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第四話

 昼休みに入るタイミングで直接三年一組の教室に戻った僕は、周りが心配してかけてくれる言葉を適当にあしらいながら、さっさと弁当を平らげてしまう。

「そんだけ食べれるなら心配いらなそうだな……」

弁当を食べている僕を見た岩崎くんが引いているくらいだから、人から見たらよっぽど鬼気迫っているのかもしれない。自分ではわからないけど。

もちろん僕がいつも早食いコンテストも真っ青の食事スピードを誇っているかと言われるとそうじゃなく、今日は少しでも早く図書室に向かいたかったから。

「あ、一ノ瀬くん。こんにちは」

図書室の入り口正面の机に陣取っていた蒼井が、入室した僕に対し手を振りながら小さい声であいさつをしてくれた。

「蒼井、こんにちは」

 むずがゆい気持ちを抑えながら、きちんと挨拶を返す。僕にとって図書室は孤独に読書に耽る場所だったから、こんな風に毎日あいさつを交わす相手がいるというのはなかなか慣れなかった。けれど嫌だとか、面倒くさいとか、そういう感情はなくて、恥ずかしいという気持ちが一番近い。蒼井が自己紹介を恥ずかしがるのを不思議がっておいて、自分も恥ずかしさの琴線が少し変らしい。

 蒼井と出会ってから昼休みは毎日図書室で顔を合わせている。とは言っても何があるわけでもなく、ただ同じ机で向き合って本を読んで、昼休みが終わる直前に教室までの道中でちょっと本の感想を言い合う、そんな他愛もない時間だ。

 最近読んでいるシリーズの一冊を本棚からピックアップした僕は、蒼井の正面の席に座った。

「左手、大丈夫だった?」

 僕が席に着くや否や、蒼井が身を乗り出して顔を近づけながら小声でそう尋ねてきた。思いのほか彼女の顔が近くて思わず顔を背けながら、僕も同じように小声で答える。

「うん、しばらくの間消毒して絆創膏貼ってれば大丈夫だって」

「よかった」

 そう蒼井が答えるとお互い話すことがなくなって黙ってしまった。僕はこういう沈黙が嫌いだ。今までころころと淀みなく転がっていた会話の種が深い谷底に落ちてしまったかのような、そんな暗澹たる気持ちになる。これを打ち破るのにはとてつもないエネルギーが必要で、普段の僕はそんなエネルギーを生み出すことはできない。

いつもだったらこのまま本の世界に沈んでいくきっかけにしていただろうけど、今日はどうしても気になることがあった。僕は自分の内側の限りあるエネルギーを使って、先ほどから気になっていた疑問を蒼井に投げかけた。

「あのさ……どうして、僕が怪我したことに気付いたの?」

「え? いや、私も一ノ瀬くんが怪我したと思って声を掛けたわけじゃないよ。でも何か困ったことがあったみたいだったから聞いてみただけ」

「で、でも机もそんなに近くないし、蒼井が最初に気付くなんておかしいよ」

 同じ机に座っていた子たちが僕の様子に気付く前に、何個も離れた机に座っている蒼井が気付くなんていうのはちょっとどころじゃなくおかしい。そんな僕の疑問に対し、蒼井はうーんと、首を傾げながら指を頬に当ててどう答えたものかと唸っていた。

「えーっとね、私は他の子よりちょっとだけいろいろなことを見るようにしてるんだ。だから一ノ瀬くんがなんか大変そうだなー、って気づけただけ」

 しばらく考えていた蒼井は、そんな風に自分のしたことがさも大したことではないかのように事もなげに語った。

「奏多……岩崎に聞いたんだけど、いつもあんな感じで困ってる子のことを助けてるの?」

「うん、私の気づけた範囲でね」

「……それって、大変じゃないの? 今日だって僕のせいで工作の時間が少なくなっちゃったわけだし」

 僕はこんなに根掘り葉掘り聞く人間だったっけ、と話しながら自分で思う。こんなに自分から人に対して何かを尋ねるのは、過去に例がない。

「うーん、でも私はみんなが楽しくしているのが好きだからさ。困ってたり悲しそうな人のことは放っておけないんだ」

 たはは、と頭を掻きながら答える蒼井の瞳はまっすぐで、おそらく嘘はついていないんだろう。僕が人の嘘を見抜けるかと言われるとだいぶ怪しいところがあると思うけど、少なくともそう見える。でも、本当のことを全部言っているわけではないのだろうな、ということもなんとなくわかった。

