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「あなた、ていこくのひと?」


 巫女服獣耳の少女は、愛おしそうに伊勢の戦闘服に縫い付けてある日章旗のワッペンを指でなぞった。

 その仕草だけでも、紳士の伊勢には十分ご飯のおかずになった。

 しかし、少女の言葉が気になる。

 彼女の言う「ていこく」とは、いったい何を指しているのだろうか。

 日本の国旗である日章旗を見て連想できる帝国となると、やはり一つしかない。


「確かに俺の国は、70年以上前は大日本帝國と号していたけど……」


 戸惑い気味に呟いた伊勢の言葉に、少女はパッと顔を輝かせた。

 そしてなんと、少女は伊勢の胸に飛び込むようにして抱きついてきたのだ。

 何だこれは。いったい何が起きているんだ。

 反射的に少女を抱きとめながら、伊勢は混乱した。着やせするタイプなのだろうか、意外とある。

 ご褒美以外のなにものでもないが、いつまでもそのままにしておくわけにもいかない。


「ちょ、ちょっと待って。落ち着いて」


 名残惜しく思いながらも、伊勢はなけなしの理性を総動員して、やんわりと少女を引き離した。


「ていこくのひと! ひいおじいさまとおなじ!」

「曾……お爺様……?」


 意外な言葉に、伊勢は少女の両肩を掴み、彼女の目を真っ直ぐに覗き込んだ。


「君の曾お爺さん。その人は、日本人だったのかい?」


 伊勢の質問に、少女はしっかりと頷いた。

 その様子は、どこか誇らしげですらあった。


「だから、ていこくのことば、すこしわかる、ます」


 吉岡駐屯地のある吉岡町には、古くから神隠しの伝承があることを、伊勢は唐突に思い出した。

 大東亜戦争末期、吉岡駐屯地に所在していた旧帝国陸軍の部隊が、終戦直前に行方不明になっていたことを。

 行方不明になったのは、米軍の着上陸作戦に備え、関東方面への移動を開始していた戦車連隊と随伴の歩兵連隊だったと言われている。

 戦後の混乱期に詳しい情報は失われてしまい、謎の失踪を遂げた部隊として、何度かオカルト番組に取り上げられたこともあった。


「このかみ、みみのいろ……しっぽ」


 少女は頭頂部から毛先にかけて、白から黒にグラデーションが掛かっている自分の髪と、ついで同じような色合いの狼のような耳を指でつまみ、最後に自分の尻尾を、伊勢の前に差し出すようにして示した。

