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第十二話

 庭園はほとんど開けていて、宮殿の反対側は集合場所から地平線まで見渡せる。逆に言えばほとんどの場所からも集合場所を見失うとは考えづらく、それは蒼井が同じ班の女の子を探しに行った時も同じように考えただろう。

 唯一の例外は緑で覆われた領域、生垣で道を形作られた迷路のようなエリアだ。きっと蒼井ももし班員の女の子が迷っているならそこにいると考えたはずだ。



 ふと心配性な母さんが口を酸っぱくして言ってくる言葉が頭に浮かぶ。

『外国は日本と違って危ないんだからはぐれないようにね』

 いつも聞き流していたその言葉が急に現実味を持って襲いかかってきて、僕は鳩尾の辺りからヒヤッとした冷気を感じる。

「……っ!」

 ブンブンと首を横に振って不安を頭から追い出す。今そんなことを考えても仕方がない。

 迷路エリアの入り口に辿り着いた僕は、その中に入る前に足を止めた。

 僕がひとりで蒼井を探すことに、何か意味はあるのか?

 そう自分の行動が蛮勇である可能性に気付いてしまったから。

 先生に頼ったほうがいい。急がないと手遅れになるかもしれない。そんな状況で僕に何かできるのか。防犯ブザーを鳴らすなり大声を出すなり何かはできるだろう。

 蒼井を助けに行く理由とそれに対する反論が頭の中で応酬される。それは僕が何かを決断する時にいつもやっていることで、このこと自体が悪いことだとは思わなかった。

 考えることは大事だし、得意だ。今ある状況をひとつひとつ整理して、何が最も正しい行動なのかを見つける。それは一瞬ではできないことで時間はかかってしまうけれど、考えなしで失敗してしまうよりはよほど良い。

即断即決で物事がうまくいくのは物語の主人公だけで、現実では思い付きで行動しては痛い目を見ると僕は知っているから。

「……」

 とはいえあまり時間もかけていられない。集合時間までそんなに間はないし、もし蒼井が見つからなくてもそれまでには戻る必要がある。迷っている時間はない。

「……行こう」

 普段優柔不断な僕には珍しく、覚悟を決めて迷路エリアに足を踏み入れた。それは英断か勇み足かはわからなかったけど、僕にとって蒼井が自分の行動原理を捻じ曲げるくらいの存在だったことは確かだった。

 しかしながら現実はそう簡単にはいかない。五分ほど迷路エリアを探索した結果、僕は単純な事実に気付く。

「キリがない……!」

 道は確認してるので迷いはしないけれど、視界が通らないせいでエリア内を隈なく歩き回らないと網羅できない。とてもじゃないがこのままでは集合時間までに蒼井を見つけるのは無理だ。

 なにか、ないか。

 蒼井を見つけるための方法。他の観光客に聞こうにも僕はフランス語も英語も満足に話せない。パリニチの生徒も先生もすでにこのエリアからは去ってしまっている。

 物語の中ならきっとすぐに手がかりを見つけて蒼井と会えるだろうに。やはり、僕は物語の主人公にはなれない――

「……あっ」

 そこまで考えて、一つの可能性に思い当たる。

「もしかして……」

 僕は足を止めてリュックを地面に下ろし、その一番奥底から一冊の本をを取り出した。

 それは蒼井と僕を繋げる「モモ」だった。

 ハードカバーの本は思いのほか重く宮殿内の見学中は持ってきたことをちょっと後悔していたけれど、今はその選択をした過去の自分に感謝する。

 もし蒼井も同じように持ってきていたのなら。

『蒼井! 聞こえる?』

 五秒、十秒、そしてたっぷり三十秒は待っただろうか。

 考えてみれば当たり前の話で、わざわざ遠足に分厚い本を持ってきていて今この瞬間に開き僕の呼びかけを待っているなんて、ご都合主義もいいところだ。現実はそんなに甘くないことくらい僕はちゃんと理解していたはずなのに、蒼井との出会いでほだされてしまったらしい。

 でも。それでも僕は諦めきれなかった。ビブリオ・テレパス以外の何かでも僕と蒼井は通じ合っているんじゃないかと、そう望んでしまう僕の心が彼女にもう一度呼びかける。

『蒼井……いないのか?』

 そんな人から見たら無様で情けない気持ちからの呼びかけを、受け取るものがいるかもわからない虚空へと飛ばし、返答を待つ。

 きっと、実際には一秒も経っていなかったんだと思う。

『……一ノ瀬、くん?』

 それでもその応答が返ってくるまで、僕は永遠と錯覚するほどの長い時間を感じた。

『蒼井! よかった、繋がった!』

 単なる偶然か、それともそれ以外の何かが理由かはわからなかったけど、蒼井との間にテレパシーが繋がったことに心の底から安堵する。本を開ける状況ということは悪いやつに誘拐されたりはしていないらしい。僕は大きく胸を撫で下ろし、蒼井に語りかける。

