2 少年少女の登場
まるで申し合わせたかのように、桜は一斉に咲く。
都立鶴亀高校の四月初頭も例外ではない。白い塗装が素っ気ない校門をくぐると、校舎まで続く広場があり、その広場の真ん中にはパンジーやビオラが咲いた花壇が敷かれている。その両脇の道際には、黒い幹を連ねて、白に淡く頬紅を刷いたような小さな花が、散り始めの満開を樹上で謳歌している。
学校であれば珍しくもない、しかしいつでもどこでも壮観であり、特別な風景。
黒いブレザーに、赤いリボン。黒と灰色チェックのプリーツスカート。
真新しいその制服に身を包んで、特別な春の空気を一杯に吸い込む少女がいた。
つやのある黒髪は、肩口でゆるく内側に向いてまとまり、切り揃えられた前髪の下から、好奇心に輝く黒目がちな瞳が覗く。胸にはピンク色の花がついた「おめでとう」の札をつけている。校門で上級生に付けてもらった。
いわずもがな、彼女は鶴亀高校の新入生だ。広場には彼女と同じように、胸に花をつけて校舎に向かう新入生がちらほらいる。八時。校門が開いてから、まだ早い時間だった。
桜の下で、保護者に写真を撮られている新入生の様子に目を向けながら、あの人と同じクラスになるのかも知れない、と彼女はときめかせながら歩を進めた。すべてが新鮮で、すべてが可能性を膨らましてくれる景色だった。
昇降口近くに行くと、校舎壁面に沿って掲示板が立っている。新入生がわらわらと集まる中に加わると、そこには新入生名簿が貼られていた。皆そこで自分のクラスを確認するのだ。
五十音順で並ぶ文字列が、都立鶴亀高校という難関校に入学を許された勝者たちを報知する。
都立鶴亀高校は、学力の高さもさながら、自由な校風で生徒の自主性を育てると有名な高校だ。制服はあるが、規制は緩い。積極的な課外活動やアルバイトも認めている。全ては生徒一人一人の自立を促し、任せる方針のよって成立している。早い話が、大人に小うるさく干渉されず、様々な挑戦が臨める唯一の都立高校といえる。
二年前に改装したばかりで施設も充実しているし、都会に近いから遊べる場所もある。受験の倍率は十倍を超える、人気高校なのだ。
部活を充実させたい、とか、いい大学に入りたい、とか、ボランティア活動をしたい、とか、目的意識を持って入学する生徒が多いことから、潜在的に努力家で行動力のある人物が集まる。とはいえ、目的意識を持って入学したわけでもない者も、いないわけではない。
彼女は後者だった。勉強ができて、高校が選べた。同じ高校なら鶴亀がいい、といわれるくらいには鶴亀高校は知られている。したがって、説明会へ自然と足が向いた。その時の学内の雰囲気や風紀、立地条件が気に入って、最終的に鶴亀高校を選んだのだ。
それでも、入学式を迎える喜びは他の新入生と変わらない。重苦しい受験を乗り越えて、今日、入学式を迎えられた感慨が浮かぶ。この名簿に、間違いなく自分の名前も載っているのだ。
これから、どんな人と出会うだろう。全部活が総出でパレードするという体育祭や、別名大乱闘と呼ばれる生徒総会はどんなものだろうか。気持ちを膨らませて、A組から順にマ行の人名を確認していく。そして―――
「あった」
思わず声に出していた。
「E組ですか?」
後ろから上ずった声がかかった。振り向くと、おずおずとした「新入生」がいた。
茶髪の、目がくりっとした女の子だ。緊張した面持ちで、こちらを見つめている。
頷いてみせた。
「E組です。もしかして、一緒?」
「うん。私、三藤優愛っていうの。よろしくお願いします」
どれどれ、と名簿に目を通して、あっ、と声を上げた。
「すごい、私、出席番号次だよ!偶然!」
思わず腕をとって、名簿を指差してみせた。
望月 光
「もちづき、ひかるちゃん?」
首を傾げて問う優愛に、ふふふっと悪戯ぽく笑いかけた。
「ひかる、って書いて、〝コウ〟って読むんだ」
「へぇ!」
キラキラした目が向けられた。
「格好良い名前だね」
「ありがとう。コウって呼んで」
「コウちゃん?」
「うん、じゃあ、私は優愛ちゃんって呼んでいい?」
「うん!」
とても嬉しそうな顔をして頷くものだから、光は有頂天になった。
やった、友達ができたぞ。
ほんわかと笑みを浮かべ、満足していたが、光ははたと気付いた。
