第八話
「ってすげー暗い顔してんな、大丈夫か? 暇なら消しピンやろーぜ、消しピン」
月曜日の昼休み、奏多が能天気に声を掛けてきた。最近文房具店で手に入れた五センチ×十センチの真っ赤な大型消しゴムで無双できるから毎日楽しそうだ。
でも消しゴムとしての性能はイマイチで授業中擦っても擦っても消えない文字に呻いてたけど。日本製のよく消える消しゴム持ってるのに頑なに使おうとしないのはなぜだろうか……。
「まあ、体調は大丈夫だよ。消しピンはまた今度ね……」
奏多の絡みを軽くあしらった僕は暗澹たる気持ちで図書室に向かう。せっかく蒼井が本の感想を語ろうと誘ってくれたのに、結局「モモ」を一ページも読めなかったからだ。
蒼井は怒るだろうか。怒るならまだいい。もし失望されて図書室で会ってくれなくなったら。その状況を想像して胸のあたりがキュッっと痛くなった。
悪いことをした後に呼び出された職員室の扉を開けるような気持ちで図書室の扉を開く。中に入って読書スペースが見えてくると、いつもの如く蒼井が先に待っていたが……。
「うーん?」
見覚えのある本を表表紙から裏表紙、背表紙に至るまで嘗め回すように観察している蒼井の姿がそこにはあった。
「蒼井……?」
尋常ならざる様子の蒼井に恐る恐る声をかけると、彼女はばっと勢いよく僕の方に目線を上げた。その勢いで後頭部でまとめられた髪がぴょこッと跳ねる
「一ノ瀬くん!」
「うわっ」
ずんずんと大股でこちらに近づいてくる蒼井の迫力に思わず後ずさるも、後ろ歩きでは彼女の速度からは逃れることは出来ず、グイッと両手で肩を掴まれる。
「な……なに?」
その剣幕に面食らいながら、僕はモルモットのように小さく丸まる。蒼井は完全に腰の引けている僕の様子など歯牙にもかけず口を開く。
「あのさ……」
「うん」
「私って、どの辺がモモに似てる?」
「え?」
蒼井から返ってきた言葉はまったくもって要領を得ない内容で、僕は思わず口を大きく開けてぽかんとしてしまった。
興奮気味の蒼井から話を聞くと、どうやら彼女も金曜日の同じ時刻に僕と同じような体験をしていたらしい。本から声が伝わって来たそうだ。その内容は一言一句、僕が金曜日に「モモ」を開いた瞬間に呟いていたことと同じだった。
「蒼井もあの時に声が聞こえてたのか……」
「『も』ってことはやっぱり一ノ瀬くんも? なんとなく、一方通行なのは不自然だと思ってたんだよね。どんな声が聞こえたの?」
「……カシオペイアに似てるってやつ」
「あー、うん。それは考えたよ。間違いない」
状況的に僕に伝わってきた声は蒼井のものと考えるのが自然だとは思っていたが、どうやら当たりらしい。……カメに似てると言われたのは釈然としないが。
「ということは、この本は口に出した言葉を同じ本に伝えるってことか……?」
どこからどう見てもた紙から出来ているようにしか見えない二冊の本だけれど、状況を言語化するとそういうことになる。しかし、蒼井は僕のまとめに寝耳に水と言った顔をする。
「え? 私、考えはしたけど口に出してはないよ?」
「なんだって?」
頭の中で考えていることが相手に伝わる? そんなことが出来る力を表現する言葉を、僕はひとつ知っている――そこまで考えて、僕と蒼井の声がハモった。
「「テレパシー?」」
本が遠隔で言葉を伝達するというだけでもおかしな話なのに、口に出していない言葉まで伝えているとなるといよいよ超能力――テレパシーの域だ。
とはいえ桜には全く声が聞こえていなかったことを考えると物理的に本から音が出たわけじゃないというのは辻褄が合う。
でも荒唐無稽もいいところだな……。もっと調べないと断定はできないと思う。
その時、僕と同じように考え込んでいた蒼井がふとした疑問を口にした。
「そう言えば、なんで土日は全然繋がらなかったんだろうね」
