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第九話

『一ノ瀬くんはさ、将来の夢とかないの?』

 ある秋口の夜、いつものようにビブリオ・テレパスを通して交信していると蒼井はそんなことを聞いてきた。

 どうやら十三歳のハローワークという本を父親からプレゼントしてもらったらしい。まだ九歳なのに。

 その本は様々な職業に関する情報がわかりやすく載っていて、それを読んでいるうちに先の質問に至ったらしい。けれど……。

『将来の夢、ね。……あんまり、考えたくないな』

 昔の嫌な思い出が蘇る。嫌な思い出、とは言っても誰かにいじめられたとか、そういう目に見えた出来事じゃない。僕が自分で勝手に嫌な思い出にしているだけの、他愛無い出来事だ。

 でも蒼井は僕の言葉の微妙なニュアンスに気づく。

『もしかして前に、なにかあった?』

 蒼井の鋭さには、思わず舌を巻く。彼女に隠し事なんてできる気がしない。だから正直に答える。

『……大した事じゃないよ』

『話すの嫌なら大丈夫だよ?』

 蒼井の優しげな思念が伝わってくる。

 言いたくない、あまりにもあんまりなエピソードだから。でも……。

『……ううん、聞いてほしい』

 心のどこかで誰かに聞いて欲しいと言う自分の声に従って、僕は蒼井にそう告げた。それから僕は、ポツポツと昔あった出来事を話し始める。


 幼稚園でのレクリエーションの時間で「将来の夢」を考える時間があった。

 教室の中、マットの上に体育座りして先生を囲む園児たち一人一人が順番に将来の夢を発表していく、そんなイベント。

 周りの子たちの回答はあんまり覚えていない。なんて答えるか、それを考えるのに必死だったから。

 先生が自分をぐるりと囲む園児たちを大体当て終わり、最後に僕に答えを促す。

「う、ウルトラマン!」

 そう答えたのも僕の直前の子が「仮面ライダー!」と答えていたからってだけだ。 

 ウルトラマンは好きだった。毎週楽しみに見ていたし、かっこいいなあと思っていたことも事実だ。

 でも、その間ずっと頭の片隅から囁く声があったんだ。

 ウルトラマンなんか現実に存在しないし、仮に存在したとしても僕はあんな風になりたいなんて、これっぽっちも思ってない、と。


 違う。


 僕はなりたいと思ってないんじゃない。


 なれると思ってないんだ。


 当時からたくさんの本を読んできて、たくさんのカッコイイ主人公たちを見てきた。

 彼らは苦しい状況を自分の努力と根性と周りの助けで切り抜け、最後にはハッピーエンドを迎える。

 でも、僕には苦しさを耐える忍耐力も、状況を切り抜ける力も、助けてくれる友達も持っていない。

 そんな僕が、「何者か(主人公)」になれるわけないじゃないか。

 夢なんか、僕じゃない誰かが叶えるもので、僕はそれを指を咥えて見物するその他大勢に過ぎないんだから。


『……情けなくて、笑っちゃうだろ?』

 こんなに無様な心中を蒼井に晒すつもりはなかったのに、なぜかポロポロと伝わってしまう。

 おかしいな、ビブリオ・テレパスは伝えたいことしか伝わらないはずなのに。

『ううん、そんな事ないよ。それになんだか、一ノ瀬くん自身が気づいてない一ノ瀬くんのことがちょっとわかったかもしれない』

『僕のことが?』

 今の情けない話のどこにそんな情報があっただろうか。

 僕は思念を飛ばすのをやめ、蒼井からの返答を待つ。しばらくの間蒼井が考えをまとめている雰囲気が伝わってきて、物理的には数キロ離れた僕らの間を沈黙が包んだ。それが五秒か、十秒か、具体的にはどれくらいかわからなかったけれど、蒼井がゆっくりとテレパシーを伝えてくる。

『……今の話を教えてくれたってことは、多分、一ノ瀬くんは将来の夢が欲しいんだと思う』

『夢が……欲しい?』

『うん。もし本当に夢をいらないと思っているなら、一ノ瀬くんはきっとそのエピソードを忘れちゃってると思うし、仮に覚えていても話題に出すほど印象に残ってないと思う』

『……』

『だからその話を一ノ瀬くんが覚えているのは、夢を持っていない自分が嫌でそれを変えたいって心のどこかで思ってるからじゃないかな?』

『自分を変えたいと思ってる、か』

 自分では思いつきもしなかった蒼井の意見を一言ずつゆっくりと咀嚼する。

僕がずっと感じていた後ろめたさや疎外感。それは、本当は夢を持ちたいという僕の望みから生まれたものだったのか。

 蒼井の言葉が僕の渇ききっていた心にじんわりと浸透する。ずっと欠けていた心が綺麗に満たされたような、そんな感覚。

『……ありがとう、蒼井。なんか、スッキリした』

『どういたしまして!』

 彼女の明るい声色が僕の心をも弾ませる。ああ、やっぱり僕は……。

 そこまで考えて、ふと気になることが浮上する。

『……そういえば、蒼井の夢はなんなのさ?』

 自分からこの話題を振ってきたのだから、僕みたいに特にないわけじゃないだろう。というか、この間同じような話題ではぐらかされた気がする。

『知りたい?』

 僕の問いを聞いた蒼井は、からかうような声色で返答する。

『そりゃ、まあ……』

『それはね……』

『それは?』 

『まだ秘密!』

『えっ』

『おやすみなさい!』

 プツン、とビブリオ・テレパスが途切れるような感触が伝わってくる。あれだけ引っ張って肩透かしとは、ずるい奴だ。

 くすぐったい感覚に悶えながら、僕は眠りに落ちる。まぶたの裏には、蒼井の笑顔が張り付いて離れなかった。


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