無垢な心で、純粋な瞳で彼を見つめているのを理解した時。
その時初めて、彼の心の中にドス暗い感情が宿った。
その感情に名前をつけるとするならば、きっと「羨望」なんて前向きなものではなく。
「劣等感」と呼ぶ事が、他の何よりも相応しいだろう。
全てに恵まれている姉が許せなかった。
自分に無いものを持っていながら、それでもまだ自分から大切なものを奪っていこうとするのが認められなかったのだ。
何も与えられなかった彼は、だからこそ自分自身だけは大事にしようと決めていた。
その自分の中から、「 」を奪っていこうなどとーーーー。
「ーーーーーーーーるなよ」
静かにサンリルオンへと近づくラムセスの前で、魔人は小さな声で何かを呟いた。
足を止めたラムセスの元へ、ベンニーアを食らったヴィジャトが這い寄り、彼の周囲を守るように蜷局を巻く。
サンリルオンは顔をうつむかせ、その場に座り込んだまま動きを見せない。
火が燻り風に揺れる中で、闘技場は静寂に包まれていた。
しかし、それは戦いが終わったことを示すものではない。
むしろ、これから訪れる苛烈な何かを予見させるような、嵐の前の静けさに近かった。
痛いほどの沈黙が流れるその空間を切り裂いたのは、やはりサンリルオンだった。
先ほどよりも大きく、しかしそれ以前より遥かに力のない声を、吐き捨てるように口にする。
「ーーーーーーーーざけるなよ」
ラムセスも、そしてヴィジャトも。
その言葉に反応を示すことはない。
ヴィジャトは無機質な冷たい視線を投げかけるだけであり、ラムセスはただサンリルオンの次の言葉を待った。
サンリルオンから気炎が立ち上り、それは殺意として周囲に放たれる。
手に持つ杖を強く握りしめ、ラムセスはサンリルオンを見据えた。
サンリルオンが顔を上げ、その視線をラムセスへと向ける。
いや、そうではない。
サンリルオンは最初からラムセスを見ていた。
前髪に隠された奥の瞳から、彼だけを見つめていたのだ。
その視線に、どのような感情が込められているのか。
あまりにも沢山の色が混ざりすぎた感情に、名前を付けることは出来ない。
ラムセスも、そしてサンリルオン自身も。
瞳の奥の混沌とした情動の意味を、理解する事は出来なかった。
それから暫くの間、二人は無言で見つめ合う。
一秒、十秒、一分。
あるいは、それよりもずっと長い時間が過ぎ去った後に。
溜め込まれた何かが許容量を超えたのか、サンリルオンは万感を込めて言葉を続けた。
「ーーーーーーーーふざけるな!!!!」
その一言には、彼女の全ての怒りが含まれていた。
白と黒の反転した瞳を血走らせ、ラムセスを睨みつける。
パキッ、パキリと。
その目元に亀裂が走り、整った顔全体へと広がっていく。
まるで仮面が剥がれるかのように、少女という擬態に隠された本性が剥き出しとなり、素顔を晒していく。
慟哭は終わらず、肉体を変化させながら叫び続ける。
「こんな…………こんな事があってたまるか! あってたまるかよ!! 認めない! 認めないぞ!!」
鈴の音のようだった声はドス暗い感情に満ちた雑音となり、聴く者の脳を痺れさせる。
彼女は体と心に走る痛みを無視し、ただ一人に対して感情をぶつける。
現実を憎む本心を、世界に向けた怨念を曝け出す。
「産まれただけで恵まれて!! 生きてるだけで愛されて!! 努力するだけで報われて!! あるがままを認められて!! そんなのムシが良すぎるだろうが!! 都合が良すぎるだろうがよ!!」
彼は思い出していた。
全てに恵まれ、そして全てに勝利し続けた姉の事を。
その側で、自分がどれだけ惨めな思いをしてきたのかを。
「人は何かを失わなきゃ認められないんだよ!! 変わる事を強制されて!! 望みを切り捨てる事を強いられて!! 自分の事を傷つけて!! 諦めて!! 妥協して!! それでようやく愛されるかどうかの舞台に立つ事ができるんだ!!」
彼は思い出していた。
愛されたいと願い、自分の人生を否定して姉のようになろうとした時の事を。
初めて人を殺した時の事を。
「才能があって! 志があって! 誰かに必要とされて!! そんなに恵まれてるのに…………まだ足んないのかよ!!」
彼は思い出していた。
姉がいなくなってから気を違えた両親の事を。
姉の姿を真似る事を強要され、その人格から何まで全てを変えざるを得なかった事を。
「命の危機に陥ったから新しい力に目覚めて!? その力で窮地を乗り越えて!! 傷ついた仲間を庇って!! 何も失わずに大円団ってか!! ……………………人のことをバカにするのも大概にしろよ!! そんな…………そんな、お前だけに都合のいい世界なんて認められるかよ!!」
彼は思い出していた。
どれだけの事を重ねても、誰も彼自身を見てくれなかった事を。
居なくなったはずの姉の幻影が、何処までも付き纏ってきた事を。
「僕がどれだけ苦しんだと思ってるんだ!! 私がどれだけ諦めたと思ってる!! 俺がどれだけ傷ついて! 変わる事を恐れたと思ってるんだ!! どれだけの代償を支払ってここにいると思ってるんだよ! あぁ!? その果てで手に入れた力を、初めての同類を…………ボクの価値を!! そんな得体の知れないモノに乏しめられてたまるか!!」
