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突然の異常事態に、吉岡駐屯地は状況確認に大わらわだった。
目が眩むほどのまばゆい光に包まれ、気がついたときには、駐屯地の周囲の景色が様変わりしていた。
正門に面していた国道や付近の民家は跡形も無く消えうせ、周囲を深い森に囲まれていたからだ。
翌日の創立記念行事の準備に追われていた隊士達は驚愕した。
驚愕はしたが、即座にそれが有事であることをすぐさま理解した。
こんな異常事態にも関わらず、即応態勢を整え営庭に車両を集結させたのはさすがだ。
車両の側面に、いちいち「災害派遣」の横断幕が垂れ下がっているのが、いかにも自衛隊らしい。
吉岡駐屯地司令を兼任する第6戦車大隊長、桂根二等陸佐は、直ちに幹部を招集し、状況の確認に務めていた。
「他の駐屯地との通信は復旧したかい?」
非常時とは思えない軽薄な口調で、桂根は基地システム通信部隊吉岡派遣隊の隊長を務める二等陸尉に尋ねた。
「苦竹駐屯地の方面隊司令部をはじめ、丸山、若林、大沼の各駐屯地及び、補給処である初原分屯地、航空自衛隊矢本基地とも通信は途絶えています」
「ふーむ。そりゃ困ったなぁ」
あまり困ってもいなさそうに呟くと、やや広くなった額をぺちんと叩いて、椅子に凭れ掛かった。
「駐屯地の周辺は、森が広がっており、人工的な建造物が一切見当たりません。あくまで、駐屯地内からの観測でしかありませんが」
「ふーむ……」
第6偵察隊隊長の報告に、桂根は腕組みをしつつ考え込んだ。
幕僚連中は、最高指揮官の判断を固唾を飲んで見守る。
突然の光、周辺との連絡の途絶、周囲の景色の一変。これは、やはり。
『ヘーイ提督ゥ、触ってもいいけどさぁ、時間と場所をわきまえなYO! ヘーイ提督ゥ、触ってもいいけどさぁ、時間と場所をわきまえなYO! ヘーイテイト……ブチッ』
「ああ、悪ィ悪ィ。マナーモードにすんの忘れてたわ」
一同の視線が集中する中、桂根はいそいそと携帯のアラームを切った。
「司令。今のは……?」
「ただのアラームだよ」
極力平静を装い、桂根はすっとぼけるように言った。
まさか、官給品である駐屯地のPCで、ソーシャルネットワークゲームをプレイしていたなんてことは、口が裂けても言えない。
遠征から戻ってくる時間にアラームを合わせていたなんて、言えるわけが無い。
「まあ、あれだ。早い話、ここは異世界だろ。異世界」
天気の話しでもするかのようなさり気ない口調で、桂根は言ってのけた。
予想もしていなかった発言に幕僚達は、困惑したように顔を見合わせた。
「司令、それはどういうことでしょうか?」
全員の心中を代弁するかのように、幕僚の一人がおずおずと質問した。
「どうって、言葉通りの意味だよ。俺達が今まで居たM県K郡吉岡町から、何かの理由で別の場所に移動しちまったってことさ。戦国自衛隊みたいなノリでな」
然も当然とばかりに言い放つ桂根に、幕僚達は何言ってんだこいつ、みたいな表情になった。
「今の我々の置かれた状況から、そう判断するのが妥当だと思うぞ? 近隣の駐屯地や基地とは通信途絶。ネットもGPSも死亡。テレビも砂嵐状態。おまけに周囲の景色は、見たことも無い森林地帯と来たもんだ」
桂根は一反言葉を区切り、幕僚達の顔を順に見渡した。
「それ以外で、有力な意見があるなら、是非とも述べてくれ」
そう言われてしまうと、誰も異論を口にすることは出来なかった。
異世界という言葉があまりにも突拍子過ぎて、無条件で拒絶しかけたが、他に妥当な考えがあったわけでもない。
「まあ、とにかく、だ。偵察隊長」
「はっ」
偵察隊長は桂根に向き直った。
「まずは周辺の偵察だな。周囲の状況の確認。特に、駐屯地付近で巻き込まれてしまった民間人などが居ないか、捜索も行ってくれ」
