第二再編 ピラミッドを建てよう
魔物討伐から帰還した翌日、ラムセスは一人で部屋に篭っていた。
避難に遅れた者がいて、一人の死者が出た。
その事をレムリットに伝えると、彼は一言。
「そうか」
と言い、ラムセスにそれ以上は聞かなかった。
ハルとその兄は魔物によって両親を失っていたらしく、村でも二人家族で生きてきたそうだ。
魔物が目撃された時、ハルは偶然森に薬草を摘みに行っていた。
そして、避難時に不在に気がついた兄が、単独で救出に向かった。
だからこそ、あのような悲劇が起きてしまった。
避難していた村人達に連絡を取ったところ、何人かハルを引き取ると名乗り出てくれたのだが、ハルは思うところがあったのか、その全てを断った。
そしてその日の夜、ハルはラムセスの元を訪れ、こう言った。
「俺……強くなりたいんです。魔物を倒せるくらいに、俺みたいな人を無くすために。俺を守る為に立ち向かった、兄さんみたいになりたいんです。その為に、戦う力が欲しい…………そうすればきっと、兄さんも安心して逝けると思うんです」
辿々しく、拙い主張だったが、ラムセスはそこに確かな強い意思を感じた。
ラムセスは二つ返事で了承すると、ハルを屋敷に住まわせ、使用人と共に過ごす事を勧めた。
それをハルが了承した事で、オリシス家の屋敷でハルに教育と訓練を与える事が、決まったのだ。
今回の討伐のために呼び寄せたホルスは、このままオリシス家に滞在し、オリシス領内で活動する事にしたらしい。
冒険者として培った知識と、戦うための心構えを、ハルに伝えるそうだ。
バステトは、色々あったせいで疲れていたのか、帰還後すぐに寝落ちしてしまい、今も夢の中にいる。
そしてラムセスは今、考えていた。
もう少し、やりようはあったんじゃないかと。
もっと速く、助けに向かう事が出来ていれば、と。
勿論、今回の事でラムセスに非はない。
魔物討伐の任を受けてから迅速に対応し、風属性魔術師の飛行術でこれ以上ないほど素早く現場に到着し、即断即決でハルを救い出した。
そして、魔術師として魔物を討伐し、ハルやその兄に人としての別れを与えた。
誰が見ても、ラムセスの行動に落ち度は無かったと言うだろう。
そもそも今回の出来事は、単純に運が悪かったのだ。
偶然、ハルが森に出向いていた。
偶然、魔物が森に現れた。
一人は助ける事が出来なかったが、先のある子供を救い出し、事後処理も完璧にこなした。
本当ならあの場で人が死ぬはずは無かった。
魔物出現時の対応は、平民にまでしっかりとノウハウが伝わっている。
それは、「魔術王」の残した言葉の中に、「無知は罪」というものがあるからだ。
正しい知識がない者は、思い込みや楽観視によって魔物を産み出してしまう。
被害者を、増やしてしまう。
だからこそ彼は全ての国民に、魔物の知識をつける事を義務付けたのだ。
そう、この件で不手際は発生していない。
目撃者は報告、連絡、相談をしっかりこなした。
村人達は魔物に襲われる前に避難し、被害によって新しい魔物が産まれることを、防いだ。
馬を囃して貴族に魔物の存在を伝え、貴族は最大限素早く対応できるよう務めた。
ラムセスは魔術師として、魔物を討伐し、ハルを救った。
しかし、避けようのない、目で見ることのできない一つの要素が、ハルの兄を殺したのだ。
人はそれを、運命と呼ぶ。
重ねて主張するが、今回の事でラムセスに落ち度はない。
レムリットも、バステトも、ホルスも、村人達も、そしてハルですら、そう思っている。
しかし、ラムセス本人がどう感じるかは、別である。
ラムセスは屋敷の裏にある一つの墓を、部屋の窓から眺めていた。
ハルの兄を埋葬するために、急遽作られた墓だ。
ハルの兄は、この世界の死者にしてはまだ運が良い方だ。
なにせ、弔われるための遺体が残っているのだから。
この世界で悲劇的な死を迎えた人は、遺体が魔物になる。
それは土葬される死体の数が、人口に対して極端に少ない事を示している。
ラムセスは、ずっと考えていた。
果たして自分は、綺麗な遺体のまま、墓に入る事が出来るのかと。
ファラオとして君臨し、後世で蘇る。
その目的の為には、未練を残す事なく、死を恐れる事なく、安らかに死にゆく必要がある。
この世界では、誰もが死を恐れている。
当たり前だ、満足な死に方を選べなかった者は、高確率で魔物になってしまうのだから。
魔物が人類史に登場してから、既にかなりの歴史が積み重ねられている。
先人が様々な対策を打ち立ててきたおかげで、魔物化する人口も、当初よりは減少傾向にある。
しかし、それでも不幸というものは、突然訪れるのだ。
今回のように。
ラムセスは魔術師として生きていくつもりだ。
それが力を持つものの定めであり、義務だから。
だからこそ、心配せずにはいられない。
もし、自分がその義務に殉ずる事になるならば。