 尻尾も髪や耳の体毛と同じく、根元は純白だが、外側にいくにつれて色が濃くなり、先端部分は日本人の髪の色と同じ黒色になっていた。


「ていこくのひとの、あかし」


 つまり、この子は、日本人――おそらく、行方不明になった旧帝国軍人――と、現地人とのクォーターなのだ。

 そして、彼女の言葉通りなら、日本人の血が混じっていると、髪や耳、尻尾の色が先端部分に行くにつれて色が濃くなっていき、日本人の髪の色のような黒一色になるのだろう。


「このふく。おじいさま。いう。いった。ていこくの、しゅくじょのあかし……ちがう?」

「違わない! 違わないとも!」


 若干不安そうに上目遣いになる彼女に、伊勢は必要以上に力強く肯定して見せた。

 少女の言葉に、伊勢は歓喜と驚愕にその身を打ち奮わせた。

 なんと、はるか70年以上も前に、自分と同じ紳士が存在したのだ。

 巫女服こそが淑女の証とは、大変良く分っていらっしゃる。

 名も知らない偉大な大先輩。ありがとうございます。

 でも、欲を言うのなら、捻襠袴ではなく、行灯袴を広めて欲しかったです。サー。


「ていこくのひと。みんなのところ、あないする」


 満面の笑みを浮かべ、少女は伊勢の手を引っ張った。

 彼女の言葉が真実ならば、彼女と同じ淑女の群れが伊勢を待っていることだろう。

 その素晴らしい楽園の光景に心を奪われそうになるが、伊勢も自衛官である。

 まずは、上官に報告して指示を仰がなくてはならない。

 それに加えて、迂闊に彼女達の集落を訪れることで、彼女達が免疫を持っていないウイルスを持ち込んでしまう可能性がある。

 もちろん、逆の可能性もだ。

 70年以上前に訪れた日本人が定着しているところから見て、その可能性は低いかもしれないが、それでも警戒は必要だ。


「ちょっと待ってくれるかな。君の事を仲間に報告しなければならない」


 伊勢が言うと、彼女は信頼しきった表情で素直に頷いた。




「あなたの階級は!?」

「二等陸佐です」

「偉いの!?」

「偉いかどうかは判りませんが、この吉岡駐屯地と駐屯部隊の責任者であります」


 伊勢が理想の巫女さん(の格好をした少女)と、彼にとって運命の邂逅を果たしていたちょうどその頃。

 一通りの指示を出し終えた駐屯地司令の桂根は、民間人への状況説明を行っているところだった。


「要求はただ一つです! 自衛隊による不当な監禁行為を私達市民は赦しません! 直ちに私達を解放しなさい!」


 偉そうに指を突きつけながら、平和主義者のリーダーはのたまった。

 いちいち、平和主義者のリーダーと記述するのも面倒なので、以下「指」と呼称することにする。

 某「我が党」の殺人未遂ダイブ議員が一時期付けられていた渾名と同じだが、単なる偶然である。


「そうだそうだ! 早く解放しろ!」

「自衛隊の人権侵害を決して赦さないぞ!」

「ゆるさないぞおおお!」


 息を吹き返したように再び始まったシュプレヒコールに、先程まで彼らと相対していた吹浦は、苦笑気味に肩を竦め、桂根は困ったように頬を掻き、PXや食堂の店員達は、ゴミを見るような目で眉を顰めた。


「皆さんのご不満やご不安はごもっともです。皆さんの安全を考慮して、講堂に退避していただきましたが、ようやくご説明差し上げる準備ができました」


 桂根の言葉に講堂内がどよめいた。


「おせえんだよ、ボケ!」

「もっとはやくしろよ、税金泥棒のクズが!」


 もちろん、そんな口汚い罵声を浴びせるのは、自称平和主義者と不愉快な仲間達だ。

 口では「ヘーワ」だとか「センソーハンタイ」などとお題目を唱えてはいるが、実体はこれだ。これが彼らの本性だ。


「皆さんご自身で目にしたとおり、現在、駐屯地の外の様子が奇妙なことになっています。現在、部隊による調査を行っているところであります。それについて分ったことですが……」


