『夢』
「おはよう、ございまーす」
その店へと、僕は足を踏み入れる。
駅から約二十分の近場にありながら、住宅街の列の一つに加えられているせいで、店だとも思われずらい隠れ家的なカフェ。
僕の雇い主が個人経営しているそのカフェは、前見た時とは雰囲気が変わっていた。
前回二か月ほど前に来たときは天井からシャンデリアがあるような、海外のお城に来たような違和感を持つ装飾だったのに、今目の前に広がる光景は、古びた和風モチーフの喫茶そのものだった。
洋風の四脚椅子と机は無くなり、代わりに畳の上に座布団と漆を塗られた机が静かにこちらを見ており、壁は、ベージュ色のつるりとした壁から、白い壁紙に塗り替えられていた。
そのすべてが変わった部屋の中で、一人の女性が座って、にこやかにこちらへ手をこまねいている。
雇い主の秋原由紀。年老いたというには、若く、かといって若々しいというには、年齢を重ねた陰のある笑みを浮かべる女性だ。
その手に招かれるように、彼女の対面へと座り、言葉を投げかける。
「また、変えましたね。店の中」
「まぁね。それぐらいしかやることが無いから。で、来たってことはいつも通り『探索者』として、『夢』に入るってことで良いね?」
「まぁ、はい。そのつもりで」
ポリポリ、と頭を掻きながら、苦笑いを浮かべる。
その苦笑いに、困ったような表情で彼女は言葉を漏らす。
「うーん、呼んどいてなんだけど、本当だったら、こういう仕事は一年に一回ぐらいにしてほしいんだけどねぇ。だって、他人の『夢』にもぐるのだから、精神的な負荷はバカにならないはずだよ?君とか、裂木ちゃんとか、何度もこう、仕事を受けられるとこっちが怖いというか‥‥‥」
「知ってはいますが、お金が必要で‥‥‥」
「使い方は詮索しないけど、さすがにお金遣い荒いと思うよ?」
「あはは‥‥‥」
はぁ、と息を吐きながら、由紀は茶封筒をポーチから取り出した。
「はい、今回の『虫』の犠牲者の情報。いつも通り、頑張って、『夢』を理解してね」
「いわれなくても」
貰う物をもらえれば、もう、用はない。椅子から立ち上がり、店を後にする。
「では、良い夢を、また会えることを願っているよ」
秋原由紀のそんな言葉を背に受けながら、店から立ち去った。
■ ■ ■ ■
電車に揺られ八時間、田舎の辺境の地にそれはある。
『虫』に脳内をいじくられた『夢』を見る者たちが集まる無人の病院。
警備員のいる入り口を超えれば、人の気配はなく、茶封筒の中に入っていたカードを機械にかざせば、すんなりと病院の中に入れる。
病室が連なる廊下を歩きながら、渡された茶封筒の紙を見ていく。そこには、自分には不要な、初めて『夢』に潜るための人のために書かれた情報も書かれていた。
『『虫』について。
・『夢』を見せる『虫』なんて聞いたことが無いはずだ。理由は簡単だ。これは機密事項だからだ。この書類を受け取る前に契約したように、ここで知ったこと、見たことを外に後悔することは禁止されていることを頭の片隅に置いて、読んでほしい。
・『虫』とは近年発見された、人を不死にする地球外寄生生命体だ。しかし、ただ不死にするわけではない。この『虫』は、人の脳髄に住み着き、一定期間の間、対象者に『夢』を見させ、人を狂人にすることがわかっている。』
『『夢』について。
・上記に書かれているように、脳内に住み着いた虫は文字通り『夢』を見させる。この『夢』は、対象者の願望、トラウマ、そういった色濃い記憶を素材に生み出している可能性が高いことがわかっている。また、誰かを中心にして、作られた理想郷であるというのも、わかっている。
