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亜希さんが三十歳まで生きられないと知った時も驚いたが、一年というのは桁が違う。今こうして笑っている彼が、来年には死ぬということだ。まるで実感が湧かない。せめて、もっと嫌そうな――死にたくないという顔をしてくれれば実感も湧くのだが……。
「あのさ」
「なんだ?」
あくまで軽く、世間話でもするかのような口調と表情で広木は答えて来る。
俺はその態度が気になって、つい聞いてしまう。
「死ぬのが怖いとか、そういうの、ないの?」
ぴたり。
広木は一瞬、身体の動きを止めた。
「あー」
それから、持っていた湯のみを置いて。
「あるっちゃある。ないと言えばない」
曖昧な返答をしてきた。
「なにそれ?」
さらに尋ねると、広木は少しだけ神妙な面持ちになる。
「俺だって人間だからな。そりゃ死ぬのは怖い。けどまあ、何年もここにいると、悟っちゃうっていうか、なんつーか、そういうとこあるからな。しゃーないと思うんだわ」
「しゃーないって……」
自分が死ぬというのにしゃーないはないだろう。
「たぶん、亜希姉も小雪も同じようなもんだと思うぞ」
言われて二人に視線をやると、亜希さんはちょっと気まずそうに、小雪はつまらなそうにしながらも、無言で肯定していた。
「夏希も、すぐに分かると思うぞ。ここは、一週間に一人くらいのペースで誰かが死んでるからな。葬式やら通夜やらにわざわざ参加する、なんてことはないけど、誰かが死ぬところを目にする機会は沢山ある。で、そういうの見てると自分のことも、しゃーないと思ってしまうんだよ」
本当に、悟りを開いているような顔で広木はそう言った。
そういうもの、なのだろうか。
あいにく、俺は祖父母が物心つく前に亡くなっているため、誰かが死ぬところを見たことがない。ここにいればそれを見る機会が山ほどあるのだという。最悪、友達になった誰かが死ぬところを見る可能性もあるだろう。
けれど、それと自分のことを重ね合わせて、「しゃーない」などと言える神経は俺にはよく分からない。ある程度は慣れがあるかもしれないが、自分のことと他人のことを一緒に考えるなどできるわけがない。
「だから、俺は楽しく生きようって思ってるわけさ」
「へ?」
俺が黙り込んでしまったことをどう受け取ったのか、唐突に広木が場にそぐわない明るい声を出した。
「亜希姉みたく、なんか目標持ってってのもいいと思うけど、俺はそこまでのガッツはないからな。ただ、だからって黙って死ぬのもなんか違うって思ってる。いつか死ぬって言っても俺だって生きてるわけだしな」
そして、広木は宣言する。
「毎日を楽しく、ハッピーな気分で過ごす。それが俺のモットーだ」
広木は、ぐっと握りこぶしを作り、ちょっと気持ち悪いくらいの笑みを浮かべていた。
無理、しているのだろう。
悟った風な顔をしているが、死ぬのが怖いわけがない。きっと、正解は「死ぬのが怖くない」のではなく、「死ぬことをできるだけ考えないようにしている」、だ。亜希さんや小雪だって同じだろう。
そして、亜希さんと広木は、受け入れた上で、どう過ごすかを考えている。亜希さんはあくまで未来を見据え、広木はとにかく毎日を楽しく過ごしたいと口にする。生き方は人それぞれだし、それを比べてどうこう言える立場じゃないけれど。
――少なくとも、二人は俺よりよっぽど、輝いてるよな。
亜希さんの話を聞いた時も凄いと思ったが、広木は広木で、カッコ良く見えた。
広木はただただ強く、逞しいという印象だ。自分の命があと一年しかないことをしゃーないと割り切って――割り切れるだけの根性を持って――今を見据え、楽しく過ごすと言い切ることができるその心意気。亜希さんのように、少しでもある未来を見るのも良いかもしれないが、とにかく今を大切にするんだという広木の信念も、亜希さんのものと遜色ない素晴らしいものだと思えた。