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第一章 ハシバミ act.7

 室内は相変わらず静まり返っていた。

「これからどうなっちゃうんですかね」

 不安げなマルグリットの声がやけに室内に響く。

 集う面々の浮かべる表情は違えど、みな考えていることは同じだ。

 これから、どうすべきか。

「このままじゃ、また王位争いが起きるのは必至ですよね」

 寝台の横に控えていた青年が呟く。

 濃紺の瞳は哀しみをたたえ、先ほどからずっと寝台に横たわっているスリジエを見つめ続けていた。

 その手が、スリジエの額へと伸ばされる。

「イクシオ、女性に無暗に触れてはいけないよ。例え相手が、もう目を覚まさないのだとしても」

 ヴィスキオが青年に声をかける。

 イクシオと呼ばれた青年は伸ばしていた手を引き、そのまま強く握り込む。

 その様子を見ていた少女が、ゆっくりとイクシオへ手を伸ばした。

 それまでただ戸惑うばかりだった少女の行動を、室内の者が息をつめて見守る。

 少女はそのままイクシオの手を自分の両手でそっと包み込む。

 強く握りすぎたせいで白く、冷たくなった手に触れた暖かい手に、自然と強張りが溶ける。

 強張りが溶けてきたのを感じ取ったのか、少女はそっとイクシオの手をはなし、今度は一本一本丁寧に、その指を開いていく。

 すべての指を開き終えると、もう一度、自分の手で、イクシオの手のひらを包み、そしてそのまま自分の額へ優しくコツンと当てた。

 額から手を放すと、柔らかい笑顔を向ける。

「おどろいたな・・・これは、まるで・・・」

 それまで、静かに事の成り行きを見守っていたヴィスキオが呟く。

 他の者も、口には出さないものの、信じられないものを見た顔をしていた。

 唯一、状況を掴めていないマルグリットだけが、不思議そうに他の面々を見渡している。

「みなさん、どうかしたんですか」

 その声に、イリスが呟くように言葉を返す。

「これは、スリジエの『おまじない』だ」

 

『苦しかったり、哀しかったりしたときは、こうやってゆっくり力を抜いてあげるの』

『そうすれば、急には忘れられないことも、ゆっくり心に沈めていけるのよ』

『ほら、これで大丈夫』

『最後に仕上げ。苦しいことも、哀しいことも、きっと乗り越えていけますように』


 スリジエではない、スリジエとよく似た少女。

 自分の手を取る少女の姿が、スリジエの面影と重なったような錯覚を覚える。

 そのことを、軽くかぶりを振ることで思考から追い出し、イクシオは前を見据えた。

 過去のことよりも、これからの事を決めていかなければならないのだ。

 思い出をたどるのは、全てにケリがついてからでも遅くない。

 チラつく己の主の残像を振り払うように、イクシオはそっと少女から自分の手を引いた。


「王位争いを避ける方法ってないんですかね」

 マルグリットがポツりと呟いた。

 その言葉に、柔らかい男の声が堪える。

「スリジエ様が即位した後であれば、後継を指名することもできたのだろうけれど・・・」

 言葉は次第に萎んでいき、最後の方は聞き取れないほどであった。

 うつむく男に、イリスが苛立たしげに声を返す。

「カラモス、過ぎたことを言っても仕方がないだろう」

 カラモスと呼ばれた男は更に項垂れる。

 しかしエルバは一連のやり取りに笑みを深くした。


「それなら、彼女を代わりにでもするといい」

 その言葉に、その場にいた全員の視線がエルバへと集中する。

 話の中心になっている少女だけが不安そうに辺りを見回してした。

「容姿だけにとどまらず、先ほどマルグリットが指摘した通り声もよく似ている。そして、仕種さえも、どこか似通っているじゃないか。となれば、これを利用しない手はなかろうよ」

 周囲が不審な顔をする中、エルバは少女の傍らにひざまずく。

「言うに事欠いて、どこの誰とも知らない者を代わりにするだと?」

 怒気を孕んだイリスの声が空気を震わせる。

「彼女の容姿は驚くほど姫と似通っている。おそらく髪や瞳の色さえ変えてしまえば、まさに姫そのものといった容姿になるだろうよ。そうなれば、他者の目を欺くことは容易い」

 エルバが肩をすくめつつ答える。

「王の証は容姿で決まるものではない!その身に流れる血によって受け継がれるものだ!」

 イリスの激昂する声が室内に響き渡る。

 緊迫した空気が室内に立ち込めた。

 しかしエルバは意に介することなくイリスへと対峙する。

「その高貴な血の繋がりで事が万事解決するなら、今我々が頭を悩ませている王権問題も、それはそれは紳士的に型がついただろうさ」

 それは、まさしく正論であった。

 王宮内の疲弊しきった空気。

 その元凶は、血を分かち合った者達による権力争いだ。

 イリスの顔が悔しげに歪む。

 しかし、その眼光から反発の色は消えていない。

 重苦しい空気が漂う中、それまで黙していたカラモスが口を開いた。

「ずっと彼女を代役に立てるのではなくて、王権争いを避けるために、とりあえず僕らの中で意見がまとまるまで、騒ぎを起こさないために彼女を隠れ蓑に使えばいいんじゃないだろうか」