・しかし、その夢は、『気が狂っている』としか思えない、対象者の正気を削るような、突拍子がなく、そして現実味を失っている内容となってる。以下は、その具体例だ。『死体が自分の肌をむしり取り、それを他者に縫い付けようとする』『笑う雲が、フルオロアンチモン酸に似たあらゆるものを溶かす雨を降らしながら、傘を差しだす』『首の無い人間をさかさまに吊って火あぶりにし、それを囲み何人もの学生が笑っている』『人の体から、いくつもの鳥が生え宙に浮かんでいる』『骨だけになったクジラが空を泳ぎ、赤ん坊のような泣き声をあげながら人形を吐き続ける』
・『虫』がこれらを見せる理由は不明。しかし、不死に至るのを防ぎ、対象者を『夢』から解放する対処法は確立されている。
・それは、『夢』の中にいる形を変え、『夢』の中心人物に擬態している『虫』を殺害することだ。そして、それが、高校生で、かつ、人の『夢』に入れる素質を持った君たち『探索者』の役目だ。』
そんな言葉で、締めくくられた紙を流し読みし終わった時、病室へとたどり着く。
ノックをしても返事が無いことは知っているから、そのままカードを脇にある機械に当て、電子ロックを解き、戸を開ける。
部屋は結構広く、二つの部屋に分けられていた。着替えやキッチンが置かれた住居スペースのような場所と、それを隔てる強化ガラスの先にある部屋の二つだ。
強化ガラスの先にある部屋。それは、いくつもの管に繋がれ、強化ガラスに阻まれた空間にいる男がいた。
「この人が今回の、『虫』の犠牲者、か」
普通の、どこにでもいそうな男だった。
少し、こけた頬に、血の気の少ない白い肌、病人のようなそれを除けば特段太っていることも、顔がいかついこともなんてことはない、ただの男だった。
その男を横目に、本格的に資料を広げ、男性がどういう人なのかを、知ろうとする。
「名前は、海木悠。年齢は五十三、娘さんがいたけど、十二年前に亡くしている。死亡した日にちは、七月三十一日。妻がいて‥‥‥えーと、娘の死亡原因が家に押し入った強盗で、強盗は娘を殺害した後に自殺、だいたい中年ぐらいの男性‥‥‥海木悠のご近所付き合いは悪く、家はそこまで裕福と言える状況じゃなくて、蹴れの祖母と叔父は、娘が死ぬ3年前に死んでいて、死亡原因は老衰で‥‥‥」
『虫』に寄生される人間は、大抵、何かしらの重い過去を背負っている。だから、こんな悲劇を見る機会は何度もあった。それがゆえに、どこか機械的に、目を通していく。
高校生という幼さには、異常なほどの冷たさで人の不幸を眺めていく。
「うん、だいたいこれぐらいかな」
時計を見れば、既に一時間は経過して二十時を示していた。
「夢に入る準備をしなきゃ」
備え付けられているヘルメットの様な機械の電源を入れる。強化ガラスの先にいる男の頭にも同じものがかぶせられていた。
そして、男のヘルメットに繋がり、こちらまで、強化ガラスを通して伸びているケーブル端子を、自分のヘルメットにも差し込む。電源を入れる。
『声帯認証をします。自分の名前をどうぞ』
起動音声とともに、言葉を紡ぐ。
「空上雪斗」
自分の名前が鼓膜を響かせると同時に、僕は『夢』へと落ちた。
■ ■ ■ ■ ■
狂気とはまさにこういう物を言うのだろうか。目を開けて、『夢』を見た時、必ずいつもそう思う。今回も、例外は無かった。
現代と変わらぬ、住宅街に自分はいた。電柱が並ぶ、青い空の下。そんな、当たり前の世界の中で、目の前には言葉を交わす存在二ついた。
「あ、おはようございます。」
「おはようございます」
喋っていた。しかし、喋っているものが異常だった。それは、ライオンとヤギだった、二足歩行で歩く。そして、そのまま挨拶をしたライオンがヤギの首元へ、流れるように噛みついた。