あー、なるほど。蒼井はずっと本を触ってたから、なぜか金曜日の夕方だけテレパシーが繋がったという状況なのか。でもその疑問には僕が答えることができる。
「それはたぶん僕が土日に本を触ってないからだと思う」
このテレパシー現象が二冊の「モモ」に起因することは間違いない。その上でこの土日にテレパシーが繋がらなかったことを理由づけるなら、ビビった僕が本をカバンの奥底にしまい込んでいたことだろう。
僕の回答を聞いた蒼井は疑問が解消されてスッキリするかと思ったけれど、何故かジト目になって僕の方を見てくる。
「え~~、なんで? 読まなかったの?」
いや、なんでもなにも……。
「だって……不気味でしょ。声が聞こえてくる本だなんて……」
得体のしれない本を嬉々としていじくりまわしてる蒼井の方が変人だろ。という言葉を寸前で飲み込むと、代わりに別の記憶が僕の奥底から湧いてきた。
「そう言えば、奏多が言ってた七不思議の話に似てるな……」
「七不思議?」
僕は奏多から伝え聞いた図書館の七不思議のひとつを話す。本を手に取るとその本を朗読する女の子の声が頭の中に流れてくるというエピソード。今の僕たちの状況に酷似している気がする。
「私もその七不思議は初めて聞くけど、私たちに起きたテレパシーと七不思議の内容が綺麗に噛み合うから凄く腑に落ちるよ」
「確かに。本から聞こえてきた女の子の声っていうのも、たまたま同じ時間に同じ本を読んでいた女の子が黙読していた内容が流れ込んでいた、ってことならテレパシーの延長として理解できる」
それなら本人が読めない漢字の読みも正しく聞こえてくるのに説明がつくし。
「そうだろうね。最後の『ああ……終わっちゃった』っていうのはたぶん、次の授業が始まっちゃうから本を読む時間が終わって残念、って意味なんじゃないかな?」
私もよく思うからわかるよ、と蒼井ははにかみながら言った。
七不思議になっていることまで考えると、この本の力はポッと出で生まれた物ではなくパリニチに密かに伝わってきたものなんだろう。
本を通して声が聞こえる力か……。
そこまで考えて、ふと思ったことがあった。
「でもよくわかったね、僕の声だなんて」
僕が蒼井の声を聞いたタイミング的に恐らくテレパシーが繋がったのは、僕が本を開いたあの一瞬だけだ。せいぜい二言程度の言葉でよく特定できたものだと感心する。僕は葵の声だとわからなかったからなおさらだ。
でも蒼井はそんなことは至極当然だ、というような顔をして答える。
「そりゃ、わかるよ。一ノ瀬くんの声は、よく聞いてるし」
……こういうことを、平気で言ってしまうのが蒼井穂波という女の子だった。
蒼井は僕の様子など気づく様子もなく、机に身を乗り出して自分の口を僕の耳元に近づけてくる。左頬に彼女の体温を微かに感じるほどの近さで、蒼井は囁く。
「それよりもさ、この力に名前つけない?」
「な、名前……?」
ワクワクと目を輝かせながらはしゃぐ蒼井に僕は当惑する。こういうのを「中二病」と表現することを、まだ僕は知らなかった。
「他にやるべきことがあるんじゃ……? 先生に報告するとかさ」
なんとなしに口をついた僕の言葉に、蒼井は少し怒気を含んだ声で反論する
「そんなのありえないよ! こんな面白そうな出来事、他の人にバレたくない」
「……蒼井って優等生に見えて意外に腹黒だったりするよね」
「失礼な! むしろ一ノ瀬くんの方が斜に構えてるように見えて意外に真面目だよね」
「それは……まあ、そうかもね」
まあ確かによく考えれば先生に報告なんてのは野暮だということくらい僕にでもわかる。本をたくさん読んで大人ぶって見せてもイレギュラーな事態に陥って真っ先に思いつくのが大人に報告、なあたり僕はまだまだ子供らしい。
「わかればよし。……じゃ、これは二人だけの秘密ね?」
「……うん」