「了解しました」
「通信隊長」
「はっ」
「無駄だと思うが、通信の復旧に努めてくれ。もし復旧が適えば、また別の可能性が見えてくる。それと、各部隊へ要員を派遣し、部隊間での連携に支障が無いよう務めてくれ」
一転して矢継ぎ早に指示を出し始めた指揮官に、幕僚達は慌しく動き始めた。
指揮官が決断したのだから、それに従うのが自衛隊だ。
結論の出ない議論に無駄な時間を費やすより、出来る範囲で最善を尽くすことで、気が紛れるという思いもあった。
「第1、第2戦車中隊は、即応態勢で待機。そういう事態が起こるとは考えたくは無いが、何時でも動けるようにしておけ」
麾下の部隊に一通りの指示を出した後、桂根は、最も大事なことを失念していたことに気付いた。
「ああ、そうだ。現地の人間……というか、知的生命体に遭遇した場合、極力平和的に解決するよう、対話を心がけろ」
そこでいったん言葉を区切り、桂根は口を開いた。
「ただし、相手がそれを望まない場合は、武器の使用を躊躇うな。自身の安全を最優先としろ」
「し、司令。それは早計なのでは……」
あっさりと武器使用許可を出してしまった司令官に、第6戦車大隊において、本部管理中隊の中隊長を務める一等陸尉が狼狽した。
「一尉。隊士に殉職者を出すわけには行かない。弾薬や装備などの物的な消費や損失ならともかくな」
実際には、死人が出なくても、備品の紛失などという事態が発生したら、スミマセンどころでは済まない。
空薬莢1個まで厳密に管理されているのが自衛隊なのだ。
「そんときは、俺がヘコヘコ頭を下げるか、左遷されれば済む話だ。大したことじゃあない」
本気とも冗談とも付かない口調で、ヒラヒラと手を振ってみせるが、桂根の目は一切笑っていなかった。
「まあ、最悪の事態は極力避ける。それが大前提であることは忘れるな」
桂根は、現在の会議室を対策本部とし、本部管理中隊の要員を配置することを決定した。
中隊長、小隊長クラスの各部隊指揮官は、命令下達のため、それぞれの指揮する部隊へと向かった。
今この場に残っているのは、本部管理中隊の司令部要員だけだった。
「司令」
声を掛けたのは、先程の一等陸尉だった。
「なんだ。まだ何かあるか?」
「民間人の処遇については、どうします?」
「ああ! 忘れてた!」
忘れんなよ、とその場に居た全員が心の中で突っ込みを入れた。
ちなみに、この場に居た全員の意識にあった民間人とは、駐屯地内のPXや食堂で働いている店員のおばちゃん等では無い。
彼女らも民間人ではあるが、隊士の殆どとは顔見知りであり、ほぼ身内のようなものだからだ。
このとき、司令官である桂根をはじめ、隊士達の頭にあった民間人とは、駐屯地前で交通渋滞を引き起こした挙句、今回の騒動に巻き込まれた特定日本人のことだった。
「まあ、それについては、後で俺が説明するわー」
投げやり気味に頭をバリバリ掻きまわすと、心底嫌そうに吐き捨てた。
指揮者である司令官自らが説明するものでもないが、何様のつもりか知らないが、その手の連中は、地位の高い人間からの説明でなければ納得しないばかりか、話を聞こうとすらしないのだ。
放置しておいてもいいが、この非常時に下らん諍いは起こしたくはないし、勝手な行動を起こして邪魔をされては堪ったものではない。
「もし、別世界だとして、我々は元の場所に戻れるのでしょうか」
不安そうに問いかける別の隊士に、桂根はもちろんだともと大きく頷いた。
「何が何でも、元の場所に戻らにゃならん。ランクが下がっちまうからな」
「ランク……?」
「なんでもない。こっちのことだ」
桂根二等陸佐。独身。
最近、ちょっとおでこの辺りが寂しくなってきた。
趣味はネット小説を読むこと。転生モノとか異世界トリップモノとか割と好き。
自衛官というのは仮の姿。
本職は横須賀鎮守府の提督。
最近元帥になった。