「朝の調子は、どぼうですか?やぶざん」
「あ、げぶんきぶぶ、ですざいぶん」
ゴギリ、と首の骨が折れるような音がヤギから響き、ヤギの声が止まった。
「あざの、うんどう、とじょくじ、はだまりまぜんなねぇ、やぎさん」
ライオンの服装は、二足歩行で立って言葉を話すという知性の片鱗を見せているのにもかかわらず、服など着ずにバリバリと、目の前の挨拶を交わした存在を姿のままの獣のように食らっていた。
びくびく、とヤギはライオンの口と手の中で震え血を流し、それをライオンは飲み、肉に歯を埋め骨を削り咀嚼している。食い殺しているヤギを、親しき隣人だとでも言うように永遠と話しかけながら。
「虫が人の記憶や感情なんて、理解できるわけがない。だから、こんないびつな『夢』になる。って、『探索者』の誰かが言ってたけど、やっぱりそうなの、かな」
意味不明で悲惨で、歪められているだけで必ず意味のあるその光景を目に焼き付けながら、ゆっくりと家と家の隙間の路地へと後退する。
『夢』の中で死亡すると、永遠に『夢』から出られなくなる。茶封筒の中には無かったが、先輩の探索者から聞いていた知識が身の危険の恐怖を呼び起こす。ライオンの血に濡れた牙が、視界の中でぬめりと光るのが、目に焼き付く。鼓動が早くなる。きっと、もし、このままでいたら、次は自分だ。ゆっくりと、下がり、近くの路地へと足を進める。そして、路地の影を踏もうとしたその瞬間。
「おにいさん、だれ」
ぎゅっと、服の裾を掴まれた。驚き、振り返る。
中学生ほどの人間の少女だった。
『夢』の中に、正常な人間がいることはほとんどない。大抵、気が狂っているか、正常な振りをする狂人か、だ。
だが、目の前の少女の目に狂気の気配は存在しない。唖然とした気持ちのまま、少女に問いかける。
「君は‥‥‥名前は?」
「私は、うみきゆい。海木結、です」
おずおずと、困ったように少女はそう答えた。
■ ■ ■ ■
少女はついてきてと言い、そのまま行けばそこは小さな家だった。
少女がガチャガチャとポケットから鍵を取り出して、差し込み、少ひねれば簡単にドアは開き中へと招き入れられる。危険はあった。この不可思議な世界で、望んだとおりに物事が進むことは無い。扉を開けた瞬間に、この家に来るまでに来たライオン、ハイエナ、象、キリンやトラが予兆なく現れて、殺される可能性だってある。
しかし、それでも、この世界の中心の誰かを、虫が擬態している誰かを、探して殺すには、『夢』の根源であろう『海木悠』のその娘に話を聞く以外に手っ取り早い方法は無い。
「そのえっと、粗茶ですが。あと、ここは安全だと思います。私の家で二日ほどいますが、動物は、入ってきたことは無いので」
「うん、ありがとう」
「‥‥‥お兄さんの名前は」
「僕は、空上雪斗」
温かいお茶を、何の変哲もなかったそれを飲みながら答える。毒を盛られている可能性は、考えなかったわけではない。だが、『夢』は人の精神の具現化であるがゆえに、他人である自分たちには、例えその飲み物が毒であっても影響は少ない。実際、これまでで2回ほど飲まされたことがあったが、激痛だけで死にはしなかった。
だから、信頼を勝ち取るためにも、飲む以外の選択肢はない。
「よかった、ここにも、普通の人がいて、私だけかと思って‥‥‥」
「結さん、でいいかな。ここは、いつから、おかしくなったの?」
「はい、その、2週間前からです。起きた時にはすでにこんな状態になっていて‥‥‥」
(この人には、普通だった世界の記憶がある。つまり、記憶から生成された純粋な人物か?)