二人だけの秘密。その蠱惑的な言葉に、僕の心臓はドキリと脈を打つ。
「それで、なんかいい案ある? この力の名前」
「……僕はいいよ。蒼井が決めて」
僕にはかっこいい名前をつける創造性なんてない。能力もモチベもあるだろう蒼井が好きに決めた方がいいだろう。
「そう? じゃあどうしようかな……」
蒼井は受付から裏紙と鉛筆を借りてきて、カリカリと命名案を羅列し始める。自分の世界に没頭し始めた彼女を見て、僕もまた何かしら本を借りるために席を立った。
昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴り響いたタイミングで蒼井は顔を上げた。同時に僕も今まで読んでいた本をパタンと閉じ、言葉を待つ。
「決めた。ビブリオ・テレパス、なんて名前はどうかな?」
そう言った蒼井は不安げな表情で僕を見つめる。どうやら酷評されるのに怯えているらしい。
でも……。
「ビブリオ・テレパス……うん、いいと思うよ」
シンプルで、でもちょっと捻ってて、かっこいい、いい名前だと掛け値なしに僕は思った。
「やった!」
ガッツポーズをしながら華やかな笑顔を浮かべる蒼井を見て、僕の頬も少しだけ緩んだ。
それからしばらく、蒼井と二人でこのビブリオ・テレパスを使っていくうちにわかったことがいくつかあった。
まず本を閉じている状態ではテレパシーは繋がらず、二人が同時に本を開いている時に限ってテレパシーできるということ。
またどうやら思っていることが何でもかんでも筒抜けになるわけじゃないらしいということ。伝えたくないことはちゃんと伝わらないようにできるし、伝えたい事でもきちんと言語化できないと正しく伝わらない。
要するに感情や思考をそのまま伝達させるわけじゃなくて、本を介して遠隔で会話しているだけだ。つまるところ、やっていることはただの電話と変わりない。
ただ、黙読というか頭の中で音読している状態だと無意識のうちに相手に伝わってしまうことはあるようで、七不思議の話はたまたま同時に同じ本を手に取った二人の間に偶発的に繋がった出来事から来ているようだった。とはいえそれはビブリオ・テレパスを知らない状況で起こることで、既にこの力を認識している僕たち二人の間で無意識に考えが伝わってしまうということはなかった。
まとめてしまえば大した力じゃなかったけれど、物語の世界にどっぷり浸かってきた僕らをワクワクさせるには十分な能力だった。
それにまだ幼い僕たちにとってこのテレパシーを繋げる本というのはとても画期的な本だった。スマホも与えられていない僕たちは下校して以降や休日の間なんかには連絡を取る手段が存在しなかったから。
日本なら公園や学校で待ち合わせる、なんてことも出来たんだろうけれど、ここは遠く離れた異国の地で小学生がひとり外出することなんかできるはずもない。親に連れられて奏多の家に遊びに行くことは良くあったけれど、母さんが知るはずもない蒼井の家に遊びに行きたいとは、思春期の僕はとても言えなかった。
それに仮にスマホを持っていたとしても、妹の桜と寝室が同じだった僕からすると夜に声を出さずに蒼井とお喋りできるこの力は重宝しただろう。
ビブリオ・テレパスを手に入れてから、僕と蒼井は毎日就寝前に力を使ってお互いの近況を報告し合った。
今日読んだ本の感想、それぞれのクラスでの出来事、日本に住んでいた頃の思い出など、時間を忘れて夜更けまで話し込むこともよくあった。
その時間はまさしく「じかんどろぼう」で、図工の合同授業で僕と蒼井が寝不足で眠りこけてしまい、先生にどやされるわ周りに冷やかされるわで顔から火が出そうになったりもした。
僕と蒼井の関係は読書という同じ趣味を持つ違うクラスの友達というものから、ビブリオ・テレパスという秘密の共有によって急速に近づいて行った。