『蒼井の探してた子はもう戻ってきてるよ。帰ってきて大丈夫』

『それが……足、捻っちゃって』

 普段の快活な蒼井から想像できない弱々しい声が返ってくる。どうやら迷ったわけではなく、足を怪我して移動できない状況らしい。

『今、どこにいる?』

『えっと、噴水がある広場だね……』

 このエリアは噴水が多過ぎてそれだけじゃ目印にならない……。

『他に何かない?』

『他に……うーん……』

 僕の問いに困ったように周りを見回す蒼井の雰囲気が伝わってくる。看板の文字は読めないだろうし、噴水の特徴を伝えるにしてもよほど印象的でないと言われても流石にわからない。そもそもその広場を僕が通っていなかったらわかるはずもないし。

『あっ』

 と、その時蒼井が何かを見つけたような声を漏らす。

『どうしたの?』

『なんか、すごい大きい真っ赤な消しゴムが落ちてた。学校で見たことあるような……』

『大きい真っ赤な消しゴム……?』

 そんな特徴をした消しゴムを確かに僕も学校で見た覚えがある。あれは確か……。

『そうだ、奏多が休み時間に消しピンに使ってるやつだ!』 

 奏多がデカくて重くて全然滑らないから重宝してる消しゴム! カバンの中身をぶちまけた時に落としたのか。あんな大きくて目立つ物を見落とした奏多の注意力に呆れるよりも前に、それを蒼井がいるところに落としていた幸運に感謝する。

『そこならわかる、待ってて。すぐ行くから』

 班で経路確認を担当していたおかげでどの位置に蒼井がいるかは頭に入っている。人にぶつからないように注意しながら、出来る限り早く蒼井の元に向かう。

 何度か角を曲がった後、まっすぐに続く通路を抜けると一気に視界が開けた。その噴水広場はちょうど団体客が去った後のようで人がまばらだったから、一人でいる日本人の女の子を見つけることは簡単だった。

「蒼井!」

 駆け寄った先には膝の上に「モモ」を載せ、体育座りで俯く蒼井の姿があった。

「蒼井……大丈夫?」

 恐る恐る声をかけると、蒼井はゆっくりと首をもたげて僕と視線を合わせた。

「一ノ瀬くん……」

 そう零す蒼井の目線は焦点が合っていなくて、見てて痛々しくてたまらなかった。僕は蒼井の傍らにしゃがんで言う。

「……肩貸すから、捕まって」

 本当はおんぶをしてあげたかったけれど、そうするには身長も筋力も全然足りていない自分を僕は呪った。

 目の前でボロボロになってる好きな女の子をおんぶすることすら、今の僕にはできないのか。

「ごめん……ごめんね……」

 僕の肩を借りながらそう繰り返す蒼井の様子は、いくら異国の地で迷ったと言っても異常だった。はぐれたこと自体が辛かったというよりも、助けにこさせてしまったことの方を後悔しているような。

「嫌いに、ならないで……」

 そう零す蒼井は後ろ手に回した左手で僕の左肩を不安げにギュッと強く握る。その甘い痛みはなぜか僕の胸をざわつかせた。

 集合場所に戻ってきた時は指定の時間直前で、もうほとんどの班は到着して先生の指示を待っていた。

 なるべく一目につかないように蒼井の班の女の子たちと合流する。

「穂波ちゃん怪我したの? 大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫。ちょっと足挫いちゃってね、一ノ瀬くんに助けられたよ」

 集合場所に戻ってきた蒼井は足を痛めたのを気にする以外はすっかりいつもの調子で、先生に怪我の状態を報告した後は友達の肩を借りてそそくさと自分の班に帰って行った。

 蒼井に肩を貸して集合場所に戻ってきたことで、その様子を目撃したクラスの男子数人に囃し立てられたけれど蒼井のおかしな様子が気に掛かって僕はそれどころではなかった。

 僕はどうにかして蒼井と話すタイミングを見つけたかったけれど、その後遠足が終わって家に着くまで、僕が彼女と話す機会はなかった。


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