『夢』の生成物が全て何かしらで歪んでいるわけではない。『夢』のなかにある車のエンジンを掛ければ、エンジンがかかるし、ドアはカギをひねれば開錠される。つまりは、些細なこと、本人の願望に近くなければ無いものほどないがしろに、現実のものをそのまま手抜きをするように流用するのだ。
「ところで、お父さんは、いないんですか?」
「その、はい。お父さんも、この世界がおかしくなると同時に消えてしまって。わからないです」
そして、結はじろりと、上目遣いで、不審そうにこちらを見つめた。
「おにいさん、なんだか、全く驚いてませんよね。このおかしな、状況。動物が人となり替わって、喋って、互いを食い殺しているこの、今に」
「まぁね。何度も、こんな状況は見てきたから」
「え?」
ぽかーん、と結が口を開ける。それを無視して、部屋を見渡す。
「ちょ、ちょっと、待ってください。何度も、体験してきたって、じゃ、じゃあ、この変な世界を元に戻す方法も知ってるってことですか!?」
本棚に目が行く、そこには幾つかの本があった。
「どうすればいいんですか!?お父さんに会う方法は、わかるんですか!」
そこには、絵本が幾つか、小説が幾つか、動物図鑑が何冊か収まっていた。
「ちょっと、聞いてるんですか!?」
「あぁ、聞いてるよ」
視線を戻す。そして、嘘を吐いた。
「大丈夫だよ。君を基の世界に戻すと約束しよう。だけど、そのためには、いくつか教えてほしいものがあるんだ」
海木結が現実に帰ってくることは無い。『夢』が、『虫』が死ぬとき、全ては泡のように消えてなくなる。
死人が、蘇ることは無い。
■ ■ ■ ■
聞いたのは、彼女のお父さんの居場所の心当たりだった。
「もしかしたら、お父さんは映画館に行ってるかもです」
「どうして?」
「その、二日前の明々後日、つまり今日に、放課後、映画館に待ち合わせをしていて映画を見る約束をしていたので」
「もしかしたら、来てくれるかも、か」
「はい」
そんな話をしながら、映画館までへの道を歩く。相変わらず、空は雲一つなく、晴天。太陽の光が、優しく何の障害も受けずに、降り注いでいた。
道は、血まみれだった。動物の毛と、酸素を吸って黒くなった古い血があっちこっちに飛散しており、日常を異常に染めていた。
すべてが、首をぐちゃぐちゃに嚙みつぶされていた。
ちらり、と、隣の少女を見る。その顔は、恐怖と血生臭い非日常的な匂いの生理的嫌悪によって、青白く、気分が良くなさそうな顔をしていた。
「動物は、嫌いかい?」
「い、え。どっちかと言うと好き、です。でも、これを見てたら嫌いになりそうです」
「そうか。‥‥‥もしかしてだけど、動物図鑑って君の物?」
「あ、はい。去年の誕生日に、お父さんにもらったんです」
時々、道にいる牙を血で濡らした二足歩行の肉食獣の視線を、物陰に隠れてやり過ごしつつ、映画館へとたどり着く。
誰もいなかった。働いているであろう、店員はおろか、動物もいない。
「いない、ですね」
「いないね。でも、スクリーンには入れそうだ」
「え?」
指をさす。不自然に一つだけ、光が灯っていた。まるで、誘っているように。
「六番スクリーン。いくよ」
「え、でも、チケット買ってな‥‥‥」
言葉を待たずに、歩いていく。遅れて、駆け足の足音が後ろから響いた。
「強引、ですよ」
「ごめんね」
あはは、と苦笑いしながら、恨みの籠った少女の視線をいなす。スクリーンと外を仕切る扉はもうすでに跨いだ。ゆっくりと歩けば、真っ白なスクリーンが見えてきて‥‥‥。
「これは、予想してなかったな」
「え、ひっ!?」
映画が映されるはずの真っ白なスクリーンは、真っ赤に染まっていた。
貼り付けにされた『人間』によって。
その人間は、体中に、無数の包丁が突き刺されていた。その包丁が根本深くまで突き刺さり、肉を突き破り、後ろのスクリーンとその死体を縫い付けていた。あふれ出した、血は、その白いスクリーンに吸われ、真っ赤に染め上がり、鉄錆に似た匂いを振りまいている。そして、動物の毛皮が首から下に縫い付けられていた。
死体に近寄る。その包丁を一本、二本と引き抜く。
