第一幕 ハシバミ act.4
主を失った部屋は静寂に包まれていた。
突然現れた、姫とよく似た少女。
その少女はいま、榛色の瞳で不思議そうに室内を見回している。
「君は、いったい何者ですか?」
部屋に集まっていた者のうちの一人、ずっと寝台の横に控えていた青年が口を開いた。
その言葉に、半ば茫然としていた者も、悲しみに暮れていた者も、静観していた者も、全ての者達の視線が少女へと集まった。
問い掛けられた少女は、しかし首をかしげるばかりで答える様子が無い。
なかなか問いに答えない少女へ、今度は別の方向から声がかかる。
金の髪に、蒼翠の瞳。
どこか姫に似た容姿を持つ青年だった。
「質問に答えろ。お前は何者だ。どうやってここへ来た」
少し高圧的な響きを含む青年の声に、少女はやはり困惑した表情を浮かべる。
しかし問いに答える素振りは見せない。
その様子にしびれを切らせたのか、もう一度、同じ青年が問いを投げかける。
「問いに答えろと言って・・・」
言葉は、途中で遮られた。
それまで部屋の隅で事の流れを静観していた男が、苛立つ青年の言葉を遮ったのだ。
そしてゆっくりと少女へ近付くと、その顔をじっと見つめた。
少女の方は、相変わらず困惑した表情を浮かべてはいるが、そこから逃げ出す素振りは見せない。
しばらくそうしてから、先ほど高圧的に少女に問いを投げかけていた青年に向き直った。
「イリス、女子に対して癇癪を起してはならんよ。そんな態度では話せるものも話せんよ」
そういって、からかう様な笑みを青年へと向ける。
イリスと呼ばれた青年は顔を赤らめ、舌打ちをしてそっぽを向いた。
掴みどころのない男は、もう一度少女の方を向き、語りかけた。
「イリスは思春期でな、女子の扱に慣れておらんのだよ。このエルバ・アコニットに免じて赦してやっておくれ」
そう言ってクツクツと笑った。
少女はまた曖昧な表情をしているが、先ほどよりは少し表情が柔らかくなっている。
言葉に反応したというよりも、相手の表情につられたといった反応だ。
「もしかしたら、私たちの言葉がわかっていないのかもしれないね」
また別の方向から声が上がった。
「先ほど、スリジエ様が眠りにつかれる際、その子は何かを呟いていたけれど、私には聞き慣れないものだった。だから使用言語が違うのではないかと思ったのだけれどね」
声の主は、優雅な足取りで少女へと近づいてき、そのまま自然な流れで少女のかたわらへ片膝をつく。
そして、さりげなく少女の手をとり、にこりと微笑みかけた。
その様子に、先ほどエルバと名乗った男が感心したような声を上げる。
「おとぎ話に出てくるような、完璧な騎士の所作だねぇ。さすが貴族騎士殿」
ねぇ、と振り返る先にいるのは、イリスと呼ばれた青年だ。
彼はからかいを含む視線に、苦虫を噛み潰したような顔をした。
そんな外野の様子などお構いなしに、少女の手をとった男は深く柔らかい声で言葉を続ける。
「私の名前はヴィスキオ・ベルグ・シャルデン。ヴィスキオと呼んでください」
男はもう一度、自らに手を当てながらヴィスキオ、とだけ繰り返す。
その様子に、少女も小さくヴィスキオと繰り返した。
ヴィスキオと名乗った男は、よくできました、というように笑みを浮かべる。
その様子に、それまで成り行きを静観していた男が口を開いた。
「喋れないわけではないようですね」
安堵とも、不安ともとれる声音だ。
濃茶の髪にメガネをかけた、物腰の柔らかい姿形の男で、モスグリーンの瞳が少し不安げに揺れている。
「それにしてもこの子、本当に姫様とよく似た声ですね!」
この場にそぐわない、明るい声が響く。
声の主は16,7歳くらいの少年だ。
赤茶色の短髪がふわふわと揺れる。
「さっきちらっと喋った時も似てるなーって思ってたんですけど、姫様そのものと言っても差し支えないほどよく似た声ですよね!」
少年は興味津々とばかりに少し大きめの緑色の瞳で、少女のことを見つめている。
そんな少年の視線をくすぐったがるかのように、少女は身動ぎをした。
その様子に、ヴィスキオと名乗った男が「マルグリット、女性をその様に不躾に見つめてはいけないよ」と笑みを含みつつ諭す。
マルグリットと呼ばれた少年は「はぁーい」と返事をすると、ごめんね?と少女に笑みを向ける。
少女の方も、そんなマルグリットの態度に安堵したのか、おずおずと笑みを返した。
「それにしても、これからどうしましょうか」
ひとまず少女のことは置いておくことにしたのか、最初に声を挙げた青年が誰にともなく質問を投げかけた。
その言葉に、一度弛みかけた場の空気が、もう一度硬度を増す。
これが普通の姫の崩御であれば、このような問いは生まれなかった。
姫君の死が臣、国民へと通達され、決められた期間喪に服すだけだ。
しかし、此度の姫の場合は違う。
なぜならば、彼女は。
「まさか、王位継承の日を一週間後に控えて亡くなるなんてねぇ」
掴みどころのない声が、ため息交じりにつぶやく。
そう、彼女は。
一週間後にこの国の姫王となる存在だった。