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第十四話

 蒼井がパリニチを去る日、小学三年生三学期の終業式の日はあっという間にやって来た。

 終業式自体は早々に終わったが通学バスが出発するのは昼過ぎで、それまでは自由時間だった。

 僕は五号車で蒼井は三号車だったからバスに乗ってしまったらもう話すタイミングはない。

 けれど僕はその事実から目を逸らすように窓側の席から分厚い雲に覆われたフランスの空を眺めていると、隣の奏多が声をかけてきた。

「いいのかよ、悠希」

「……なにが?」

 奏多の言いたいことは痛いほどよくわかっていた。それでも僕は知らんぷりをして惚ける。

 それを認めることはとても怖くて、認めてしまったら最後僕の心臓は張り裂けてしまうんじゃないかって思ったから。

 けれど考え無しで真っ直ぐな奏多の口は、僕にその真実を突きつけてくる。

「蒼井と話せるの、もう今日が最後だぞ」

「……」

「好きなんだろ?」

「……ほんとオブラートに包むってことを知らないよね、奏多って」

「オブラートってなんだよ?」

「馬鹿正直ってこと」

 そう憎まれ口を叩いた時、隣のクラスから笑い声が聞こえてくる。

 蒼井は言わずもがな人気者だったから隣のクラスでは盛大にお別れ会をやっていて、その喧噪は僕のクラスまで届いていた。あの中に突撃して主役の蒼井を連れて行く勇気は僕にはなかった。

「馬鹿ってなんだよ馬鹿って。正直なのはいいことだろ? それに友達が後悔まっしぐらなことしてたら背中を押してやるのが本当の友達ってもんだろ」

「……奏多ってたまに良いこというよね」

「そうか? へへっ」

 やっぱり斜に構えてるような僕みたいなのより奏多のような人間の考えの方が勇気づけられるし、本当の意味で生きているような気がする。

「はぁ……」

 僕はそうため息を漏らしながらガタッと音を立てて席を立つ。奏多は僕を見上げてキョトンとした。

「どうした?」

「……行ってくるよ」

「……おう、砕けてこい!」

 発奮させたいのか馬鹿にしたいのかわからない奏多の声を背に教室を出たところで、僕は隣の教室から出てきた生徒とばったりと出くわす。

 ぶつかりそうになった僕は慌てて一歩横にスライドした。よろめいた拍子に何度か嗅いだ覚えのあるゆずの匂いが鼻を掠める。立ちすくむ生徒の顔に目の焦点を合わせると、それはびっくりした顔をしてポニーテールを揺らす蒼井だった。

