エピローグ2
「夏希」
と、背後から声がかかった。
透明感のある、凛とした声。
振り向かなくても、もう分かる。
「小雪か。部屋戻るんじゃなかったのか?」
「ちょっと、心配になって」
フェンスから下界を見下ろしていた俺の隣に並ぶ。
「心配、か。ちょっと前まで俺がずっと心配する側だったんだけどな」
「それはっ……今、言うことかな」
悪戯っぽく言うと、むぅと子供みたいにほっぺたを膨らませてみせる。
ちょっと前までは、こんな反応をされなかったはずだ。
広木が死ぬ前後からこの一週間ほどで、小雪との距離は明らかに縮まっていた。小雪はどこか、俺を信頼してくれている気がする。これは勘違い、とかではたぶんない。普段、部屋で一緒にいる時の態度が変わっているのだ。当然、一番の変化はあの日記を隠さなくなったことだろうが、それ以外にも、ちょっとしたスキンシップやくだらないお喋りにも快く応じてくれるようになっている。
「なに考えてたの?」
短くなってなお、まだ長い髪の毛を手で抑えて、尋ねてくる。
以前なら、俺は「別に」と流していたが。小雪の態度が変わっているせいで、俺も最近、小雪に隠し事することがほとんどなくなっている。俺はため息一つ。何度も考えて、それでも答えの出ない疑問を、素直に小雪にぶつけてみた。
「――どう思う?」
小雪だって考えたはずの事柄だ。
どんな答えがくるのかちょっと期待したのだけれど。
「分かんないよそんなの」
考える間も見せず、即答でそう返された。
それから、こっち向いてと言わんばかりに顔を急接近させてくる。
俺は超絶的な可愛美人顔が目の前に迫り、慌ててちょっと距離を取りつつ、向き直る。
「夏希、初雪荘にいる先輩として、一つだけアドバイス」
「うん?」
「一番、大切にするべきは、今生きている、自分たちだよ」
ピンと背筋を伸ばして、彼女は言い切った。
「もちろん、死んだ人を蔑ろにするとか、忘れるとか、そういうことじゃない。大切に、本当に大切に、しなきゃ駄目だと思う」
整理ができた、と言っても忘れられるわけじゃない。
小雪は少しだけ俯いて、「でも」と続ける。
「私たちは、今、この時間を生きている。死んでしまった人は、そこで時間が途切れているけど、私たちは、前へ進んでる。今という一瞬は、生きている私たちにしか、来ないんだよ。だから、答えの出ない問題のために、全ての時間を費やすのは、違うと思う。夏希は――夏希には、目指しているものがあるんだから」
なんとなく、小雪がまた泣きそうになっている気がして俺はちょっと慌てたけれど。
そうかも、しれなかった。
きっと、今回のコトは、正しい答えなんてないと思う。
それをいつまでもぐるぐると考えていて、どうなると言うのか。
小雪は「全ての時間を費やすのは」と言った。小雪だって、ふとした瞬間に思い出すのだろう。今回のことだけではなく、きっと昔のことも。どうすれば良かったのか、どうすればもっと良い終わりを迎えられたのか、小雪はずっと悩んできたはずだ。
小雪は言っていた。思い切って区切りをつけるのだと。そうして、前へ進むのだと。
「……!」
どうだと、少し自慢気にしている小雪を見て、ふと、思い出すことがあった。
『しっかり、やれよ』
それは、俺が最後に聞いた、広木の言葉だ。
その時は、単純に「頑張れ」という意味だと思ったが、今思うと、もうちょっと深い意味があったような気がする。あの時、広木は一瞬詰まったのだ。長い付き合いの広木や亜希さんですら分からない小雪の取り乱し方を見て、広木はなにを思ったのだろうか。ひょっとしたら、「小雪のことはお前に任せたぞ」くらいには思っていたのかもしれない。あの時、亜希さんだけでなく、広木だって、小雪に対して自分たちはなにか誤解していたのかもしれないと感じた可能性があるのだ。
当然これも、広木がいなくなった今、もう分からないことだ。
だけど、多少なりとも心を通わせることのできた小雪を見ていると。
「わっ、ちょっ! 夏希?」
任されたぞ、という気になった。
くしゃくしゃっと短くなった髪の毛を撫でてやり、
「部屋、戻るか」
戸惑っている小雪を置いて、歩き始める。
「……???」
疑問符を浮かべながらも、小雪は着いて来てくれる。
広木はいつも言っていた。
しゃーない、と。
彼を知る人間なら、一度は聞いたことのある台詞だ。
「必要以上に考えてても、しゃーない、ってことだろ?」
振り向いて、小雪に笑顔で言ってやると、彼女も笑って。
「そだね。しゃーないよ」
そう返してくれた。
この世の中の全ては、意外としゃーないで片付けられる。
誰かが、死んでしまうことだって、しゃーない。答えのない疑問をずっと考え続けていても、しゃーない。たとえどれだけ友達を愛し、大切にしていても、いつかは別れが来る。それも、しゃーない。いつか死ぬと分かっていても、それでも夢を追いたくなるのもしゃーない。死ぬ可能性のないと言われたことでも、ひょっとしたら死ぬかもしれないことだって、しゃーない。人はいつか誰だって死ぬのだ。まだ死ぬまでに時間があると言われていも、それが真実とは限らない。なにが起こるか分からないのだ。それだって人生だ。しゃーないのだろう。
だから。
「小雪」
「ん……?」
「しゃーないから、俺がずっと一緒にいてやるよ。だから――」
「――だから、あまり泣くな」
「……うん」
俺は、くしゃくしゃとまた彼女の頭を撫でてやり、
「戻ろう」
「うん」
小雪のことは任せろ、と晴れ渡る空に向かって誓ってから、屋上を後にした。
END.
作者の彩坂初雪です。最後まで読んでくださった皆様、ありがとうございました。
私の作品としては始めて、ハッピーエンドではなく、どこか煮え切らない、考えさせるような、そんなラストになりました。今作を書き始めた当初は、少年少女たちの物語らしく、最後は盛大に結婚式でもやって、広木の死を悼みながらも悔いはない、というエンドにしようと思っていました。しかし、小雪の自傷行為や、それに連なる秘めた想い等々を書いていく中で、「明らかにフィクションだろ!」というようなラストにして良いのか、疑問が生まれました。その疑問を受け、物語を作り直し、結局、最後は「なにが正しかったのだろう?」と思わせるような、そんなエンドになりました。
読者の皆様がどのようなことを感じたのかは私には分かりません。なにかを感じさせられることができたのかも分かりません。それでも、誰かが死ぬということに対して、なにかを感じていただけたのなら、この作品を書いて良かったと思います。
繰り返しになりますが、最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。もしよろしければ、感想等書いていただけると嬉しいです。




