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Bar Heartless, Kar Witness

 墓より飛び立ち、来世に渡るものよ。


 暗闇の中で、彼は意識が浮上することを自覚した。


 彼は見知らぬ場所に存在していた。

 そこは光も届かない、岩と砂で出来た小部屋だった。


 辺りを照らすものなど無いというのに、彼の瞳は周囲の様子を、まるで太陽の足下にいる時のように知覚することが出来た。


 立ち上がり、状況を把握する事に努める。


 彼の心は、奇妙な感動で溢れていた。


 知らない場所だというのに、魂が痛いほどに叫んでいるのだ。


 ここが、自らの全てであると。


「私は…………いや、僕? ここはいったい、それよりも、戦いはどうなって…………戦い? 誰が? そもそも僕は…………余は…………」


 そう口にして、彼は自分が体から言葉を発していない事に気がつく。


 不思議に思って自らの体を見下ろした彼が目にしたのは、半透明の輝きを放つ、人の形を取る光の靄であった。

 あるべき肉体を知覚できず、足元まで全てが透けており、足の裏をつけた地面が見えている。


 そんな不可思議な存在となった事を認識し、彼は呆然となって呟いた。



「僕はいったい…………なんだ?」




 「因業なる魂、精霊を語る者よ」




 彼は自分という存在が理解できなかった。

 自らに関する事を、何一つ覚えていないのだ。


 記憶喪失、それが彼の現状を示すに相応しいだろう。

 彼は困惑しつつも、平静なままに言葉を漏らす。


私は・・確か…………疲れて眠っていた? ここは、夢なのか?」


 いや、正しくいえばそれは言葉ではなかった。

 彼は自分がどうやって声を口にしているのか、その原理を理解する事はなかった。

 心の中で思ったことが、そのまま波となって周囲に伝わっている。


 剥き出しとなった彼の精神が、独りでに内情を拡散させているのだ。


 夢じゃないかと疑問を持ちつつも、彼自身がそれに納得していないのか、さらなる疑問を重ねる。


「此処は何処だ? そして…………私は誰だ? 私は、人間……だよな? …………うん、多分それであってる、はずだ」


 彼の知識の中では、人間は体が透けているという情報はない。

 疑問を口にして、自分を確かめる。


 そうする事で、彼は自分が確かに人間であったという事を確信した。


「でも、これは…………え? あれ?」


 言葉を出している最中に、彼は自分の体が元のように物質的な性質を取得している事を理解した。


 半透明だった肉体が色を持ち、慣れ親しんだ姿が瞳に・・映る。


 周囲と切り離され、一個の存在として確立された彼は、直前までは意識していなかった様々な感情に襲われた。


 快楽、恐怖、そして安堵。


 快楽は、あらゆるものと同一的な存在へと溶け込んでいた時の、緩い湯船に浸かっているかのような心地よい感触から。


 恐怖は、全てと同化して自分という存在を消失しそうになっていた事に対する、生存本能の本質的な怖れから。


 安堵は、再び自分という存在を取得した事で、精神が消滅を免れた事を潜在的に悟ったから。


 彼は自分という存在が消え、世界に溶け込もうとしていた事を理解していた。


 その上で、自分が今どうなっているのか。


 それを正しく、理解する事となった。



「あぁ…………そうか。私は・・、私は…………」



 その諦観じみた情動と共に、他人事のように呟く。



「私は…………死んだのか・・・・・



 そう、確かにそれは真実だった。



 有るはずのない足を持ち上げ、不確かな地面を歩く。

 恐る恐る繰り返されたその行動によって、彼は自分のいる部屋の壁へと近づく事に成功する。


 自分が死んでいるという事を理解した彼にとっては、この現状は現実感のない夢のようなものだった。


 生きていた時に嫌悪していた疲労感も、常に襲いかかってきた睡眠欲も、心を蝕むストレスすら、何も感じない。


 清々しくも、侘しい。


 何もかもがどうでもよくなり、だからこそ彼は、純粋な好奇心のみで行動することができた。


 死んでしまった事は仕方がない。

 寧ろあらゆる事柄から解放された事で、高揚すら感じていた。


 此処が何処なのか。


 彼の興味はその一点のみに集約されていた。


 死後の世界なのだろうか。


 死ぬ間際に脳が見せる、束の間の夢なのだろうか。


 それとも、彼の知らないもっとずっと霊的な真理の中なのか。


 今の彼は、ある意味では無敵の存在だった。


 何ものにも束縛されず、あらゆる脅威から解放され、自由な心のままに在る。


 たとえ束の間の安息であったとしても、消滅までの泡沫の夢であるとしても、その感動は薄れなかった。


 彼が壁に手を当てると、そこには僅かな凹凸が存在する事に気がつく。

 軽く撫ぜると、それが石に刻まれた文字か何かである事を、彼は察した。


 しかし、視界は開けているにも関わらず、それを文字として認識することが出来ない。


 彼とそれを遮るものなどないというのに、視覚的に読み取ることが出来ない。


 あるいは、そこに文字などないのかもしれない。


 彼自身が存在していると思い込んでいるだけで、実際は霞のような幻想に過ぎないのでは。


 そう思い始めた彼の目の前で、突然変化が現れる。


 まるで彼の思考を読み取っているかのように、いや、彼の行動を契機としていたかのように。


 壁に幾筋もの青白い光の線が走り、模様を形作る。