 その言葉に、部屋中の視線が、今度は不安げに瞳を揺らすカラモスへと集まる。

 オリーブ色の瞳は自分に視線が集まったことに気が付くと、浅く息を吸い、言葉を続けた。

「そもそも、今の状態を見て分かる通り、彼女に完璧な代役を務めさせることは無理じゃないかと思うんだ。でも、ほんの一時だけなら、ここにいるメンバーが協力すれば、なんとか凌げると思う。その間に、僕らで、これからどうすればいいか、誰に王位を譲るべきか、とか、そういった争いの元になることを、ある程度まで結論を出してしまえばいいと思うんだ」

 それだけ言って、もともと伏し目がちだった瞳をさらに伏せる。

 まるでこれ以上は何も言わないという意思表示のような態度だ。

 しかし、そんな男の発言で室内の空気が少しやわらいだ。

「なるほど、それで『隠れ蓑』ですか」

 ヴィスキオが思慮深げに頷いた。


「し、しかし、彼女は言葉も理解していないのですよ。そんな方に、姫の代わりを務められるとは思えません」

 メガネをかけた男が不満と不安を織り交ぜたような声を出す。

「それこそ、我々の腕の見せ所じゃないかな。セルジュ王子の元教育係にしてスリジエの現教育係アディシエル殿」

 ヴィスキオがふわり、と音がしそうな笑みを浮かべ、メガネの男へ同意を促す。

「なにも、ずっと姫の代わりをさせようというのではないよ。ただ一時、このままでは確実に起こるであろう争いを避けるため、彼女に協力してもらおうというだけのことさ」

 エルバの悪びれない言い方に、メガネの男、アディシエルは言葉を詰まらせた。

 その様子に、エルバは満足そうな笑みを浮かべる。

「これで、一通りの方向は決まったようだねぇ」

 誰ともなく、安堵のため息が漏れる。

 その中で、イリスだけが渋面を崩さずにいた。

 苛立ちが直に伝わってくる。

 しばらく無言でいたが、やがてスッと踵を返した。

「勝手にしろ。僕は知らないからな」

 そう言い捨て、部屋から出て行く。

 乱暴に閉じられた扉を見やり、エルバがやれやれとでも言いたげに肩をすくめた。


「王位争いを起こさないよう、この少女を代わりにするということは理解しました。しかし、それまでスリジエ様の御身体はどうされるのでしょうか。一国の姫君、このままではスリジエ様があまりにも・・・」

 しばらくの沈黙ののち、カラモスから声があがった。

「それなら、僕がなんとかできると思います」

 室内の視線がカラモスに集中する。

 そのことに少し焦ったようにカラモスは言葉を続ける。

「僕は兵団の中で大型資材を使用する役についているから、その資材と一緒に、姫様の御身体を安全な場所に移動させることくらいなら、なんとかできると思う」

 死後ですら、王位争いに振り回され、安らかに眠らせてやることもできない。

 そのことにイクシオは奥歯を噛み締める。

「取りかかるなら、早いに越したことはない・・・のでしょうね」

 アディシエルが小さく呟く。

 思いつめたような声音に、心なしか、部屋の空気が更に重くなったような気がする。

 短く息を吐き出して、イクシオは顔をあげた。

 スリジエを早く安らかに眠らせてやるためには、自分たちがなるべく早く、事を決める他ない。

「カラモス殿、スリジエ様を、よろしくお願いします」

 言葉とともに、深く頭を下げる。

 イクシオに対し、カラモスは浅く頷いた。

 停滞していた部屋の空気が動き出すのを感じる。

「ヴィスキオは、姫様が一命を取り留めたと各所に伝えてもらえるかい?」

 エルバがヴィスキオへ話を振ると、彼はもちろんだと返事をした。

 ヴィスキオは他者に比べて年長者である分余裕があるように見える。

 加えて、彼は上級貴族という育ちから、話をする上での演技や他人の心を掴むことに長けていた。

 今回は不治の病とまで言われている流行病から、姫が奇跡的に一命を取り留めた、という事を触れ回らなければならない。

 こういった状況において、ヴィスキオほど適当な人選は無いだろう。

 事が決まると、ヴィスキオはすぐに部屋を出て行った。

 その横顔には、先ほどまでとは打って変わって穏やかな笑みが浮かんでいる。

 ヴィスキオの役者ぶりに、そういった駆け引きを苦手とする人間が目を見張った。


「マルグリット、悪いが部屋の外にいるジリアを呼んでおくれ」

 エルバの言葉に従ってマルグリットが部屋の外にいた少女を招き入れる。

 スリジエやマルグリットと同じ年頃の少女は静かに部屋に入ると小さく頭を下げた。

「彼女を姫様そっくりにしたいから、手伝っておくれ。ワタシひとりでは、さすがに女性の飾りやなんかはわかりかねるよ」

 ジリアはスリジエと見慣れぬ少女をしばらく見比べたあと、楚々と頷いた。

「さて、ではここからがワタシの腕の見せどころかね」

 そういって、エルバは部屋に残っていたイクシオ、マルグリット、アディシエルを、あとは出来てからのお楽しみだと扉の外へ押しやった。

 イクシオは最後にもう一度、寝台に横たわるスリジエの方を見る。

 亡き姫には、訳も分からぬだろうに、姫の代わりにされようとしている少女が寄り添っていた。

 姫への忠誠と、国への憂い。

 苦渋の選択に、自分はこれから、何度も後悔するのだろう。

 そう心の隅で感じながら、部屋を後にした。


 部屋の中には、エルバ、カラモス、ジリア、スリジエ、そして俯く少女だけが残っている。

 扉が閉まると同時に、声があがった。


「さぁ、これからの事を話し合おうか」


 その声に、室内の空気が大きく動き出した。

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