「全部、同じもの、か。この人は、顔と背格好を見た感じ、資料にあった海木結を殺害した強盗犯かな?」
「な、なんで、そんなに平然とできるんですか?人が死んでるん、ですよ」
怯えた声で、質問される。
「簡単だよ。こんなの、いくつも見てきたから」
「いくつも、見て、慣れるものなんですか」
「うん」
「‥‥‥‥」
声が聞こえなくなった。集中して見れば、すぐに物色と調査は終わった。
「終わり、ましたか。それ、もっていくんですね」
視線が、手元の包丁に移される。それに、うなずきながら答える。
「まぁ、外が外だからね、護身用にあっても良かなってね。ところで、具合悪そうだけど、大丈夫?」
青白い顔をした彼女に、心配の言葉を掛けるが、彼女は何も答えず、一歩後ろに下がってこちらを怯えた表情でみるばかり。
「大丈夫そうだね。じゃあ、一旦。戻ろう。聞きたいことがあるんだ」
「‥‥‥わかり、ました」
歯切れの悪い言葉に、怖がる表情。『信頼』が薄れているのがわかる。だが、もうそれは、ほとんど必要ない。なぜなら、もう、この夢の中心人物が、『虫』が何なのかわかってきていたから。
「‥‥‥外れてると良いんだけどなぁ」
「何かいいまし‥‥‥」
音が会場に大きく響く。
ブーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!、と空気を震わす音が。
びくりと、突然のことに二人の肩が跳ねた。だが、それでことは終わらない。
ブザーが止まった瞬間、次は、鼓膜を破らんとするほどの、大量の拍手の音がこの部屋を埋め尽くした。
「ヒッ!?な、な‥‥‥に」
声が詰まった結の視線の先を、それを、みる。
先ほどまで誰一、人間も動物も座っていなかった、スクリーンの客席。その全ての客席に、どこからともなくマネキンが現れ、座っていた。
そして、同時に理解する。あの音は、拍手の音ではなかったことに。
スマホのシャッター音だった。一つの壁と誤認するほど、綺麗にすべての席に座ったマネキンが、スマホを構え、一心不乱に写真を撮っていたのだ。
そのカメラレンズの先は、スクリーンに貼り付けにされた死体。白く塗りつぶされていると、そう錯覚するほどの光が死体に降りかかる。
頭がおかしくなりそうなほどの、いくつも重なるパシャッというシャッター音と光がそこにはあって。
「もう、いや」
「‥‥‥‥」
絶望したような声でつぶやく彼女の言葉が、鼓膜を揺さぶった。
■ ■ ■ ■
帰りは、無言であった。
そして、何もなかった。
鍵が回る。扉は開く。家には誰もいない。お茶も、もう出ない。
「で、聞きたいことは、なん、ですか」
もはや、半分虚ろな目で、疲れ果てた表情で、どこか自暴自棄のような心で、言葉を結は投げかけてくる。
「そうだね、じゃあ、まず一つ目。もしかして、ここの太陽、沈んでないんじゃない?」
「‥‥‥はい、そうです」
「二つ目、今日は、何日?」
「八月二日です」
「三つ目。動物園は好き?」
「好き、でした。今は、見たくもないです」
「四つ目。お父さんを例えるなら、どんなもの?」
「‥‥‥優しくて、温かくて、いつも見守ってくれてる。太陽のようなモノです」
息を、吐いた。
「うん、ありがとう。この『夢』をようやく、理解できたよ。『虫』が何なのかも」
「え?」
ゆっくり、と。持って帰ってきた包丁の握り具合を確かめる。
「『夢』?『虫』?何を言って」
「『夢』はこのおかしな世界のことだよ。そして、『虫』は、この世界の中心物。それを個破壊するか、殺せば、『夢』は消える」
「中心‥‥‥物」
「そう、この世界が何のためにこんな形に歪んでいるか、その理由‥‥‥っていうのかな」
「ま、まさかお父さんを殺すつもりですか!?」
叫び声が部屋に響き、結が焦った顔で、近づいてくる。
「確かに、確かに、お父さんはいないけど、だけど、違う、こんな世界を歪ませた犯人なんかじゃ、絶対にない!!そ、それに、いないって言うんだったら、おとなりさんだって、うううん、人なんてあなたと私以外いないじゃない!!いない人間が、逃げた人間が、この世界を歪ませた人間だって言うんなら、容疑者はほかにもいっぱいッ」
