南門の巨獣
王都アリストクラット南門より十数キロメートル離れた場所、魔術師によって整備された歩道の上。
そこに、外套で身を包んだ一つの人影が存在していた。
「ふふふふーん♪ ふふーんふふーんふーん♪ ふーんふふーんふふーん♪」
人影は上機嫌に鼻歌交じりに歩いている。その高い声から女性であるという事が伺える。
しかし、彼女の風貌は一般的な女性像からはかけ離れており、一目で女性と判断する事は難しいだろう。
まず、異常に背が高い。
獅子一族の獣人の男性の平均身長が二メートル五十センチといわれているが、彼女はそれよりも更に大きく、最低でも三メートルほどはある。
そんな彼女が大股で歩く事で、王都に向かう他の通行人達はどんどん追い越され、彼女の後ろ姿から放たれる存在感に度肝を抜かれている。
次に、体の凹凸が極端に少ない。
三メートルを越える巨体は、その頂点から足元までほぼ垂直であり、女性らしい起伏を感じ取ることができない。
外套に付属しているフードを目深く被っているため顔を見ることも出来ず、その様は巨漢の拳闘士を思わせる。
しかし、彼女は獣人でもなければ拳闘士でもなく、ましてや男などではない。
彼女は自分の事を女性だと判断しているし、その精神性は少女のそれである。
そう、ただ単に体が大きいだけなのだ。
他の人間と違うところといえば、彼女がそもそも人間ではないという一点に尽きるだろう。
「ふふーんふふん♪ ふふーんふふん♪ ふ…………ん? ここら辺でいいかな? かなかな?」
彼女は突然足を止めると、大切な事を確認するように辺り一面を見渡した。
目立つ彼女が足を止めた事で、それなりに存在している他の人々も足を止め、彼女の事を見つめた。
その場所は足を止める理由になる何かがある訳でもなく、他の通行人達はそれを不自然に思い、彼女に注目したのだ。
彼女はそのまま、何度か地面を足で踏みつけては、何かを確かめるように頷いている。
そんな奇行を見せた彼女へと一人の男性が近づき、声をかけた。
「おい、あんちゃん。こんな所でどうしたよ? 王都まではまだまだ遠いぜ? 足でも痛めたのか? 靴が壊れたりしたのか?」
「…………んー? そんなんじゃないよー! 何回も言いつけられた大切な約束があるからー! 間違えないように確かめていただけー!」
「お、おう…………それなら良いんだけどよ、声デケェな…………つーか、あんちゃん女だったのか、間違えてすまねぇ」
「んーん! 気にしないで! 心配してくれたんでしょ? おじさん良い人だね! いーこいーこ、してあげるよ!」
彼女は機嫌良さそうに身振り手振りで感謝を伝え、見知らぬ男性の頭を撫でる。
その掌は人の頭部を掴んで余りあるほどに大きく、すっぽりと男性の頭を包み込んでいる。
男性は彼女の突然の行動に戸惑うも、この幼い言動の女性に対し、僅かばかり抱いていた警戒心が薄れていくのを感じていた。
彼女は一通り撫でて満足したのか、「むふー」と鼻息を荒く吐き出したあと、男性から手を離す。
そのまま両手を自分の口元に添えると、周囲に向かって大きな声を張り上げた。
「みなさーーーん!! 此処は危険でーす!! 今すぐ王都から反対方向へと走ってくださーーい!! このまま此処にいる人、王都の方へ向かう人は、十分後に死亡しまーーす!!!」
大気をビリビリを震わせるほどの声量に、周囲の人々は耳元に手を当て、体を縮こませる。
彼女の一番近くにいた男性など、三半規管が揺らされたことによって、軽度の目眩すら起こしていた。
「う、うるせぇってレベルじゃ…………ないぞ…………」
「あっ、ごめんねおじさん! ラヒリは声も体も大きいから、周りに気を使いなさいって良く言われてるのに…………大丈夫!?」
「うぅ…………だ、大丈夫だ。でも、あんた、どういう事だよ…………ここが、危険って」
「んー? そのままの意味だよ! 此処にいたら死んじゃうってこと! おじさんも早くあっちに逃げたほうがいいよ? おじさん、良い人みたいだから…………ラヒリも良い子にしてあげる。おじさんが逃げ終わるまで待っててあげるね?」
そういうと彼女はカラカラと軽快な笑い声をあげ、その場に腰を下ろした。
三メートルを超える彼女は、胡座の姿勢になっても、男性の身長よりもやや低い位置に頭が置かれている。
