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第十一話

 その日の夜、いつものように「モモ」を開き、ビブリオ・テレパスで蒼井と交信する。蒼井の受け答えからは昼に感じた不穏さはすっかり抜けていた。あの蒼井は、白昼夢とでも思っておこう。

『今日はびっくりしたねー。流石に横転するほどじゃなかったけど』

『もしかして馬鹿にしてる?』

『あはは。ソンナコトナイヨー』

『棒読みなんだけど……』

『まあまあ。でも……ちょっと運命感じちゃったな』

『……っ!』

『あっ、一ノ瀬くん今ドキッとしたでしょ!』

『……怒るよ』

『ごめんごめん、一ノ瀬くんの反応面白いから。……そろそろ寝るね、おやすみ!』

『おやすみ』

 そう伝えた僕は枕もとに開かれた「モモ」をパタンと閉じる。最近の蒼井の僕への扱い、からかい甲斐のある奴みたいな感じになってないか?

 ナメられているようでなんだか腹立たしい。でも。

「でも……やっぱり、好きだな」

 初めて言葉にしたその想いは僕の心臓の鼓動を早め血流が加速する。それに加えて全身を覆うむず痒さに僕は体をモゾモゾと動かした。

 苦しいな。とても苦しい。涙すら出そうだ。

 でもその苦しさは、どこか心地よかった。




 年が明けてすぐの平日。僕たちは生地の厚い服を何枚も重ね着した厳重な服装で遠足に来ていた。

パリは緯度が東京より高い分、冬は氷点下にまで気温が落ちることも珍しくない。肌を裂くような厳しい冷気が風となって整列している僕らの隙間を通り抜ける。

「う〜〜さみ〜〜」

 列の後ろで奏多が寒さに悶えているが、僕も似たようなものだ。今日は手袋を忘れてしまったから、ウインドブレーカーのポケットに両手を突っ込んで寒さをしのいでいる。……なんでこんな肝心な日に。

 行き先はヴェルサイユ宮殿だった。奏多に聞いた話だとここは遠足の行き先として定番中の定番らしく、毎年一回は行くことになってるらしい。

 バス降車後の人数確認が終わり、先生たちに先導されながら建物内を見学していく。きらびやかな装飾や天井を彩る絵画の数々、色鮮やかなビロードの椅子などが中世ヨーロッパの姿を現代に再現していた。

 母さんにはこの遠足をとても羨ましがられた(ベルサイユのばらという漫画の舞台らしい)けれど、僕にとってはなんだかよくわからない古い建物にすぎない。最初こそ豪奢な内装にびっくりはしたけれど、その後は大して興味も湧かなかった。それは大多数の同級生も同様なようで見学中は意識散漫になっている子ばかりだった。

「なんとか何世が建てましたー、とか言われても知ったこっちゃないよなー」

 隣の奏多が軽くあくびをしながらそんなことを言う。同じ班の同級生たちもそれに頷きながら眠そうに瞼を擦っている。ただでさえ退屈なのに、今日はいつもより早い時間に起こされたから尚更だ。

 今は昼食後の自由散策の時間で先ほどまでの所在なさからはある程度解放されていた。先生たちからあらかじめ移動範囲は限定されていたけれど、宮殿内をただ引率されて歩き回るよりは遥かにマシだった。

 僕の身長の三倍はあろうかという高い生垣はほとんど隙間なく草木に覆われていて、その向こう側がどうなってるかは全く分からなかった。

 開けている場所はエリアに点在する噴水がある広場くらいで、基本的には左右に聳え立つ生垣が圧迫感を演出していた。

 また生垣が構成する進路に分岐が多いのも相まって、このエリアはほとんど迷路と言って良かった。ただ小学生男子というのはこういう迷路が大の好物で、それは僕の班のメンバーも例に漏れず大興奮だった。……もちろん僕もそのひとりである。

 テンションの上がった奏多が、カバンのチャックが開いていることに気づかずにスキップしまくってカバンの中身をぶちまけていた。筆箱の蓋まで外れて凄い惨状に……。アホだ。

 地面に散らばった文房具やプリントをかき集める奏多に冷ややかな視線を送りながら、この先の経路を地図で確認する。道案内は班内での僕の役割だった。地図を読むのは得意だったから特に不満はなかったけれど。

その後、庭園をぷらぷらと巡りながら指定されたチェックポイントを通過して集合場所に到着すると、まだ集合までは時間があったが既に何組かの班が先着していた。

 蒼井の班はもういるかな、と各班の様子を伺っているとどこからか少し慌てたような女の子たちの声が聞こえてくる。

「ど、どうしよう」

「大丈夫だって、穂波ちゃんだよ? きっと時間までには帰ってくるって」

「でも……」

確かあれは隣のクラスで蒼井と班を組んでる子だ。昨夜の交信でそんなことを言っていた気がする。

 その班は何やら焦りながら話し合っていたが、そういう時にまとめ役を買って出そうな蒼井の姿はそこにない。話している内容にも不穏なものを感じた僕は、居ても立っても居られなくなって、同じ班の奏多に一声かける。

「奏多」

「ん? どうした?」

「ちょっと、行ってくる」

「は? ……おい、悠希⁉︎」

 奏多が制止する声を無視し、僕は女子数人のグループに近づき声をかける。

「……どうかしたの?」

「君は確か……一組の一ノ瀬くん?」

「蒼井がどうこうって言ってたみたいだけれど」

 普段の僕なら話したこともない女子のグループに突貫して会話に割り込む、なんてこととてもできない。けれど今の僕にはそんなことを気にする余地すらなかった。

 突然現れた僕にどう対応したものかこそこそと女子たちが話していたけれど、自分たちだけでは埒が開かないと悟ったのか一人の女の子が代表として僕の方に一歩近づき口を開いた。

「えっとね。穂波ちゃんが、はぐれちゃったの」

「蒼井が……?」

 話を聞くと元々遠足の班内で別の子がはぐれていたらしく、蒼井が「自分が探すからみんなは集合場所で待っていて」と一人で探しに行ってしまったらしい。

 しばらく経つとそのはぐれた子は集合場所に現れたけれど、代わりに蒼井が帰ってこないと。

「穂波ちゃんなら多分大丈夫だろうけど……」

「うん、穂波ちゃんだし……!」

 普段の蒼井の立ち振る舞いからそう楽観的に口にする女子たちだけれど、その言葉の陰にもし帰ってこなかったらどうしようという後ろめたさが隠れていた。

 僕は、心を落ち着けて彼女らに尋ねる。

「……蒼井は、どの方向に行ったの?」

「えっとね……あっちの花とか生えてるところの方向」

「庭園の方か、ありがとう」

「えっ、ちょっと、一ノ瀬くん⁉︎」

 そこまで聞いた僕は、後先考えずに走り出していた。


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