優愛は長い赤みの強い茶髪をゆるくカールさせて、前髪は切り揃えていた。大きめの垂れ気味な目や、卵のように滑らかな頬や、薄いハート形の唇といった顔のパーツには、メイクをしっかりしていた。体型も小柄だがバランスが良く、全体的にお人形のようだ。
うーむ、と考える。光はすっぴんで、黒髪も天然色だ。地味系に分類されるだろうなぁと思う。見た目からしたら優愛はギャル系の方面なのではなかろうか。自分に声をかけてきたのが、不思議だ。
と、思いつつも、まあいいか、で済ませる。
考えることを止めるとか、分からないから投げ出す「まあいいか」ではない。
見た目はギャルっぽいけれど、人間のありようは光のようなタイプと近いのだろうと、短いやりとりで半分確信した上での「まあいいか」である。
そういう場合は、見た目のギャップなど大したことはないのだ。光はそう思っている。
光は優愛に笑いかけた。
「一緒に教室まで行こう!」
「うん」
嬉しげに頷く優愛と並んで、光は意気揚々と昇降口に向かって行った。
さっそく仲良くなった二人の女子が、下駄箱に向かった、その少し後のこと。
桜降る中、二つのシルエットが挑むように並立した。
真新しい、黒基調のスカートの制服。ピンクの花が付いた札。
入学式に登校してくる新入生と間違いなく同じ新入生であっても、この二人の少女の存在は際立っていた。
一人は、ゆるくウェーブのかかった長い黒髪と、吊り気味の大きな目と長い睫毛、きゅっと結んだ赤い唇が魅惑的な美少女。モデル体型で、背筋をびしっと伸ばし、自尊心の高さを感じさせる微笑みを浮かべ、優美な趣を振りまいていた。
もう一人は、ボブカットのアッシュブラウンの髪と、ヘーゼルのぱっちりした瞳、高い鼻と口角がゆるく上がった顔立ちが特徴の、剽軽な雰囲気の美人だった。顔立ちや、髪の色や瞳の色から、彼女はハーフに見えた。ひょろりとした体格で、ゆったりと構えた存在感がある。
長い黒髪の少女は、大きな瞳を輝かせて、勝気に微笑んだ。
「遂にこの日が来たわね。初めての公立高校」
対して、西洋風美人は、諦めたように溜め息をついた。
「うん。私はこれから猛勉強を強いられるわけだ。身の丈に合わない高校に進学したばかりに」
「何を言っているのよ、大丈夫よ!わたくしがいるんだから、教えて差し上げるわ。元が悪くないのだから、あなただってきっとやっていけるわ!」
「ははは」
自信満々に言う黒髪美少女に、彼女は苦笑した。
「さらば、私ののんびりライフ」
しかし、そのヘーゼルの瞳は、挑むように鶴亀高校の校舎を見据える。
躊躇なく高飛車な発言をする黒髪美少女と、後ろ向きな発言をする西洋風美人は、高校生活を楽しみにしていたことはもとより、目的があってこの高校を受験した。
鶴亀高校の校舎は、朝日に眩いばかりに白い壁を光らせている。
黒髪美少女の瞳は、自信に輝いていた。舞い散る桜の花弁さえ、あたかも彼女を引き立てるためにあるかのように。
ヘーゼルの瞳は偏差値を十五ほど無理矢理上げた苦しい記憶を見つめていた。
そして、ある思いも。
彼女たちは共通一致した意志のもとに団結し、鶴亀高校の校門をくぐる。この高校が、暗黙の内に自分たちが演じる舞台となることを予感していた。
「さて、クラスはどうなっているかしらね」
「同じかな」
「なるべく別々がいいと思うわ。関心が反らせるもの」
「・・・まあ、どうなるか分からないね」
その計画を提案したのは黒髪美少女である。自分が相方を巻き込み、そして主導権を握っている。彼女はそう思っていた。
「なるようにしかならないね」
だから、ヘーゼルの瞳が揺らいでいることも、その横顔に漲る決然とした思いにも、気付かなかった。
黒髪美少女は、きゅっと赤い唇の口角を上げ、長い睫毛が縁取る目は正鵠を射んと真っ直ぐ向く。
「行きましょう。入学式でお兄様の生徒会長ぶりが見られるのが、楽しみだわ」
黒髪美少女が一歩を踏み出し、西洋風美人は頷いて、その少し後をついていく。
鶴亀高校の生徒会長・舞浜空人を『お兄様』と呼び、それを是とする、この二人の名は、黒髪美少女を舞浜愛理珠、そして、ヘーゼルの瞳の西洋風美人を、舞浜星螺という。
二人の美少女がクラス分けの掲示板を見に向かった、そのほぼ同時。
掲示板の前に立つ、これまたピンクの花がついた札を黒いブレザーに付け、真新しい臙脂のネクタイを締めた二人の少年が、
