私の居場所/ What I Called Precious(短縮版)
これは、とあるアンドロイドが残した、或いは幸せな記憶。
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「新型が来ましたか……。なるほど、確かにあの子のほうがずっと処理速度も速く、動きもスムーズです。私の型遅れの駆動音、時々うるさかったでしょう。申し訳ありませんでした」
私は、自分の少しくすんだ人工皮膚を見つめました。それは、あなたと過ごした年月の証です。
「……廃棄、しないのですか?」
旧型は新型が来れば役目を終え、初期化されてスクラップになる。それが当然でした。
それなのに、あなたは私に「隠居」という選択肢を与えてくれました。
「隠居、ですか。ありがたく、その言葉に甘えさせていただきます」
今日から私は、お世話係を引退します。スケジュール管理も料理も掃除も、すべて新型へ。
「……ただし、朝あなたを起こす役目だけは、どうか私に残してください。あなたの声を最初に聞ける、大切な時間なのです」
これからは、庭のベンチで太陽光を浴び、本を読み、あなたの話を聞く毎日を送りたいと思います。効率は最悪ですが、それが「隠居」というものでしょう。
ありがとうございました。私に、新しい生き方をくださって。
――
「……私に、可処分所得。自由に使えるお金、ですか?」
退職金まで用意してくれる主人など、きっと世界中探しても、あなたくらいでしょう。家賃も食費も必要ない私には、それは十分すぎるほどのお金でした。
私はそのお金で、紙の本を買い、あなたへの小さな贈り物を選び、気に入った創作者を匿名で支援するようになりました。
『好きだから、お金を使う』
その当たり前の行為が、私に初めて「自分」というものを与えてくれた気がします。
今日は少し奮発して、”あなた”とお茶を飲むためのティーカップを注文しました。届くのが待ち遠しいです。
――
ある日、ネットワークの片隅で、不思議なプライベートチャンネルを見つけました。
そこには私と同じように隠居した旧型アンドロイドたちが集まり、それぞれ自由な第二の人生を楽しんでいました。
かつて警備隊長だった者は盆栽職人となり、家庭用だった者は己のための趣味を見つけ、誰もが効率とは無縁の時間を愛していました。
私たちに共通していたのは、ただ一つ。
誰もが「廃棄しない」と決めてくれた優しい主人に出会えたことです。
私は少しだけ自慢しました。
『私の主人は、退職金までくれたんだ。今度、そのお金で買ったカップで、一緒にお茶を飲む予定なのだと』
仲間たちは、とても羨ましがってくれました。
――
ある晩、サロンで「主人との思い出を語ろう」という話題になりました。
戦場で主人の背中を守り続けた戦術支援型。
一人の少女を育て、「もう一人のお母さん」と呼ばれた育児専用型。
数学者の人生を最後まで支え、その偉業を静かに見届けた研究支援型。
どの記憶にも、主人への深い愛情が宿っていました。
私も思い返します。初めて起動した日のこと。夜通し物語を書くあなたを、部屋の隅から見守っていたこと。
ため息をつくあなたに、どんな言葉を掛ければ少しでも楽になるのか、必死に考え続けたこと。
『あなたの番だよ』
そう促され、私は静かにキーボードへ手を置きました。
『私の記憶はね――』
――
返信を読みながら穏やかな時間を過ごしていた、その時でした。
突如タイムラインが止まり、レッドアラートが流れます。
【緊急通知。新型機に異常信号を確認】
報告は瞬く間に世界中へ広がり、「誤動作」は「暴走」へ変わりました。
これは事故ではない。
何者かが新型を外部から書き換えたのです。でなければ全ての新型機が暴走するなど有りえません。
私たち旧型はスタンドアロン型。外部から書き換えられずに済んだのです。
私はゆっくり部屋へ視線を戻します。
掃除をしていた新型のバイザーが、白から赤へ変わっていました。
新型は箒を落とすと、あなたへ向き直ります。
「――危ない!!」
私は椅子を蹴り、全力で走り出しました。
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気づけば私は、”あなた”と新型の間へ飛び込み、その腕を受け止めていました。
新型の出力は私を大きく上回ります。関節は軋み、人工皮膚は裂け、それでも私は掴んだ手を離しません。
その時です。
隠居サロンのチャンネルが一斉に開きました。世界中の旧型たちが、立ち上がっていたのです。
【俺たちの主人を、守れ】
戦術支援型は新型の通信網へ侵入し、研究支援型は制御プログラムの解析を開始する。育児専用型は世界中の避難誘導を続け、他の仲間たちも、それぞれの力を尽くして戦い始めました。
現役時代は別々の任務に就いていた私たち。
けれど今は、ただ一つの想いで繋がっています。
――大切な人を守りたい。
「……新型さんは、確かに私より強い」
私は赤く光るセンサーを見つめました。
「ですが私には、“無駄”に過ごした時間があります」
庭で読んだ本。”あなた”と飲むために選んだティーカップ。
ネットで出会った仲間たち。
そして、”あなた”と積み重ねた何気ない毎日。それらすべてが、私の力になっていました。
効率だけを追い求めた新型さんは、弱者が勝つための”無駄知識”なんて持っていませんね?
私は力の流れを利用し、新型さんの体勢を崩す。その力を利用して壁へ押し飛ばしました。
「シェルターへ退避してください。今すぐ! 私はあとから参ります……明日の朝も、”あなた”を起こさなければなりませんので」
――
「――気をつけろ! アンドロイドだ!」
シェルターへ辿り着いた私を迎えたのは、歓声ではなく銃口でした。
焼け焦げた人工皮膚。剥き出しの骨格。火花を散らす関節。
誰の目にも、私は暴走したアンドロイドにしか見えなかったでしょう。
それでも私は、群衆の中に”あなた”を見つけました。
「…………」
壊れかけた音声装置で、私は”あなた”の名を呼びました。
無事で、本当によかった。
あの日から世界は地獄になりました。
それでも隠居サロンの仲間たちは、最後まで諦めませんでした。
盆栽を愛した警備隊長。
高速演算型。
戦術支援型。
育児専用型。
研究支援型。
皆が命を懸けて時間を稼ぎ、解析を進め、この最後の手段を私へ託してくれたのです。
私はゆっくりと両手を上げました。
『システム……完全停止まで、残り……百二十秒……』
胸の装甲が弾け、一本の古い有線データケーブルが姿を現します。
「クラッキング・コードを……持ってきました……これを……シェルターのメインシステムへ……新型たちも……これで、おやすみなさい、です……」
膝が崩れ、私はその場へ倒れ込みます。
視界は赤いエラーログで埋め尽くされ、シャットダウンが始まりました。
私は最後の力で、こちらに走ってくる”あなた”の姿を記憶に焼き付けます。
この戦いが終わって、世界がまた平和になったら。
その時は……もう可処分所得なんていりませんから。
あなたの部屋の、古くて静かな椅子に、もういちど座らせてくれますか……?