「違うよ。犯人は、君のお父さんで、殺すのは彼じゃない」
瞬間、拍子抜けしたような顔で、だけど困惑した表情で。
「え、だって」
「この世界の中心は、彼なんかじゃない。‥‥‥君だよ」
包丁を強く握り込み、思いっきり目の前の存在に向けて、結に向けて、突き刺した。
血が、床を染めた。
■ ■ ■ ■
「あぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
人の叫び声で、目が覚めた。
叫び声の主を見れば、それは強化ガラスの先でのたうち回っていた。先ほどまで、静かに眠っていた病人が、精神的病を患った狂人のように。『夢』から覚めて、暴れていた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
体中の管を引きちぎり、絶望と、恐怖と、困惑と、怒りと、ありとあらゆる感情をごちゃまぜにして、叫び、八つ当たりと自傷を両立させるように、その頭を血まみれに死ながら、こちらの強化ガラスに頭蓋骨たたきつけていた。
「あああああああ!!!!なんでぇ!!なんでぇえ!!なんでだぁああ!!!!」
肉がつぶれる音がする。そして、音がするたびに血が飛び散り、肉がそげ、ガラスに線を引きながら床に落ちていく。
「死にますよ」
「おまえがぁああ!!!おまえなんでぇえ!!ころしたぁあ!!ころしたんだぁああ!!!」
「あなたを『夢』から解放するためですよ。‥‥‥別に、やりたくてやったんじゃないです」
掌を握って、開くの動作を何度かする。『夢』を終わらせた時のあの感触と、その声が耳にまだこびりついている。
『やめ!!やだ!!痛いいたいいたいいたいいたいいぃいい!!』
馬乗りになり、何度も何度も少女の腹を刺して、臓物を引きずり出したあの感触が。
それはとても、温かった。精神世界だとは、『夢』だとは、思えないほど、吐き気を催す芳醇な鉄錆の匂いが部屋に充満し、滑る包丁を一生懸命腹に突き刺し続けなきゃならなかったそのリアルな光景は、思い返すだけで胃がひっくり返りそうになる。
ぐちゅ、ぬちゃ、ぐちゅ。そんな生々しい肉の音と、少女の叫び声のコーラスが、ありありと耳の奥からこだましているような気がする。
確実に殺すために、もっと深いところに包丁を差し入れるために、突き刺し、引き抜いて、引っかかった臓器をちぎっては投げ、ちぎっては投げ、やがて弱くなっていく叫び声を聞きながら、冷たくなっていく血だまりに体を浸して、『殺し』と言う作業をし続けるのは、さすがに、精神的に相当来るものだった。
瞼を閉じれば、目が浮かぶ。
恐怖と、絶望と、敵意に歪んだあの目が。突き刺すような、あの視線が。
「でも、やらなきゃならなかったんですよ。だって、あの夢は、貴方の『娘が生きていてほしい』という願望が主軸になって生まれていたので」
だから、その主役は、『夢』の中心人物は、『海木結』だったのだ。だから、殺すしかなかった。
強化ガラスを揺らす、鈍い音が止まる。頭を血まみれにした、男は、もはや、獣のような雄たけびを上げながら、泣いて、叫んで‥‥‥。
「こうなるなら夢から、覚めたくなんてなかった。だれが、夢から、覚めさせてくれなんて言ったんだぁ」
もう一度、愛しい子を失った激痛に、そう、叫んだ。
■ ■ ■ ■
秋原由紀に書類を渡す。
「で、報告書はこれ、と」
「はい、そうです」
駅から約20分の近場にありながら、住宅街の列の一つに加えられているせいで、店だとも思われずらい隠れ家的なカフェ。
僕の雇い主が個人経営しているそのカフェは、前見た時とは、また雰囲気が変わっていた。
全体的に、こう、ロックになっていた。
「なんで、カフェにドラムとマイクスタンドが堂々と中央に置いてあるんですか?いないでしょ、演奏できる人」
「いや、私ができるよ」
「何が、できるんですか」
「リコーダー」
ため息が出た。
「ひどいなぁ、まぁ、で、だよ。一応いくつか質問しても良い?思い出すのが嫌なら、いいけど」