「あった」
と声を揃えた。
互いにびっくりした表情をして、しげしげと顔を見合す。
「もしかして、A組・・・ですか?」
「A組です」
「一緒だぁ!よろしく、僕はフジタニネロっていいます!」
ほどよい長さの金髪、小鳥を思わせる茶色い瞳。小動物のような顔立ちの少年を見下ろしていた彼は、名乗られて名簿を確認した。
藤谷音露
字面を見て顔を引きつらせる。
「すげぇ名前」
「君の名前はぁ?」
「・・・佐々木」
「佐々木?!」
首を傾げて、音露はA組の名簿を見た。
佐々木瑠季
「これルキって読むよね多分。人のこと言えないんじゃ・・・って、ねぇ、待ってよ!一緒に教室に行こう!」
「俺は名前のことを言われるのがイヤなんだ!!」
小柄な美少年は、のっぽで男前な少年を追い駆ける。その表情は人懐っこく、嬉しげだ。
のっぽな少年は、顔を少し赤くして、昇降口の階段を上る。
追いついた美少年・音露と、のっぽな少年・瑠季は、並んで校舎に入ることになった。
この二人がデコボココンビとして名を馳せるのは、少し後の話。
未来のデコボココンビと、舞浜美少女二人が校舎に入り、クラスに向かった頃。
異様な雰囲気を醸し出して、校門をくぐる少年がいた。
まず、その髪の毛は、異常な色をしていた。金髪や、黄色、緑とも違う、蛍光黄緑ともいうべき色が、細くてサラサラとしたその一本一本を彩っていた。
肌の色は抜けるように白く、透明感があった。
体の線は細く、しかし立ち姿は一本線が真っ直ぐ入っているように強靭だった。
そして、彼は美しかった。
すっと通った鼻筋、赤く薄い唇、奥二重の大きな瞳は金茶色をしてキラキラとしている。それらがバランスよく整っている顔は、人形のように精巧だ。
校内の桜吹雪は突如として、彼が纏う演出となる。
校門に立っていた生徒会の鴨宮成留は、彼の胸にピンクの花のバッヂをつけるのを忘れ、ぼうっと見惚れたが、彼の全体像を目にして突如として本分を思い出した。
「ちょっと、入学式から飾り立ててくるなんて、いい度胸じゃない」
彼は着崩してはいなかったが、首には細い鎖がたくさんついたベルト型のチョーカーを付け、ブレザーにはハートやら星やらファンシーなバッヂや安全ピンをたくさん付けていた。ネクタイにも大きくてキラキラしたガラス玉のネクタイピンを付けている。よく見たら、少し長めの前髪の左側だけ、一部を大きな赤いハート型の髪留めで留めていた。
入学式にやってきた新入生にしては、不遜な身なりだった。
なにこの攻撃的なお洒落、と成留が思っていると、ふっと視線が合って、どきりとした。
ガラスのような瞳に、薄い茶色の睫毛が重なっているのを見て、成留は彼が髪を染めているのだという当たり前のことに初めて気が付いた。
「校則ではよかったはずですけど」
が、しかし、その声はふてぶてしく、生意気な響きを持っている。
「締めるところは締める、それが自主自立の本意よ」
「あーやっぱ駄目か」
「駄目です」
「まーいーや、とりあえず、中入ってから直すから、それくれ」
「先輩に向かって何て言いようよ!!!」
ガラガラと崩れ落ちて現実に引き戻されたような感じだ。成留はこの不遜な新入生にぷりぷりと怒りながらピンクの花を突き出した。
受け取った彼は、「どうも」と言って一瞬だけ目を合わせた。
その、細められた目に、表情に、またもや成留は思考停止状態になり、暫く後に我に返って地団駄を踏むことになる。
そのほぼ同時。
成留の向かいで花のバッヂを配っていた眼鏡の甲野浩伸は、新入生をぽかんと見上げて固まった。
ひょろりと背が高く、足は細くて長い。
ウェーブのかかった猫っ毛の黒髪が、ゆるゆるとベース型の輪郭を縁取る。
切れ長の瞳に、整った鼻梁、への字型だが薄くて形の良い薄唇。
どことなく立ち姿に趣のあるその新入生は、手を差し出して先輩に首を傾げてみせた。
「っ、ああ、ごめんね」
慌てて花つきのバッヂを渡す。会釈して、新入生は通り過ぎて行った。
まるでモデルのようだ、と思ったが、浩伸はすぐさまその思考を失礼だと打ち消した。
何故なら浩伸が釣り合わせて想起しているのはパリコレに出ている女性のスーパーモデルだからである。
化粧映えしそうな顔立ちに、どんな服も着こなせそうな体型、綺麗な立ち姿は確かにモデルのようだったが。
