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初雪草  作者: 彩坂初雪
第二章
15/40

2-7

「ただいま」

「あっ、と。……えっと、お、おかえり~」

 ベッド上で女の子座りしている小雪が出迎えてくれる。

 少し、挙動不審な気がした。ひょっとして、まだ帰るべき時間ではなかっただろうか。

「は、早かったね」

「あー、なんか広木の親御さんが来ててな。部屋の前で亜希さんと会って、ちょっと話してから帰って来た。もし邪魔なようならすぐ出て行くけど?」

 手早く説明しつつ、あまり気を遣わせないよう、こちらから申し出る。

「……?」

 と、おや?

「小雪、どしたこれ?」

 テーブルの前まで来たところで、そこにあったモノに目がいく。

「あー、えっと、ちょっと切っちゃって……」

「切った……?」

 小雪の言葉を反芻しながら、目を瞬かせる。

 テーブルの上には、小雪が使っている可愛らしい筆箱が置いてあった。それは、いい。問題は、チャックが開きっぱなしになっているその筆箱の中に、カッターがあること。それも、刃が出ている状態で。そこまでは、まだいい。だが――


 異様なほど血らしきものが、その刃に付着していた。


「……」

 沈黙が流れる。

 どう見ても、おかしい。

 普通、なんらかの事故で指、ないしは手、腕を切ってしまった後、それをそのまま筆箱に入れるだろうか。そもそも、普通、事故で指や手を切ってしまった場合、刃にべっとりと痕が残るくらい血が付着するものなのだろうか?

 さらに。

「あ、あはは」

 誤魔化すような笑みを浮かべている小雪は、どうして体を隠すようにタオルケットを全身に巻いているのだろうか。これは、ひょっとして。

「小雪」

「なに?」

「見せろ」

 思わず、キツイ口調になってしまった。

 壮絶に、嫌な予感がした。

 その言葉は知っている。

 だが、それを実践しているヤツになど、出会ったことがない。

「な、なにを?」

「たぶん……手首、か、腕だろ? 見せてくれ」

「嫌」

「いいから」

 ベッド脇まで近づいて、ほとんど睨み付けて言うと、小雪は目を逸らしつつも、誤魔化せないと判断したのか、タオルケットをぱさりと落とした。そこには。


 血だらけになった、真っ白な左腕があった。


「小雪……っ!」

 絶句した。アームカット、というヤツだろう。自分で、自分の腕を切ったのだ。

 相当深く切ったのか、まだ出血が止まっておらず、次から次へと血が溢れていた。

「先生呼んでくるぞ、いいな!」

 とっさにそう叫んで、足が動いていた。

 死に繋がるような出血量には見えないが、放っておけば治るというレベルではないように思えた。どうしてそんなことをしているのかとか、そんなことを考える前に、俺は先生――医者を呼ぶため、ドアへ駆け出した。が、


「やめて!」


 俺がドアを開けた直後、背後から悲鳴のような声が届いた。

「お願いだから、やめて」

 立ち止まって振り向くと、小雪がベッドから立ち上がり、真剣な眼差しを送ってきた。

「でも、それヤバイだろ」

「ホントに、大丈夫だから。いつものことだから、そのうち血は止まる。だから、わざわざ先生呼びに行くとかしなくていいよ」

 一字一句、はっきりとした声音で小雪はそう言った。

 イツモノコトダカラ。

「……」

 なにか事情があるのは察した。

 しかし、視線を彼女の左腕に移せば、腕から流れた血が指まで伝り、ポタリと床に落ちるのが目に映る。本当に、大丈夫なのだろうか。

 どう動くべきか迷っていると――


「絶対、誰にも言わないで。いい?」


 小雪は、何故か、筆箱の中に手をやり。


「おい、なんの冗談だ?」


 カッターを、取り出した。

 刃を、こちらへ向けて来る。


「いいから。約束して」

 血が伝う手でカッターを握りしめ、小雪は言ってくる。

 完全な、脅迫だ。

「お願いだから」

 懇願するような言葉で、しかし、否を許さないという行動で、小雪が迫ってくる。

 どんどんカッターが目の前に迫ってくる。

 俺は反射的に両手を頭の高さまで上げて、後ずさる。

「小雪、なにやってんのか分かってるか?」

 どう見ても、正気じゃない。

「夏希、約束、して」

 聞く耳を持たず、小雪はただただ『誰にも言わないこと』を要求してくる。

 そうこうしてる間に、俺の背中が壁にぶつかり。

「――っ!」

 血まみれの手に握られたカッターが目の前に近づいてきた。

 面倒くさがりではあっても基本的に人当たりは良く、気も利く彼女が、どうしてこんなことをしているのか分からない。分からないが、とにかくここは――


「わ、分かった! 分かったから! だ、誰にも言わない。それで、いいだろ?」


 この場をやり過ごすことを優先し、俺はそう叫んだ。

「本当?」

「本当だ」

 泣きそうな顔で尋ねて来る彼女に、極めて真剣な表情で頷く。

 すると、

「ありがと」

 小雪は安堵の息を吐いて、カッターの刃をきりきりとしまってくれた。

 ぶわっと嫌な汗が体中から吹き出し、流れ落ちた。

「……」

 彼女はカッターを自分の筆箱の中へとしまい、ベッドに寝転がる。慣れた様子でティッシュを左腕に当て、それ以上なにをするわけでもなく、ぼんやりとしていた。

 そんな小雪を少しの間眺めてから、

「シャワー、浴びてくる」

 この状況で、彼女と同じ空間にいることが耐えられず、俺はぼそっとそう言ってからシャワールームに逃げ込んだ。


 監視するように、俺のその行動をちらっと見て来た小雪は、本気で怖かった。


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