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「ちょっといいかな。確認したいことがある」
二分ほどが経過したところで、俯いていた亜希さんが顔をあげた。
「広木君が、わたしのことを……好き、と、いうのは、分かっていた。それは、いい。ただ、もしも、実際にそんなことをするとしたら、細かい段取りや施設職員の許可も取らないといけないだろう? 瀕死の息子を思うご家族の意思だってある。今から、そんなことができると思っているのか?」
俺も考えた不安要素に、亜希さんも思い至ったらしい。
もし亜希さんがオーケーしてくれたとしても、避けては通れない問題だ。
俺は促すように小雪へ視線を向ける。発案者はあくまで小雪だ。
彼女がここでどう反応するか――
「できるよ。やる。やってみせる。亜希姉さえ、良ければ」
とか思っていたら、小雪は即答した。
気持ちいいくらいすっぱりと、やってみせると言ってのけた。
大切な友達のために、そのくらいはやってみせると、決意を口にしてみせた。
「そうか……そう、だろうな。そのくらいでなければ……」
亜希さんはその反応を見て、さらに考え込む。
小雪は真剣な面持ちで亜希さんをじっと見据える。
思った通り、亜希さんに話してみた感触は悪くはない。即答できるような話ではないから、多少時間がかかるとは思っていたが、時間がかかっているだけで、ほとんど反論が出てこないのだ。ひょっとしたら、小雪の姿勢も、あるのかもしれない。
小雪も同じように感じたらしく、亜希さんをしっかりと見据えながらも「いける」という雰囲気が漂い始めていた。テーブルの下で拳をぎゅっと握り、亜希さんの言葉を待ちわびている。
「……」
ただ、そんな緊張感のある中で、俺はどこか、引っかかりを覚えていた。
結婚式なんていう突拍子もないことをするのだから、違和感なりなんなりがあっておかしくはない。だが、それとは別に、なにか、「違うんじゃないか」という気がしているのだ。でも間違っているとは思えない。広木のためになにかしたいというのは本心だし、小雪が友達を想う気持ちにも嘘偽りはない。実際に広木の口から聞いた言葉をもとにしているのだから、そこにも間違いはないだろう。広木の気持ちを勝手に言ってしまっていいのかという問題もあるが、亜希さんは「分かっていた」とさっき言っていた。一緒に暮らしている中で、薄々、感づいていた部分もあったのかもしれない。そうなると、広木自身が言わずとも、亜希さんには最初から伝わっていたことになる。その問題も、深く考える必要はなくなったと言っていいだろう。
ただ、それでも、ほんの少し。
これでいいのだろうか、という気持ちがあった。
「小雪ちゃん、広木君」
そんな、小さな不安を裏付けるかのように。
「申し訳ないが、ちょっと、考えさせてもらっていいかな?」
亜希さんは、すんなりオーケーを出さなかった。
「え、どうして?」
小雪は心底分からないという顔をする。
「二人のその提案は、悪くはない、とわたしも思う」
「じゃあ――」
「けどね、主役は広木で、相手は、わたしだ。いきなり言われて、はい分かりましたって言えるほど、軽い問題じゃない。二人は外から見る側かもしれないが、わたしはそうじゃないんだ。……時間がないのは承知している。だから、そうだな……。今日中、いや、夕食前までには、答えを出す。それまで、待ってもらっていいかな?」
小雪は、それを聞いて黙る。黙らざるを得なくなる。物凄く不満そうだったけど。
亜希さんの言う通りだったからだ。俺や小雪の案、とは言っても、俺たちが主役をやるわけではない。いくら時間がなくても、亜希さんが嫌々やるようでは、なんの意味もないのだ。大切なのは、二人が結ばれる、ということだ。それが広木のためなのだ。
「分かりました」
黙ってしまった小雪に代わり、俺が答える。
「じゃあ、決まったら、俺らの部屋に来てください。待ってますから」
「ああ」
亜希さんは短く言って、そのまま熟考タイムに入ってしまう。
俺は小雪を連れて、またあとでと部屋を出る。
亜希さんは、その間も、テーブルだけを凝視して、考え込んでいた。
◆
亜希さんが答えを出すのを待っている間、何もしないでいるのも落ち着かないので、俺と小雪は下準備を始めていた。亜希さんの答えを待ってからとなるため、行動に移すことこそできないものの、誰を説得し、どんなことを具体的に行うのか、細部まで話し合った。
「……雨、降って来たみたいだな」
午後四時頃、突然、窓ガラスが悲鳴を上げた。風向きもあるだろうが、かなり強い雨が降って来たようで、一気に部屋の中が暗くなる。今日はもとから天気が良いとは言い難く、今までも晴れていたわけではなかったが。突然の天候不順だった。
「電気、付けるか」
立ち上がり、電気を付ける。
小雪はその間も、必死になってキーボードを叩き続けている。話し合ったことは全て、パソコンに打ち込んでいるのだ。キーボードに慣れている小雪は、手書きよりもよっぽどそっちの方が早い。真似しようと思っても決して真似できない早さだった。
「広木、今のところは変わりないみたいだったな」
「そうだね」
一時間ほど前、広木の様子を二人で見に行った。親御さんがずっと一緒にいるらしく、少し気が引けたのだが、顔を見ておきたかったのだ。
小雪は広木の顔を見た途端、また涙が溢れてしまったが、今度は下を向かなかった。親御さんたちがいる手前、自分たちがなにを考えているのか口にすることはできなかったが、小雪は一言「もうちょっとだけ頑張って」と優しく声をかけていた。
俺はさらに小雪と言葉を交わしながら、思う。
そろそろ、タイムリミットが近づいてきている。
初雪荘の夕食は、午後六時半からだ。その前には食堂へ集まらなければならないため、実際はもうちょっと早く行動を移さなければならない。
小雪は大丈夫と信じて疑わない様子だが、俺は先ほど亜希さんと話している時に感じた妙な引っかかりを、まだ拭えずにいた。
と。
「来た、かな?」
コンコンと一応ノックする音が聞こえ、ドアが開けられる音が響いた。
足音が近づき、「入るよ」と一言声がかかり、ガチャリ。
「って、亜希さん、大丈夫ですかっ!」
姿を現した亜希さんの姿にびっくりする。
亜希さんはびしょびしょに濡れていた。
たぶん中庭か屋上辺りにでもいたのだろう。急に強い雨に降られ、逃げる間もなく――違う。いくらなんでも、濡れ過ぎだ。体の凹凸がはっきりと分かるくらい服が張り付き、髪の毛からぽたぽたと雫が垂れている。あえて、施設内に戻らなかったのだ。
「亜希姉、タオル――」
「いい」
さすがに小雪も慌てて立ち上がり、タオルを取ろうと動き出すが、当の亜希さんがそれを制する。なおも心配そうな顔をする小雪に、大丈夫だから、と。
それから、
「答え、出したよ」
亜希さんは、俺と小雪を交互に見つめて、はっきりとそう口にした。
小雪と俺は、それを聞いて、亜希さんの心配より緊張感の方が勝るのを感じた。
亜希さんは一度、視線を下に向けてから、なにかを振り切るように、俺たちに挑戦するかのような視線を向けて、
「結婚式なんて案は、受け入れられない」
強く、言い放った。