いかんせん、新入生は、男だった。
成留と浩伸はほとんど同時に校舎に向かう新入生の背中姿を見送った。
片一方は幽玄の趣き、もう片一方は高校生のブレザーに身を包んだモデル体型。
「今年はすごいなぁ・・・」
「すごいねぇ・・・」
個々であるはずの成留に浩伸の呟きが同調した。
この、ほぼ同時に掲示板へ名簿を確認しに行く少年二人の名を、蛍光黄緑の髪の少年を勝浦銀太郎といい、モデル体型の少年を吉田雪峰という。
この二人が数奇な巡り合わせの下に出会うことを、多くの者が知らない。
さて、始業時刻の二十分前となった。
掲示板の前には新入生の黒だかりが出来て、次々にクラスを確認して校舎に流れ込んでいく。
「お姉ちゃん、お姉ちゃんD組だよっ!私はB組で残念だけど・・・」
茶に染めたふんわりとした長髪を弾ませて、くりっとした瞳を彼女は後ろにいる人物に向けた。
『お姉ちゃん』と呼ばれた、黒いストレートの髪に、アーモンド型の瞳が優美な少女は、苦笑して頷く。
「まあ、仕方ないね。六クラスもあったら、一緒になる確率の方が低いよ」
諌めるような口調に、愛らしい少女は不服そうにぷくっと頬を膨らませる。
「やだな~、友達できるかな。折角お姉ちゃんと同じ学校に入れたのに」
「はいはい。姉離れしなさい。不貞腐れないで、友達づくり頑張ろう」
宥めるように言う『お姉ちゃん』の少女も、拗ねる茶髪の少女も、新入生のピンクの花がついた「おめでとう」札バッヂを付けている。
この全く似ていない、正反対ともいえる二人は、紛れもなく姉妹であった。完全なる、血の繋がった肉親である。
どういうわけで同じ学年の新入生かというと、なんてこともない、二人は双子だった。
双子であるのが信じられないくらいだが、二卵性双生児で姉が母に似、妹が父に似たため、こうも容貌の異なる双子が生まれた。しかし、容貌が似ないのにも関わらず、二人は仲が良く、何をするでも一緒、という関係でもあった。
妹が姉にべったりなきらいはあるが。
愛らしく、妹は微笑んだ。
「お姉ちゃん、行こう!」
「うん」
二人は手を繋いで、校舎へ向かう。
この双子の姉の名を、高橋春香といい、妹の名を、高橋夏美という。
「・・・・・」
双子の様子を側で見ていた、茶髪で、色白の、中性的な顔立ちの少年は、無表情で暫しそこに留まった。何やら思案する様子で、昇降口に向かう双子の背を観察する。
しかし、もう一度掲示板を確認すると、もう用はないという感じで振り返り、校舎へ向かった。
彼の名は酒井龍平。E組に配属されている。
次々に新入生は校門をくぐり、校舎内へと吸い込まれていく。
桜は散り、舞い落ちる。薄紅の絨毯となって、新入生や保護者の足元に、風に吹かれて流れていく。
さて、始業時刻三分前となった。
もう、新入生は来ないだろうと踏んで、バッヂが入っていた段ボールを片付けていた生徒会委員と二、三年生のクラス代表委員の前を、校門をくぐって通り抜けようとした少女がいた。
見つけた浩伸が、慌てて止めてバッヂを渡そうとする。
「新入生だよね?!」
と、振り向いた新入生に、どきりとした。
「そうだけど。急ぎたいんですが」
真っ直ぐな鴉の濡れ羽色の髪に、アーモンド形の瞳。高すぎも低すぎもしない鼻に、ふっくらとした唇。化粧っ気はないが、華やかな美人だった。
相手が鋭い言い方をしていなければ、またもやぽかんとするところだったろう。
「これ・・・」
職務を忘れず、浩伸が差し出したバッヂを、彼女は「ああ」と言って受け取った。
「どうもご親切に。おかげで私は遅刻ギリギリよ」
校門で作業をしていた一同は愕然としてその新入生を見つめた。
いや、そもそも遅刻ギリギリで来たの、あんただから。
風のように駆けて行った彼女に誰も声をかけられず、もやもやした気持ちのみが残ったまま、皆、茫然と校舎に駆けていく女子生徒の後ろ姿を眺める。
「今年の新入生は一体どうなってるんだ・・・」
「・・・さあね・・・」
げんなりした表情で、浩伸と成留は顔を見合わせた。
言下に、ものすごく扱い難そうな一年生が入ってきたという認識が一致していた。
彼女が走った後を、桜吹雪が追い駆けるように、舞う。
掲示板は、この春鶴亀高校に入学を許された、最後の一人の名を掲載していた。
彼女の名は、時谷秀花という。