 桂根は、現時点で判明していることをかいつまんで説明した。

 突然光に包まれたと思ったら、駐屯地の周辺が様変わりしており、鬱蒼とした森に変貌していること。

 駐屯地の外との連絡が一切取れない状態になっていること。

 現在、偵察部隊を編成して、周辺の調査に当たっていること……

 もっとも、調査を始めた段階であり、説明できる内容など無いに等しい。

 それでもあえて説明に踏み切ったのは、民間人に対する不安を和らげるためだ。


「……以上のことにより、この場所が我々がもともといた場所とは異なる事が判明しました」

「何よそれ! 何も分ってないってことじゃない!」

「いい加減にしろ! ここから出せ!」


 予想通りの反応が飛び交った後、桂根は言葉を続けた。


「皆様にはご不便をお掛けいたしますが、安全ため、今しばらくの間、我々の指示に従っていただきたく――」

「ふざけないで!」

「出せ! ここから出せ!」

「……出して差し上げたとして、その後はどうなさるのですか?」

「決まっているでしょう! あなた達の横暴を訴えるわ!」


 指が桂根に指を突きつけながら、金切り声を上げた。


「繰り返しになりますが、駐屯地の外は鬱蒼とした森になっています。みなさんの乗りつけて来た車もありません。どうやって、街まで戻るのですか?」

「ううう、うるさい! そんなこと聞いてない! 早くここから出せ! 元の場所に戻せ!」


 桂根は冷静に事実だけを指摘したのだが、平和主義者にはまともな理論は通用しない。

 彼らの耳は、自分の望む言葉しか聞こえず、彼らの脳は、自分の思い描く都合のよい理屈しか理解できないのだ。

 日本の場合、いい年こいて左翼活動家なんてやっている連中は、基本的に頭が悪い。

 何故なら、自分達の主張とやっていることの矛盾点にすら気が付いていないからだ。

 社会経験の乏しい若い時分になら、「平和」だとか「人権」だとか「平等」だとか言った耳障りの良い言葉に共感を覚え、傾倒するのはある意味仕方が無いが、たいていの人は自分達の主張の矛盾点に気付いてしまう。

 戦争反対だとか人権を守れだとかがなり立てる割には、支那による軍事的恫喝や南朝鮮による常軌を逸した反日活動、人権蹂躙の産物である北朝鮮による日本人拉致被害など、それらのことには一切目を瞑っているのは何故か。

 在日朝鮮人に対して「祖国に帰れ」と言うのはヘイトスピーチなのに、日本人や在日米軍に対する暴言が許されるのは何故か。

 そもそも、ヘイトの基準がどこにあるのか。

 そんなごくごく当たり前の疑問が沸いて出るわけだ。

 そうやって、まともな人々は左翼と称した反社会活動から遠ざかっていくのだが、不幸にしてそれに気づくことが出来なかった一部の「エリート」活動家は電波を垂れ流し続け、一般の人々からドン引きされていくのだ。


「あ、あの。ちょっと質問なんですけど……」


 発狂する平和主義者に怯えた視線を送りつつ、PXで働いている若い女性の一人が、おずおずと手を上げた。

 一昔前の文学少女的なお下げと黒縁眼鏡、顔に浮いたそばかすが、今時珍しい昭和の純朴さを醸し出している。

 PXで働く若い女性は3人居るが、男性隊士の間では、彼女が嫁にしたい人ナンバーワンの人気であることを桂根は思い出した。


「はい、どうぞ」

「ええと……つまり、ここって、異世界ってことなんですか?」


 周囲の視線にやや縮こまりながら、彼女は言った。

 彼女の言葉に周囲がざわつく。


「はっきりとしたことが分っていない以上、明言は出来かねますが、その可能性が高いかと思われます」

「な、何を馬鹿な――」


 指が本日何度目かになる癇癪を起しそうになった時、桂根の携帯電話が鳴った。

 今度のは、先程とは違い、まともな着信音だった。


「ちょっと失礼します……どうした? 何、本当か! わかった、すぐ行く」


 携帯を閉じると、桂根は行動に居る民間人達に向き直った。


「たった今、偵察部隊より、この世界の住人らしい人間との接触に成功したとの報告がありました」


 本来ならば、偵察により持ち帰った情報を民間人に開示することなどありえない話なのだが、今回は状況が状況だ。

 正規の軍事作戦ではないし、情報を与えることで、民間人の不信感や不安を少しでも払拭する必要があった。


「人が住んでいるのか?」

「それって、もしかして、異世界人……?」

「異世界人って、エルフとか……?」


 とたんに周囲が色めき立つ。

 怒りのやり場をなくした指は、顔を引き攣らせながら震えていたが、誰も彼女に注意など払っては居なかった。

 お仲間の平和主義者達でさえも。


「状況の確認のため、いったん本部に戻ります。新たな情報が入り次第、ここにいる吹浦を通して、皆様にお伝えします……それじゃ、頼んだぞ」

「は~い。お任せください~」


 緊張感の欠片もない吹浦の声に見送られて、桂根は講堂を後にした。

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