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「就職? 普通の職場にかい?」
「そうです。明確にどこってわけじゃないですけどね。この間まで普通の学校に通っていたってのもあると思いますけど、俺の病気は注意さえしていれば死ぬことはないものなので、普通に就職して、普通に働きたいかな、と」
亜希さんは曇り空を見上げて「理由は?」と。
「いろいろありますけど、強いて一つ挙げるなら、親に恩返ししたいから、です」
「なるほど……。いいね。カッコイイよ」
クスリと優しい笑みを浮かべて、亜希さんは褒めてくれた。
少し照れながらも、俺は「そんなことないですよ」とすぐに否定した。
「どうして?」
「親には迷惑かけてますから」
「ますますカッコイイね」
今度はからかい口調だったので、笑ってスルーしておいた。
実際、迷惑をかけているのだ。
ここに来て、おそらく食事や風呂等もとりあえず問題なく過ごせるようになるだろうけれど、家にいるとそうもいかない。俺がいるだけで、温かい汁物が作れないのだ。冬でも俺に合わせてぬるい汁物を作ってくれていたし、風呂も気を付けてくれていた。学校の教師とのやり取りだって、親は細心の注意を払ってくれていたし、友達ができているかどうか、いじめられていないか等、心配をかけてきた。
だから将来、俺のような病気を持っていても雇ってくれるトコがあるのなら、ちゃんと仕事をして親に恩返しをしたいと思っている。……言うとまた心配されるから親にはまだ隠していることだが。
「亜希さんは?」
自分だけ話してそれで話題終了というは恥ずかしいものがある。
再び空を見上げた亜希さんに問いかけた。
「んー?」
「亜希さんは、将来どうしようとか、考えてるんですか?」
はっきりと尋ねると、亜希さんは顔を上に向けたまま、視線だけをこちらに向けて、ポツリ。
「わたしは、そんなに長く生きられないからなー」
そう呟いた。
「わたし、元気そうに見えるだろう?」
「え? ええ、まあ」
「そうでもないんだよ」
苦笑いで、独り言のように、彼女は語る。
「進行性内臓老化症、と医者に名前を付けられた。……内臓だけが、急速に老化していく病気でね、その速度は通常の三倍から四倍らしい。今わたしは十七歳だから、下手すると、内臓の機能だけは八十歳近くになっているってことだよ。激しい運動はもってのほかだし、食事もいろいろ制限がついてる。おそらく、三十歳までは生きられないだろうって診断されてるよ」
その言葉に、俺は少なからず動揺した。
この初雪荘にいるのだから、『そういう人間』かもしれないと推測はしていたが、いきなり、「あと十年生きられるか分からない」などと言われるとは思わなかった。
思い知る。ここは、そういう施設なのだ。
男女分けることなく部屋が割り振られるのだって、そのためだ。あまりに、人の入れ替わりが激しいから――。
「まあでも」
「……?」
「わたしは、だから将来がないとは思っていないよ」
亜希さんは、暗雲立ち込める空に手を伸ばし、ぐっと拳を握る。
「確かに、人より長くは生きられないかもしれないけれど、わたしはもう少し生きることができる。なら、その間になにかを残せると思ってる。……わたしには君のように親のためになにかしたいとか、そんな先のことまでは考えられないけれど、わたし自身の、あと数年の未来なら見ることができる」
真っ直ぐ、自分の拳を、そしてその先を見つめて、亜希さんは言い切った。
「わたしは、わたし自身の言葉を、文章として、世に残してから去りたいと思ってる」
「文章……?」
「そう。形はなんでもいい。小説でも、論文でも、なんでも。わたしは昔からモノを書くのが好きでね、今も暇な時はずっと書いてる。年に何度かコンクールに応募してるんだよ。まだこれという結果は出ていないけれど、あと数年で絶対に賞を取って、できれば書籍化までもっていきたいと思ってる。……わたしがここにいたっていう証を、残してから死にたいんだよ」
夢のまた夢だけどね、と亜希さんは照れ笑いで締めくくった。
まだ、本当に夢のまた夢なのだろう。だから最後は照れ笑いになってしまうのだ。言い切ることはできても、成功している自分をはっきりとイメージできず、ぼんやりとしか未来を描けないから。
それでも。
「なんか、カッコイイですね」
その真っ直ぐ前を見つめる姿勢に、本心が零れた。
「そうかい?」
「そうですよ。俺の将来云々より、ずっと凄いと思いますよ」
手放しで褒めると、亜希さんはちょっと赤くなって頬をかく。
正直、こんなにも元気に未来を語っている人が本当にあと数年の命なのか、いまいち実感が湧かないが、それを抜きにしてもカッコイイと思う。自分自身ですら上手くイメージできない未来を信じて、こうしたいと言い切れる意欲を持っている人はあまりいないだろう。
あと数年しか生きられないと知っているからか、それとも亜希さん自身の人柄か、根源的な理由は分からないけれど、俺には絶対真似できない。
「わたしとは違うけど、夏希君も頑張るといいよ。ここに来たからって、未来を諦める必要はないと思ってる。特に、君の場合は注意してればちゃんと将来が見える病気だ」
亜希さんは俺の肩に手を置いて、
「一緒に、頑張ろう」
生気漲る声音で、そう言った。
亜希さんのその熱のこもった手を感じて。
「はい。頑張りましょう」
俺も、笑って力強く、頷いた。
「あ、それと」
「……?」
肩に手を置かれた姿勢のまま、亜希さんは思い出したように付け足す。
耳元に寄られたため、表情は見えなかったが、今までとは違って、ひんやりとした、淡々とした口調だった。
「ここで過ごしていく上で、アドバイスを一つしておくよ」
「……?」
「医務室に運ばれていく人とは、目を合わせない方がいいよ」