 その神秘的な有様を見て、彼は熱のこもった溜息を溢す。


「これは…………」


 そうして出来上がったものは、彼の予想した通りのものだった。


 文字であり、絵でもある。


 死ぬ直前の記憶から、彼はその模様がなんなのかを知っていた。


「これ、もしかしてヒエログリフか?」


 彼が壁だと思っていたものは、彼の身長をはるかに越すほどの大きさを誇る壁画だった。


 視界の隅々にまで入り込んだ光の文字が、彼の網膜の奥に焼きつく。


 彼は好奇心のままに、その光へと触れる。


 不思議な事に、その光は彼の体を反射する事なく、手のひらを透過して目に映り込む。


 文字を手で塞いでいるはずなのに、その光の模様を視覚で読み取る。


 その不思議な感覚に、彼は夢中になった。


 まるで、誰も知らない叡智に触れているかのような。


 そして、現実とは違う世界に迷い込んでしまったかのような。


 そんな気持ちを胸に、彼は感動に浸った。



 どれだけの時間、そうしていただろうか。


 改めて光をなぞった彼は、その文字の意味を自分が理解している事に気がついた。


 不思議の連続で感覚が麻痺していた彼は、それすら自然に受け入れていたのだ。


 その事実に驚き、思わず一歩下がる。


 彼は自分の国から出たことも、ましてや異国の古代言語を習っていたこともない。


 それなのに、この文字を読み取ることが出来た事を、彼は驚いていた。


 そして、どうせ最後なのだから・・・・・・・と。


 彼は指を当て、一節ずつ翻訳して口にする。



「剥奪と羨望、始まりの犠牲者、血清」


 炎に飲み込まれる人影、地面に倒れ臥す女、目覚める意思。



「疫病、吹きすさぶ風、永遠の証人」


 嘲笑する妖精、増殖、死を知らぬ語り部。



「忠実なる者、吹き荒れる炎、砂漠の海」


 無辜の魂、迫り来る過去、刻まれし教訓。



「天を貫く塔、時の支配者、遠方を覗く賢者」


 試練、二人の戦士、繰り返される一瞬。



「脆弱なる瞳、名を囲う記号、戦慄」


 過去、現実、未来。



「氷山の一角、迷宮の道連れ、白い太陽」


 忘却より蘇る信仰、真の名を隠す者。



「神」



 運命の柱。



「オベリスクの示す道筋」



 少しずつ読み進めるにつれ、彼は知らないはずの出来事を思い出していく。


 それは一人の男が歩んだ人生の全て。


 もう誰も知ることの出来ない、歴史から抹消された真実。


 神話の一頁。


 まるで物語のようなそれを、彼は楽しみつつ足を進める。


 彼が壁画に沿って歩むごとに、その先に新しい壁画が現れ、その中に光の模様を産み出していった。


 彼は夢中になってそれを読み進めた。


 一つ一つが単なる言葉であり、そこに関連性など全く存在しない。


 だというのに、彼はそれを「物語」だと断じた。


 全てが一続きの文章であり、そこに意味があるのだと。


 彼は知っていた。彼だけが知っていた。


 何故ならば、それは彼自身のーーーー。



「あれ? 此処から先が読めないな」


 気がつけば彼は、最初にいたはずの場所から大きく離れてしまっていた。


 足を止めて振り返れば、そこは暗闇という「無色」が存在するだけであり、その先を窺い知ることは出来なかった。


「せっかくの夢なんだから、もっと融通が効いてもいいのに」


 その風景に寂しさを感じた彼は、一人そう呟いた。


 此処でどれだけ素晴らしいものを見たとしても、彼はどこにもいくことが出来ないし、誰かに伝えることも出来ない。


 それを自覚したことで、突然虚しくなってしまったのだ。


 死とはそういうものなのだから、と。


 目を伏せた彼は、そのままその場に仰向けに寝っ転がった。

 高揚していた気持ちが薄れ、白けてしまった。


 そうなると、これからの自分の事が気になら始めるというもの。


 死後の人間は、その魂は。


 どうなるのだろうか。


 天国に行くのだろうか、地獄に落ちるのだろうか。


 ただ無意味に消滅するだけなのだろうか、次の人生があるのだろうか。



 それとも、楽園アアルに辿り着くのだろうか。



 そこまで考えた彼は、所詮無意味な事だと思考をやめる。

 そして閉じていた目を開け、存在しないはずの天井を見つめた。



「は?」



 彼は想像していなかったものを目撃し、呆けた声を出した。


 この場の雰囲気にそぐわないものが、天井についていたのだ。

 それは輝きを放っていた。


 そこにあったのは、煌びやかな彫刻に彩られた、黄金で出来た扉だった。


 その扉を認識した瞬間に、彼の世界が変化した。


 上下左右の感覚が崩壊する。

 壁画が下に、扉が前に。


 気がつけば彼は、壁画の上に立っていた。


 足元を見れば、そこは相変わらず青白い光を放っており、瞳の奥が刺激を受ける。


 彼は扉を見つめ、足元の壁画を見つめ、そしてもう一度扉を見つめた。


 そして何を思ったのか、その扉へと向かって走り出す。


 彼が踏み抜いた壁画が一際強く輝き、彼が足を持ち上げるとともに崩壊し、その破片が虚空へと飲み込まれていく。


 それを気にする事なく、彼は駆けた。


 扉の元に辿り着くと同時に、それを強く押す。


 ゆっくりと開いた扉は、その隙間から強烈な閃光を放ち、彼は思わず目を閉じた。



 世界が、姿を変えた。

■■■■■■■■■■■■■


 Barバー:魂


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