「良いですよ。ほかの『探索者』に向けた、『夢』理解の例として出すのでしょ。僕の経験が、『夢』からの帰還者を増やすのに貢献できるなら、答えますよ」
「まぁ、それでは一つ目。この報告書に出てきた、動物たち、これなんだったの」
「先に行っとくんですが、僕の、主観が入りますよ?・‥‥‥おそらくですけど、娘を殺害されたときに、殺した人間を通して、人は、獣だと悟ったからだと思います」
「ほぉ」
「きっと、あの人は絶望したんです。自分の愛しい娘が、強盗という金に目のくらんだ、知性のない欲に殺されたことで、『人は、知性という皮を被るだけの狼のような獣であると』、と言った感じにです。そして、それは、娘の好きな動物を見せたいというささやかな願望と混ざり、道端で食い合いが起こる地獄絵図の世界ができたのだと思います」
「じゃあ、『沈まない太陽』と、『貼り付けにされた死体と、それの写真を撮るマネキン』は?」
「沈まない太陽は、「海木悠」そのものだったんだと思います。娘の未来を見続けたいという、死んでしまったがゆえに叶わなかった願望が、形になった結果だと思います。言うでしょう?お天道様はいつも見ているって」
「『貼り付けにされ獣の皮を縫い付けられ弄ばれた死体と、その写真を撮るマネキン』は?」
「‥‥‥娘を殺した強盗犯は、自殺しましたよね。あれって、見方を変えれば、世間から逃げたともとらえられませんか?「海木悠」は、許せなかったんだと思います。司法に裁かれることもなくなんの苦しみも受けずに死に逃げしたあの犯人が。だから、『夢』のなかでは、それが実現された‥‥‥のかな、と考えています」
「ふーん、やっぱり、よくわかんないぐらい歪んでるねぇ」
「『虫は、宇宙外生命体であるがゆえに人の感情や、願望は理解できない』って噂が『探索者』の間で流行ってるじゃないですか。そんな存在が、無理に理解しようとするから、抽象的でわかりずらく、歪んでしまうのだと思います、僕は。珈琲ごちそうさまでした」
頂いたコーヒーカップを受け皿に置き、帰る準備をする。
「えー、もっといていいのに。お菓子あるよ?」
「いいです。‥‥‥それより、一つ質問していいですか」
「いいよー」
にこやかに、質問を受け入れられたので、質問する。
「なんで、毎回、内装変えるんですか?」
「‥‥‥だって、依頼を受けた時のことを思い出して、受けるんじゃなかったなんて、泣かれたら、悲しいし、私もその子も辛いじゃん」
陰があって、慈愛を感じる笑みで、彼女はそう答えた。
■ ■ ■ ■
「お母さん、お金、稼いできたよ」
「‥‥‥」
重みのある茶封筒を、母親に渡す。母親は無言で、受け取り、何も言わずにキッチンを指さして家から出ていった。
部屋は暗く、大量のごみが散乱している。育児放棄、そう言えかいえないかのギリギリのラインがそこにはあった。変なシミと、何かの塊がへばりついた流し台のよこには、綺麗な皿に焦げがついたようなきれいとは言えない、雑に作られたとしか思えない手料理があった。
「お母さんのご飯。うれしいな」
空上雪斗は、歪んでいた。母親にお金を渡す代わりに、母親に『母親』らしいことを強制しているのだ。
愛のない家庭。それを、自身の苦痛と、それで得られるお金を犠牲に無理やり取り繕っていた。
母は、ホストに入り浸り、夜はいつもおらず、朝もいない。
だけど、それでいいのだ。
もぐもぐ、と。母親の料理を食べる。嬉しそうに食べる。お世辞にもおいしいとは言えない、塩加減を間違った水が欲しくなるその料理を水なしで味合う。
他人から見たら地獄かもしれない。苦痛と思える悪夢かもしれない。だけど、その悪夢は、空上雪斗からしたら、素晴らしい夢なのだ。
だから、空上雪斗は共感する。
『こうなるなら夢から、覚めたくなんてなかった』そう、叫んだ海木悠の気持ちを。
「でも、だからこそ、僕は君たちの『夢』を滅ぼさなきゃならないんだ」
自分のこの夢を、叶え続けるため。他人の溺れていたい『夢』を弾けさせて壊すのだ。
「ごめんね」
申し訳なさそうな声が、誰もいない部屋に響いた。