「蒼井……」

「あ、良かった、一ノ瀬くん。声かけようと思ってたんだ」

 そう言いながら蒼井は小脇に抱えていた物を僕に見せる。

「本の返却。一緒に行こ?」

 彼女の手には僕らを繋げ続けた「モモ」が握られていた。


 一旦教室に戻って本を回収する僕をニヤニヤ見ている奏多に一発蹴りを入れてから、僕は蒼井と図書室に向かう。

「流石に日本までは持っていけないからね、ビブリオ・テレパス使えるのも今日が最後」

 肩をすくめる蒼井はそれほどここを去ることに未練を感じているようには見えなかった。

 僕と会えるのが最後になることにも。

 当たり前だ。僕が蒼井のことが好きで、それ以上に彼女の言葉に救われたことがあったとしても、それは蒼井からしたら関係のないことだ。

 蒼井にはたくさんの友人がいるし、僕はそのうちの一人に過ぎない。ビブリオ・テレパスという秘密を共有したことで勘違いしてしまっていたんだ。

「ねえ、一ノ瀬くん」

 ずっと黙っていた僕を見かねてか、蒼井が声をかけてきた。

「……なに?」

 急な呼びかけに思わず僕は不機嫌のようにも聞こえる声を出してしまう。ただの受け答えすら満足にできない自分が、嫌になる。

 しかし蒼井はそんなことを気にした様子もなく、僕の前を何歩か先行してからこちらを振り向く。

「最後にさ、ビブリオ・テレパス使おうか」

 もうすぐやってくる別れに憂鬱な僕とは対照的に、蒼井は楽しそうにニヤリと笑った。

 図書室に入った後、僕らは本の返却棚を素通りしていつもの机に向かった。

 いつもの机にいつものように向かい合わせになって僕らは座り、「モモ」を開いてお互いに向き合う。

『この席もすっかり私たちの定位置になっちゃったね』

『まあ、図書室に来る生徒なんてそんなに多くないしね』

 僕の経験上、昼休みに図書室に通う子よりも校庭や体育館で遊んでいる子の方が圧倒的に多い。それが毎日ともなれば尚更だ。

『ここで僕ら、いろんな本の話したよね。あの本は面白いとかこの本はイマイチとか』

『したした。私はホームズ派だったけど一ノ瀬くんはルパン派だったり』

『……ルパンの方が絶対カッコいいでしょ』

『いやいやいや、絶対ホームズ……この話収集つかなくなるからやめよ』

『そうだね……』

 過激派二人の論争が勃発しかけたところで大人な蒼井がブレーキをかけた。前に一回喧嘩になりかけたからな……。

 蒼井は机に倒れ込んでその柔らかな頬をむにゃりと歪めながら言葉を続ける。

『図書室に限らず他にもいろいろあったなあ。遠足も今となってはいい思い出。運動会とかも』

『運動会?』

 転校してから僕はまだこの学校の運動会には参加していない。だから蒼井の参加した運動会でどんなことがあったのか、僕は知らない。

『あ、一ノ瀬くんは二学期からだからまだ運動会やってないんだっけ? 楽しいよ。徒競走や玉入れもだけど、私はみんなでやる踊りが一番好き。去年はソーラン節だったなあ』

 僕の知らない行事を楽しげに話す蒼井。

 当たり前だけれど彼女は僕より前からこの学校にいる。そこには僕の知らない蒼井がいたわけで、幼稚な僕はその事実がたまらなく嫌だった。

『一ノ瀬くんも楽しみにするといいよ』

『……』

 蒼井がいなくなった後の学校生活に何を楽しめと言うのか。

 身勝手でドス黒い胸の内を蒼井に打ち明けるわけにもいかず、僕はどうにか話題を変えられないかなんて浅ましいことを考えてしまう。

 けれど今の僕には蒼井と話す話題なんて思いつかなかった。たった一つを除いて。

 今、僕が蒼井に伝えるべき言葉などひとつだけだろう。

 でもそれを拒絶されるのが、僕は怖い。とてもとても、とても怖い。

 ごめんなさい。その言葉を聞いた瞬間、僕という存在がバラバラになって二度と元に戻らないんじゃないか。そんな無根拠な確信が僕の頭の上から足の爪先までを満たしていた。

 でも同時にこのまま離れ離れになればきっと後悔することも僕にはわかっていた。

 だから僕は恐怖を振り払って、一歩踏み出す。

『蒼井。……伝えたいことが、あるんだ』

『ん。なーに?』

 彼女のくりっとした瞳が僕の方を向く。その無邪気な瞳を見て僕は思う。

 ああ、僕は君が好きだ。この気持ちを、伝えたいと。

『僕は……』

 言葉に、詰まる。

 言え、言うんだ! 勢いでもいいから言ってしまえ! 

 そうやって自分を鼓舞して、僕は言葉を続けようとする。

 けれど。

『……ぁ』

 まるでチェーンが外れた自転車のペダルを回すかのように、僕の思念は空回りして蒼井に伝わることはなかった。

(どうして……⁉︎)

『一ノ瀬くん、大丈夫……?』

 混乱する僕を心配そうに覗き込む蒼井。

『だい……じょうぶ……』

 その思考は、問題なく伝わった感触があった。なぜだ。なんで告白だけは伝えることができないんだ?

(もしかして……)

 単なる応答と告白の言葉。その間にある違いを考えた僕はひとつの仮説に辿り着いた。

 ビブリオ・テレパスは本当に伝えたいと思った言葉しか伝達しない。

 けれどそれは単に伝える言葉を取捨選択できるというだけではなく、もしかすると口では勢いで言えることでも伝える覚悟が足りなければビブリオ・テレパスでは伝えることができないのでは……?

 この仮説が事実だとすればそれはつまり、今の僕には彼女に告白するための勇気すら足りないを示していた。

 その事実を突きつけられた僕に、もはや口頭に切り替えて告白を続行する気力もなく。

『……ごめん、なんでもないや。教室に、戻ろうか』

 ビブリオ・テレパスを使った最後の交信で、僕は蒼井にそんなことを告げることしかできなかった。


 返却ボックスに二人で「モモ」を置いた後、僕らは図書室から出る。

 何度となく繰り返した教室への帰路が、今日に限っては胸を締め付ける。

 この五十メートルにも満たない短い廊下が、いつまでも終わらなければいいのに。

 そんな僕の葛藤をよそに、蒼井は何かを思い出したかのように声を上げた。

「そうだ、忘れてた」

 蒼井がパーカーのポケットから何かを取り出す。

「はい、これ」

「……これは?」

 蒼井が渡してきたのは淡いピンク色をした封筒だった。パンジーのシールで止められたそれを受け取った僕に、蒼井は続ける。

「一ノ瀬くんへの手紙。恥ずかしいから家に帰るまで開けないでね」

「手紙?」

「うん。引っ越し先の住所も書いてあるから。お手紙ちょうだいね?」

 僕を射抜くような彼女の目を見て、蒼井と出会った頃の言葉を思い出す。

『私は、転校くらいで今の友達と一生離れ離れになるつもりなんてないよ?』

 あの言葉は本気だったらしい。だからこそ蒼井はここから転校することに未練を感じていなかったんだ。転校くらいで関係性が終わるなんて、思っていないから。

 その彼女の強さに、僕は思わず笑ってしまった。

「あはは……凄いな、蒼井は」

「どうしたの? 急に」

「急じゃないよ、ずっと思ってた。……絶対送るよ、手紙」

「約束だよ」

 そう念を押した蒼井はいつものように軽快な笑顔を浮かべて、僕との距離を一歩近づける。

 蒼井につられて笑みを浮かべた僕は、ふと廊下の窓から日光が差していることに気づく。空を見上げるとわずかな雲の晴れ間から太陽がのぞいていた。

 僕と蒼井は転校で終わりの関係じゃない、これからもこの関係は続いていく。

 そしていつか、僕の覚悟が決まったら彼女に想いを告げられる。この時の僕は、そう信じていた。


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