 けれどそれは当然のことだ。誰もがなんでもかんでも人に話せるわけじゃないし、出会って数日程度の相手であればなおさらだ。

「ところでさ、今日読む本は何かな?」

 露骨に話題を逸らした蒼井を見るに、彼女がこれ以上話を広げることを望んでいないのは僕でもわかったし、僕自身なけなしの会話エネルギーを使い切っていてもうそんな気力はなかった。

「……これ」

 ぼくの手元を覗き込もうとする蒼井に向けて、見やすいように自分の持つ本の表紙を向ける。


 デルトラ・クエスト2 嘆きの湖


「あ、一巻は読み終わったんだ」

「うん、昨日借りて帰って家で読んじゃった。寝る時間過ぎても読んでたらお母さんに怒られたけど」

「あはは、私もお父さんによく怒られてるよ」

 この間聞いた話によると蒼井は既にシリーズを読み終わっているらしく、ここ数日は僕が読んだ後の感想を聞いて面白がっていた。蒼井は自分の持つ本を読みながらネタバレにならないように言葉を選んで口を開く。

「リーフがバルダと冒険に出発するところで、自分だったらどんな気持ちになるかなってワクワクしたや」

「……自分だったら?」

 どういうことだろう。蒼井の感想を理解できなくて、僕は疑問を抱く。逆に蒼井もどうしてそんなことを聞くんだろう、といった不思議そうな顔をしていた。

「なんていうか、主人公になりきって読むというかさ。そういう読み方しない?」

「主人公になりきって読む……? そんな読み方あるの?」

 その質問に僕はキョトンとする。すると蒼井は首を傾げてキョトンとし返してきた。

「え、普通はそうだと思ってたけど」

 まるで僕の読み方が異端かのように変な顔をしていた。それは別に馬鹿にしているとかそういう風じゃなく、純粋に疑問を浮かべている様子だった。

「えっと、だって主人公は僕じゃないじゃないか」

「……?」

「僕はルパンみたいな変装スキルはないし、ホームズみたいな推理力もない。ヴェルヌのSF小説の主人公たちみたいに科学知識だって持ち合わせていない。もし僕が彼らの立場に立てても何もできないよ」

 僕にとって、物語というのはカッコいい主役たちが持ち前の能力や悠希で道を切り開いていくのを鑑賞するものだ。第三者の立場から俯瞰することが楽しくて、そういう読み方が当たり前だと思っていた。

「……一ノ瀬くんって、面白いね」

「面白い……のかなあ、そんなことは初めて言われた」

 つまらない、という面白いの対義語に属する言葉であれば何度も言われたことはあるけれど。面白い、なんて評価は初めて受けた。

「きっと一ノ瀬くんは、他の子よりちょっとだけ大人なんだよ」

 蒼井は僕の目をじっと見つめてそう語り掛ける。必然的に僕の視界のほとんどを彼女の瞳が占め、その色の深さに僕は心臓ごと吸い込まれるんじゃないかなんて思った。

「普通の子は自分が主人公だってことに疑いなんて持ってないと思う。でも一ノ瀬くんは主人公っていうものは強くて、カッコよくて、憧れで、自分がそれになれるなんて思うのは失礼なことだって考えているんでしょう?」

「そう、なのかな」

 自分ではそこまで考えたことがなかったけれど、蒼井の言葉はどこか自分の中でしっくりきて、彼女の観察力に驚いた。人よりいろいろなことを見ている、というのは自称なだけでなく内実が伴っているらしい。高々出会って数日で、本質を見抜かれてしまったことに自分の底の浅さを感じて恥ずかしくなる。