周囲の人々はそんな彼女の言葉を気にすることなく、それぞれが自分の予定に従って行動を再開していた。
王都へ向かう者、道の端に陣取って彼女の事を観察する者、そして幸運にも彼女の言う通り王都から離れていく者。
彼女はフードの奥から、キラキラした視線を男性へと送り、男性は困惑を隠せない。
この男性は、「貴族祭」で賑わう王都に商品を売り込むため、それなりの距離を旅してきた。
途中に予定違いが起きたせいで出遅れてしまったが、それでもまだまだ「貴族祭」は始まったばかりであり、参加は今からでも間に合う。
それなのに、この外套の人物は引き返せという。
そんな事は出来ない。
しかし、かといってこの人物が嘘をついているとも思えなかった。
邪気のない女性が、意味のない事を言っているようには見えなかったのだ。
しかし、その言葉の通りだとしても。
むしろ、その言葉の通りだとするのならば。
この女性をこの場に置いていく事など、出来なかった。
男性はどこまでいってもただの一般人であり、だからこそ人並みの善性を有していた。
命の危険があるというのならば、この女性も連れていく。
馬車に乗せた商品は惜しいが、それを少し捨てればこの大柄な人物も乗せて逃げることが出来る。
女性が本気で先ほどの言葉を口にしているのならば、この話に乗ってくるだろう。
そうすれば、あとは王都の魔術師がなんとかしてくれる。
初対面の相手の言葉を戯言と聞き流さず、そしてその人物のことを思いやる。
男性のその「お人好し」な性格が、彼の命を救った。
男性が自分の考えを彼女告げると、女性はやや驚愕したように目を見開き、大きな声で笑った。
「あははははははは!! おじさん優しいね!! 気に入ったよ!! だから…………うーん、そうだね! きっとおじさんは何言っても逃げないだろうから…………おじさんが逃げやすいように、良いこと教えてあげる!!」
彼女はその場で立ち上がり、男性の耳元に口を寄せる。
その時男性は、フードの中から覗いた女性の顔を目撃し、体を硬直させた。
それは人の顔ではなかった。
人間の少女のような幼顔の上に、数枚の葉が生えていた。
そして目が有るはずの場所は片方が空洞になっており、そこからは数本の枝らしきものが生え、頬を伝って側頭部へと伸びている。
男性は一目で理解した。
この女性は、人間ではないと。
硬直する男性の耳から、少女のような幼い声が脳へと伝わる。
「ーーーーね? 逃げたほうがいいでしょ?」
男性は気がつけば、先ほどの場所から遠く離れた所まで逃げてきていた。
振り返る事なく馬車を必死に走らせた彼は、動悸の激しい胸元を抑え、口から溢れそうになる恐怖心を押し込む。
そんな彼の足元が、突然大きく揺れた。
馬車に繋いだ馬はそれに驚き、暴れる。
彼も驚いたものの、まずは馬を抑えることを優先し、必死に手綱を引く。
少しして振動が一旦収まりを見せると、彼は安堵のため息とともに、辺りを見回した。
彼以外の通行人は皆一様に驚愕の表情で同じ方向を見つめており、それは先ほどまで彼がいた地点であった。
馬車から降り、恐る恐る振り返る。
そこに居たのは、巨人だった。
三メートルなんてものではない。
十メートル、いや、百メートル。
あるいは、それ以上。
それを見た彼は、直感的に察した。
「あれは…………さっきの…………」
その場の人々が、次から次へと逃げ出す中。
彼は、暫くその場から動くことが出来なかった。
巨人が吼える。
嬉しそうに、楽しそうに。
おもちゃを前にした子供のように、好物を食べる前の少女のように。
約束によって暫く本来の姿を取ることが出来なかった彼女は、久しく感じる事のなかった解放感に心を満たされていた。
誰よりも大きく、誰よりも強く、そしてあらゆる理不尽をなぎ倒すほどの理不尽を。
その両足は、胴体は、まるで千年樹の幹のよう。
両肩から角のように伸びる二本の大樹は、数多の果実を実らせて天を突く。
両腕は幾万もの樹木が折り重なって筋肉のように引き締められ、その先には爪の如く鋭く尖った巨大な五本の根。
そして頭部は人のそれではなく、顎から上は消失し、代わりに巨大な一輪の薔薇が活けられている。
彼女は魔人。
その名はーーーー。
「サンちゃーーーーん!! 遊びにきたよーーーーー!!!!」
ーーーー「秩序」の魔人、ラヒリウロ。




