ユキアの叶わぬ恋
ユキアと名付けられた私は、この国の最高権力者である女王の娘として生まれた。
この国は、高い外壁に囲まれていた。すべての者は外壁の中で生まれ、恋をし、子供を為し、そして死んでいく。それは私とて例外ではなかった。
外壁の向こう。言葉の通じぬ無数の神々が二本足で立ち並び、私たちの儚い運命を高い場所から見下ろしている。
神々は恵みをくれた。決まった時間に不思議な形をした楽器で甲高い音を鳴らし、恵みを下賜する。そのお陰で国の者たちは一切、働く必要がなかった。
私は背筋をピンと伸ばし、堂々と前を進む。男どもが媚びへつらい、どうにか私に気に入られようとゾロゾロと後ろをついてくる。
「……ふん」
彼らはそのままにしておいた。チャンスなどこれっぽっちも無いのに、哀れな連中である。私は岩場に泰然自若な姿勢で腰掛けた一人の男の前で立ち止まる。きりっとした顔とキュッと引き締まった体躯を見て、鼓動が否が応でも高まった。
「ユキア」
心を締め上げるような美しい声で彼が私の名を呼ぶ。オースティン。この国で序列二位の将軍。私は彼の前でだけ、乙女になれる。
「オースティン。会いたかったわ」
彼の腕を取り、その髪を優しく撫でる。さらりと抜けた髪が私の掌の上を流れ落ちた。
私は神々のぶどうを房ごと彼に差し出す。それは王家の者しか口にすることを許されない、神聖な食物だった。
「ありがたく頂くよ。僕のユキア」
笑顔の彼は、ぶどうを摘むと、嬉しそうに口を使ってぶどうをパクッともぎ取った。その様子を見るだけで、最高血統の娘として生まれたことを神に感謝した。
だが、彼に言い寄る幾多もの女性がいる。女どもが彼と話す度に、ドロドロとした炎が心を焼き尽くそうとする。
「君はいつか女王になるんだよね。序列二位の僕とじゃ、釣り合わないんじゃないかな」
どこか、寂しそうなオースティン。
「オースティン。その時は私があなたを序列一位にしてあげるから。そうしたら結婚しましょう」
彼が微笑んだ。その微笑みに、私はまるで太陽に当てられた白雪のように暖かな気持ちで溶けていく。
「そうだね。ゆっくりとその時を待つことにするよ」
ゆっくり? 何を言っているの? 今すぐにでもあなたと結ばれたい。
翌朝。いつもの甲高い音が鳴る。私は母と共に恵みの場へと歩いていく。わらわらと集まっていた者たちが、私たちに気づくとさっと左右に分かれた。真っ直ぐに伸びたその道を、悠然と闊歩する。
恵みの品々が積まれた前で止まる。今日はなぜか、神々のぶどうがひと房しか無い。その代わりにりんごが沢山積まれていた。
「まったく。神々の気まぐれには困ったものだわ」
そう言いつつも、ぶどうへと手を伸ばした刹那。横から別の手が伸びる。ひと房しかないぶどうを掴んだのは、女王の手だった。
「お母様。どうかその手をお放し遊ばせ」
「ふん。偉くなったものだな。わきまえよ、ユキア」
「お母様こそ遠慮なさったらどうかしら。それはオースティンのもの。お分かり頂けているものとばかり」
視線を横にずらす。女王の背後に青白い炎がメラメラと立ち上っているのが見えた気がした。ふと、愛するオースティンの昨日の言葉が思い浮かぶ。
『ゆっくりと待つとするよ』
もう待てない。不思議と力が湧き上がる。彼のためなら何だって出来るような気がした。
「ねえ……お母様もよい歳だし、女王の座を私に譲ってはいかが?」
「馬鹿なことを言うでない。あと十年は現役よの」
「十年ねえ。ハッキリ言って、目障りなの。私の邪魔をしないでくれるかしら」
言い終わる前に、女王の平手が飛んできた。遅い。私は彼女の腕を片肘をぶつけて浮かせると、すぐに掴み上げてそのまま捻ってやった。
「何をする!」
威勢だけはよい。だが衰えすぎだ。私は女王の顔を思いっきり平手で張り飛ばした。女王は腰を低く構えて衝撃を和らげると、死角からビンタを打ち据えてくる。今度は逆に私の顔が盛大に横に弾き飛ばされた。
口から、タラリと赤いものが垂れた。ニイと笑ったと思う。がっしりと彼女の首に腕を回すと、そのまま引き倒す。倒れた女王に跨り、左右の手を交互に使って何度も何度も平手で殴りつける。
「ひいい! 許して!」
女王が降伏の悲鳴を上げる。少しだけ押さえ付けた力を弱めてやると、涙目になってその場から逃亡した。この国の掟では、逃亡はその者が持つ位を明け渡すことを意味した。
私はすっと立ち上がると、周囲を睨め回す。
「お母様、いえ女王は逃亡した。これからこの国を統べるのは私だ。文句がある者は前へ出よ!」
誰からも文句はなかった。周囲にいたものは恭順の意を示す。これでオースティンも、私が独占できるわ。
フン、と鼻息を吐き、颯爽と彼の元へと駆けていく。
「オースティン! 私、女王になったの」
「そ、そうか。おめでとう……」
なぜか、彼は後ずさりをはじめた。
「どうしたの? ほらこれ」
差し出した、神々のぶどうを受け取ろうとしない。
「き、き、君が食べなよ」
彼が気を使ってくれた! 私は嬉しくなってぶどうをひと粒、口に入れる。ぶどうの甘味と血の味がした。
「じゃあ、アーンしてあげる」
だがしかし、オースティンはそれに答えない。
「オースティン?」
彼はくるりと翻ると、飛ぶような勢いで逃げ出した。私は序列ニ位の将軍の位を手に入れたらしい。
将軍の座? そんなものはいらない。私はただ、彼が欲しかった。
「オースティン、待って! どこへ行くの?」
彼の後ろ姿を全速力で追う。
――外壁の外。
一人の少年が、彼の母親に不思議そうに尋ねた。
「ねえ、ママ。あのオサルさん、すごい勢いで逃げるオサルさんのこと、追いかけ回しているよ」
「あら、いやねえ。まるでストーカーみたいね」
今日もサル山は平和だった。