 蒼井と繋がっていた目線を、羞恥心からそっと切る。彼女に見つめられていたら、いつか僕の心が何もかも丸裸にされてしまうんじゃないかと思ったから。

「でも私、一ノ瀬くんはいつか主人公になれると思うよ」

 けれど視界を別のところに向けようとした瞬間にかけられた彼女の優しい声に僕は驚き、心揺さぶられ、思わず向き直ってしまった。

「なんだかね、一ノ瀬くんはやりたいことを見つけられてないだけで、もしそれがはっきりしたらすごい頑張れる人だと思うんだ」

「……買い被りだよ」

 僕は図書室の隅で本を読んでいるだけの現状に満足している人間で。何かに向かって突き進むような主役を張れるようなタイプでは、きっとない。そういうのは蒼井みたいな僕とは反対の人間で、僕はそんな彼らを指を咥えながら羨ましそうに見つめるような、どうしようもない人間だ。

「じゃあ勝負しよう、君が主人公になれるかどうか。私はなれる方に一票!」

「……それっていつまでに?」

「えー、どうしよっか。うーん……おじいちゃんになるまでとか……」

「おじいちゃんになったら主人公にはなれないってこと?」

「ひねくれてるなあ、じゃあ死ぬまでね!」

 彼女は何を言っているんだろうか。そんなのは勝負になっていない。「主人公になる」という定義が曖昧だとか、僕が「主人公になること」を諦めてしまえばそのまま僕の勝ちになってしまうとか、そういう根本的なところもあるけれどそれ以前に。

「死ぬまでって、そんな先まで連絡取りあえるわけないじゃないか」

「どうして?」

「どうしてもなにも、転校したらそれっきりでしょ」

 僕はこれまでいくつか学校を渡り歩いてきたけれど、今でも連絡を取り合っている友達なんて一人もいない。それは元々僕に友達が少ないとかそういう事情はあるにせよ、転校というのはそれくらい友人関係を大きく断絶する出来事なんだ。

 そしてパリニチという学校において、転校というのは不可避の出来事だ。一生をフランスで過ごすような家庭ならそもそも現地の小学校に通わせているはずで、ここに通っている子供たちは僕も含めていつか日本に帰る。そうしたらよっぽどのことがない限り出会うことはないだろう。

 そんな僕の後ろ向きな気持ちを知ってか知らずか、蒼井はこう答えた。

「私は、転校くらいで今の友達と一生離れ離れになるつもりなんてないよ」

 今まで転校でいろいろなものを失ってきた僕の、弱い弱い僕の考えを、彼女は力強い言葉で打ち砕いた。その目を見ると蒼井が自分の言葉をまるで疑っていないことが伝わって来て、僕はその意志の強さに委縮すると同時に……憧憬を抱いた。

「……蒼井は」

「うん?」

「蒼井は、どんな主役になりたいの?」

 僕から見たら、蒼井はなんにでもなれそうな光り輝いている子だ。でも、そんな印象は彼女の内面とは何の関係もない。蒼井がなにかになりたいという想いは、彼女の内にしか眠っていない。僕はそれを知りたいと思った。

「……それはね」

 蒼井は声を潜めながらこっちに顔を近づけてくる。呼吸すら感じられるその距離感に僕はドキドキし、そのことを隠すために思わず息を止めてしまう。そして蒼井の答えを聞き漏らすまいと彼女の口元に意識を集中し――

「……秘密」

――その言葉に一気に脱力してしまった。

「まだ誰にも教えてないことだから。一ノ瀬くんにだけ意地悪してるわけじゃないよ」

 ふふっといたずら気に、そしてミステリアスに蒼井は微笑む。どうやら僕はからかわれていたらしい。

「……僕が教えてもらえるのは何番目になるんだろうね」

 仲良しな子が何人もいる蒼井からしたら、僕の優先順位は下から数えた方が早いだろう。

「うーん、意外と早いかもよ?」

「え?」

 少し残念がっていた僕に対し、そんな想定外の言葉がかけられて一瞬思考が止まる。

「なんとなくね、私と一ノ瀬くんは似てるところがある気がしたから」

「似ている?」

 どこがだろうか、真逆な気しかしないけれど。

「それも、秘密」

 今度はいつもの太陽みたいなにこっとした笑顔を蒼井から受け取ると、図書室に予鈴のチャイムが鳴り響いた。

「じゃ、教室に戻ろっか」

「うん」

 今日の図書室での読書会はほとんどページが進まなかった。それでもいつも図書室で一人過ごしていた頃と比べて、なにか自分の内面が大きく変わったような、そんな漠然とした実感があった。


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