その時自分は、未練なく逝く事が出来るのかと。
人として、死ぬ事が出来るのかと。
そして、それまでにファラオとして偉業を重ねる事が、出来ているのかと。
自分のやってきた事を、誰かから認められているのかと。
変わり果てていたハルの兄を見て、そんな恐怖を感じなかったといえば嘘になる。
しかし、それ以上にラムセスは、悲しかった。
ラムセスだけは知っているのだ。
死は終わりではないと。
新たなる旅の始まりに過ぎないのだと。
生まれ変わり、そして次の生のために懸命に努力し続けている、ラムセスだけが、知っているのだ。
だからこそ、命の終わりを、魔物化による悪業によって汚してしまう彼らが、ただただ悲しかった。
死を拒絶する気持ちが、「魔」となって蓄積し、魔物に転ずる。
誰だって死ぬことは認められないだろう。
自分の積み重ねてきたことが、無に還ってしまうのだから。
死を受け入れる事が出来ないからこそ、人は懸命に命を繋ぐ。
悲劇がありふれているこの世界でも、それは変わらない。
だが、次の生がある事を知っていれば、死を恐れる事はあっても、拒絶する事はない筈だ。
死とは、未知であり、それ故に恐怖なのだ。
ならば。
新たなる生を伝え、人々を恐怖から解き放ち、明日への不安を無くし、健やかな日々を過ごさせる。
死を解明する事で、恐怖を失わせ、人のまま命を終わらせる。
それが、ファラオである自分にできる事なのではないか。
そこまで考えて、ラムセスは勢いよく立ち上がった。
それは彼にとって、天啓にも等しい発想だった。
この世界には、神や宗教は存在しない。
聖教国が過去の偉人を讃え、「聖人教」という、聖人たちの行いを見習うための教えを説いているが、それは宗教的なソレとは別のものだ。
だったら、自分が。
ファラオとして、太陽神として君臨し、人々を導く。
死後の安寧と、新たなる旅立ちを約束し、健やかな日々を与える。
その為には。
「ピラミッドを建てよう」
ラムセスは呟いた。
「人々の遺体を埋葬し、生きた証を残す」
何かに取り憑かれたかのように、続ける。
「今までは、自分の事だけを考えていた。でも、それは間違いだ。完全なるファラオとして君臨し、人々の生活を保証する。確かに偉大だが、それだけじゃダメだ。誰もが死後に不安を覚えている…………だからこそ、僕が未練を肩代わりし、死後も人々を導くんだ」
そして、彼はもう一度、確かめるように考えを口にした。
「ピラミッドを建てよう。永遠に輝き続け、後世の人々にも伝わり続ける。死後の安息の象徴としての、人々の心に安心をもたらす為の、誰もがその存在を知り、誰もが心から神話を信じる事が出来るような、そんな巨大で、荘厳で、美しい…………ピラミッドを、建てるんだ」
今までのラムセスは、ただぼんやりと、自分のやるべき事をイメージで受け取っていた。
しかし、一人の人間の死を目撃し、彼は新たな目的と、その為の手段を得た。
「大丈夫だ、僕がいる。僕はファラオだ。なればこそ、その王道は人々の笑顔と、活気によって満ち溢れていなければならない…………永遠に輝く太陽の如く、万人の明日を照らし、心に光を差し込むんだ」
「そうすればきっと、僕も救われる」
その黄金の瞳は、あらゆるものを映し出していた。
過去、現在、未来。
人々の笑顔と、繁栄。
そして、己の行く末を。
ラムセスは、まるで視界が一気に広がったかのような全能感を感じていた。
意図する事なく、口から笑い声が溢れる。
「フフ、フハ…………フハハハハハハッ! 僕は、我は、いや…………余は! 答えを得た! 余はファラオ、全知全能にして、神をも越える! 人々の平穏の象徴としての、「太陽王」となるのだ!」
そんな彼の様子を、扉の隙間から、一対の瞳が見つめていた。
そして、興奮を抑えながら呟く。
「わっ、わっ! …………ラムセス様が、ファラオモードになってる。懐かしいなぁ、いつもこういう風に笑ってたっけ」
その女は、褐色の肌をブルリと震わせ、自分の体を抱きしめるように両手で抑える。
「大丈夫です。大丈夫ですよ、ファラオ…………今度は絶対に、理想の王になれます。私が、導いてみせますから…………」
彼女は自分に言い聞かせるようにそう溢し、暫くの間、高笑いしているファラオを見つめていた。
そして、満足気な笑みを浮かべ、その場から立ち去る。
使用人とすれ違ったが、まるで姿を認識していないかのように、無反応で彼女の隣を通り過ぎる。
誰も彼女を見つける事は出来ない。
それは、彼女が卓越した風属性の魔術師だから。
気配すら、覆い隠す。
彼女の名は。
「うふふ、小さいファラオ…………凄く可愛いです。凛々しいお姿も素敵でしたが、これはこれで…………」
今回のファラオ'sキーワード
「第二再編」
人類滅亡の危機は、遠ざかりました。
歴史改変、運命操作、成功です。
「不死王」の出現率、減少。
破滅時計の針が、巻き戻ります。