彼はーーーー否、彼女は思い出していた。
全てに絶望して自ら命を絶った日の事を。
魂を捻じ曲げられた痛み、その先の真実に辿り着いた時の事を。
「お前は知らないだろう!! 自分を否定される苦しみも!! 望んだものを与えられず、望まないものばかり押し付けられた時の悲しみも!! 愛されたいから変わったのに、愛されたのは俺自身じゃなかったと気がついた時の悔しさも!! 誰にも僕自身を求めてもらえなかったと実感した時の虚無感も!! お前は何も知らないだろうが!!」
彼女は思い出していた。
自分に似た少女を見つけた日の事を。
初めて心から誰かを「欲しい」と思った時の事を。
「そんなやつに…………そんなやつに負けてたまるか!! 私の愛を否定されてたまるか!! 誰も愛してくれないなら、自分で自分を愛するしかないだろうが!! そんなことも知らないで、そんなことも分からないで…………俺を、僕を否定するなよ!! なぁ!!」
彼女は反芻していた。
手に入れたはずのものが、目の前で奪われた時の光景を。
「奪ってやる!! お前の立場も! 才能も! 夢も!! 愛も!! 恵まれている事も知らないお前みたいなやつが…………私は一番嫌いで、一番羨ましいんだよ!!!」
『なんと、憐れな事でしょう』
変わり果てた魔人を見つめながら、彼女は本心からの言葉を口にした。
『どれだけの言葉を重ね、その心情を吐露したところで…………誰も耳を傾ける事はないでしょう。彼女の全ては醜い「嫉妬心」から生まれたものであり、それ故に「愛されたい」という願いは叶う事がない』
沸騰するように泡立ち、肥大化する肉体から距離を取りながら、ヴィジャトは誰に語るでもなく、ただ口を動かす。
『何故なら、彼女は究極的に言えば「自分の事しか見ていない」。それにも関わらず、その精神の深層では「彼女自身」を否定している。自分に自信がないから他者を真似る。自分を愛する事ができないから、その拠り所を他人という理想に求めている』
闘技場の大きさを遥かに超え、彼女はそれでもまだ変化をやめない。
ヴィジャト以外の炎蛇がその肉体に牙を突き立てるも、吸収される瞬間に体を切り離し、その切断面からさらに肉の波を広げている。
肉塊に押しつぶされ、炎蛇は一匹、また一匹とその数を減らしていく。
『彼女は…………いや、あえて彼と呼びましょう。彼は誰からも愛されていない。彼自身ですら、自分の事を愛していないのですから。その本心では、「こんな自分を愛する者など、絶対にいない」と思い込んでしまっている。きっと、誰からの愛も信じる事は出来ないのでしょう…………信じる事が出来ないのであれば、それは愛されていないのと同じなのです』
ヴィジャトの頭に乗って移動しながら、ラムセスはサンリルオンから目を離せないでいた。
死してなお苦しみ続け、それでも死にたくないと叫び続ける。
そんな存在を、目に焼き付けていた。
『彼の持つ「渇望」は、何も間違ったものではありません。人は何かを求めて生きています。大切なのは、それを手に入れるための「過程」であり、結果ではありません。彼が間違えたのは、その「手段」のみ…………他者から奪いとってまで手に入れたいものは、真の意味で彼のものになる事はないでしょう。彼が変わらない限り、永遠に手に入らない』
液状の肉塊が固まり、世界に真の姿を見せる。
見上げても先の見えないほど巨大化した体と、その表面から生えている無数の腕。
一本一本が別々の動きを見せ、あてもなく彷徨うように空をかき乱す。
ぶよぶよの肉体に足はなく、ただ悪臭と嫌悪感を周囲に振り撒いている。
『彼のあの姿は、肥大し続けた「劣等感」と「自己嫌悪」の象徴です。たった一つの肉体に閉じ込められた、幾万もの嘆きと憎悪。彼は明白なまでの加害者でありながら、彼自身の最大の被害者でもあるのです』
『だから、終わらせましょう』
「そうだ、僕が終わらせる」
ラムセスはずっと考えていた。
死後に不安を抱き、今を満足に生きる事が出来ない者を導くのが使命であるというのであれば。
死後に誤ちを繰り返し、それでも自分を止める事が出来ない。
そんな人々を導く事も、きっとーーーー。
「余の為すべき事である」
巨大な怪物となったサンリルオンの前に、ヴィジャトに乗ったラムセスが相対する。
右手には杖を持ち、左手の上に炎を掲げ、堂々たる風格を放ち、サンリルオンの視線を引きつける。
「サンリルオン…………誰にも愛されず、自分自身を失った者よ!!」
「貴様の誤ちは余が正そう!! 貴様の嘆きは余が受け止めよう!!」
「そして貴様の渇望は、余が叶えよう!!」
世界に轟かせんと、名乗りを上げる。
「我が名はラムセス・オリシス! 我が力を、その目に焼き付けるがいい!! 我が身は王であり、神なれば!!」
全てが始まり、始まりが終わりを迎える。
王神は最初に、炎の蛇をこの世界に産み落とした。
彼女の教えは人々に生きる意味を与え、その試練は「正しく望むこと」の大切さを示す。
人々は彼女を「渇望の神」と呼び、炎は始まりの象徴となった。




