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初雪草  作者: 彩坂初雪
第四章
38/40

4-8

「っぅ!」

「っぁ!」

 二人とも、予想外の方向からきた力に全く反応できなかったらしく、床に倒れた。

 俺は倒れたまま「な、夏希?」と戸惑いの声を上げる小雪に、まず。

「小雪、いくらなんでも言い過ぎだ。皆をずっと見ていた小雪なら――小雪だから、亜希さんがどんな気持ちで夢に向かっていたか、一番知っているはずだろ。そこだけは、いくら広木のためだろうが、俺も我慢ならん」

 睨み付けて言い放つと、小雪ははっとした表情になり、次の瞬間にはぐっと唇を噛みしめた。小雪だからこそ、誰よりも、周囲のことを、ひいては亜希さんのことも、知っているはずなのだ。それを、怒りに任せて馬鹿にしたような言い方をするなど、小雪の本当の気持ちを知っている俺からすれば、かえって痛々しい。

 そして。

「亜希さんも、もう薄々気付いているはずです。小雪が、ただアニメや生放送を見て、てきとーに過ごしているだけの人間じゃないことくらい。先に小雪がふっかけたのは事実ですけど、先に手を出そうとしたのは亜希さんです。もうちょっと、考えてください」

 亜希さんは、そんなこと知らないと拗ねるように顔を背けた。

 午前中、小雪は文書ファイルのことを隠したけれど、亜希さんは明らかになにかあるのだと気付いていた。小雪は自傷行為からその後、立て続けに亜希さんや広木でさえなにがあったのか分からないという行動を取っていたのだ。基本的に自分の夢を優先的に追っている亜希さんだが、頭の回転が速く、後輩想いの優しい先輩だということは既知の事実だ。小雪が本気になって広木のためになにかしようとしていることに対して、殴りかかろうとするのは、さすがに行き過ぎだろう。


 最後に。


「二人とも、言いたいことがある」


 さっきの言い争いを見て、俺が感じたこと。それは、



「今、この現場を広木が見たら、どう思うだろうな?」



 小雪は広木が残した言葉を、と言った。

 亜希さんは広木のことを真剣に考えるなら、と言った。

 だけど、そうじゃない。

 広木が、唯一絶対にしていたもの。

 それは、恋愛でも、親への恩返しでも、自分がどう死ぬかでも、どう見送られたいかでもなく、ただ、一つ。


『毎日を楽しく、ハッピーな気分で過ごす。それが俺のモットーだ』


 これだけ、なのだ。

「でもっ!」

 小雪は、ばっと顔をあげて、なにかをまだ言おうとした。

「でも……私は――だって……っ!」

 けど、それは言葉にならず、涙となって溢れ出た。

「……帰る」

 亜希さんは、前触れなく、幽霊かなにかのようにゆらりと立ち上がり、よろよろしながら出て行こうとする。俺の横を通り過ぎる際、ショートカットの髪の毛の合間に、濡れた瞳が見えた。

「夏希君」

 ドアを開けたところで、亜希さんは立ち止まり。

「すまなかった」

 それだけ言って、今度こそ、部屋から出て行った。

 俺は、心の中で、こっちこそすみませんでしたと謝る。

「小雪」

「~~~~~~~っ!」

 泣き崩れる小雪を抱き寄せて、俺は四人掛けのテーブルを見つめる。

 本当に、どちらが悪いということではない。

 小雪が友達を想う気持ちは、十分知っている。広木が残した言葉を受け止め、書き残し、それを実現させようとした小雪に間違いはなかっただろう。嘘でもいいから、と小雪は言った。一方から見れば間違いに思えるかもしれないが、頭ごなしに否定することなどできるわけがない。最後だから、この瞬間を逃してしまったらもうなにもしてあげられないから、必死になっていたのだ。誰よりも周りのことを気にかけている小雪に、悪意があろうはずがない。小雪は本気で、広木のためを思って叫んでいたのだ。

 反面。亜希さんの言うことだって、決して間違いではないだろう。

 小雪は否定していたけれど、俺の中で引っかかっていたモノを亜希さんは言葉にしてみせた。それは「ただ自分のやりたいことを広木君の言葉が残っているのを良いことにやろうとしているだけだ」という言葉。完全に、否定できるかと言わると、詰まってしまう。広木自身の言葉が残っていたから気付くのが遅れたが、俺と小雪はどこかで「広木のために」ではなく、「広木のためにしてあげたい」という気持ちで動いていた。それは、相手のためのように見えて、実は相手のためになっていない。自分たちの、自己満足だ。亜希さんはそれに気付き、それでは駄目だと、声を荒げたのだ。自分たちがしたいことではなく、広木がして欲しいことはなんなのかを考えて、答えを出してきたのだ。

 ただ、亜希さんの答えは、ある種、残酷でもある。

 もう他の案を考える時間が残っていない中で、亜希さんは駄目だと突きつけてきたのだ。たとえ自己満足であろうと、少なくとも、広木のことを考えて思い付いた案なのは間違いないのだ。それを、やるなと、するなと言うのだ。

 友達を一番に思い、最後くらい本人が言っていたことを叶えてあげたいと願う小雪にとって、それがどれだけ腹立たしかったことか、ちょっと考えればすぐ分かる。小雪の反応が過剰で、いくらなんでも言い過ぎだと非難したけれど――俺だって亜希さんの言葉全てを受け入れられるわけじゃない。ちょっとくらい、なにかをやらせてくれてもいいじゃないかと思う。亜希さんがオーケーさえ出してくれれば、気持ち良く送り出させたかもしれないのだ。

 そう思いつつ、それでも、俺が動かなかったのは。

 亜希さんが、俺たちの気持ちすら理解していた節があったからで。

 その上で、亜希さんが自己満足じゃダメだと突きつけて気がしたからで。


「しゃーない……か」


 広木の口癖を、なんとなく呟いてみて。

「……? なつ、き?」

 俺は、そこで始めて、涙が出た。

 自分の上に水滴が落ちて来たことを不審に思ったらしい小雪が、涙でくしゃくしゃになった顔を上げてきた。俺は「わり」と手の甲で頬を擦ったが――。


「……いいよ。一緒に――」


 小雪に、泣き笑いの表情を浮かべられ。



 なにが一緒に、なのかはよく分からなかったが、俺たちは、暫くの間二人そろって涙を流し続けた。


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