換骨奪胎
父親としっかり会話をするということは、妙に緊張感がある。
遂にこの日が来るとは思わなかった。ゆうこの人生史上最大の挑戦になるかもしれない。これまで、機会がないという言い訳をして回避してきたが、本当に心の底から望む時には回避のしようがない。頭の片隅にもなかった選択肢が、ひょこっと顔を出し、いつのまにか最前列に居座って存在を主張している。もし私が芸人なら、触れたりいじったりせずに無視することはできないだろう。今までは、時間に対して価値を感じる瞬間はなかった。そうした生活を送ってきたから、まぁ感じるもくそもない。しかし、この家に来てからは、時間を愛しく思っている。明確に設定された帰宅日を抵抗してずらすことはできないので、早く覚悟を決めなければ。
「今が、一番必要な時だよね。」
私は、難題を解決するための道筋にアドバイスをもらうため、父に電話をしようと思う。これは、私にとってとても重要な出来事になるだろう。もしかしたら、仕事が忙しいかもしれない、というか忙しくなったから家を出ていったわけで、こちらから連絡をしても迷惑なだけだろう、うん、そうに違いない。が、今以上に親を頼りたいと自覚したことはない。怒られてもいいから言葉をもらいたい。父はメールを見ない。見ないというよりは、結果的に見ないことになっている。研究に没頭するために、それ以外の情報を排除して専念したいらしいが、そのおかげで何度か時間に遅れることがあった。それを、母は恨んでいるとかいないとか。喫緊の課題として、優先順位的には兆しを見つけることが一番上。そのための方法がその下。父への電話という名の対話は、この大局を大きく変える力を持っている。
こうしている間にも、刻一刻と時間は過ぎてゆく。いくら蝉の声が繰り返し響いていたとしても、時の流れを感じることはできる。
「電話に出ますように。」
そう、まず出るかもわからない。出てほしくはない、といえば嘘になるが・・・。着信音が鳴ってしまった。蝉の声に当然負けているが、まるで私自身から鳴っている気がして、私が震えているような気がして。
「解決したか?」
様々な第一声を越えて、一番欲しい言葉が聞こえた。
「ううん、まとめる力がなくて、人に伝えることさえできない。」
「わかる。が、それではいけない。”何を”ではなく、”どう”解明したいか考えなさい。」
頭がいっぱいになって、こんがらがってしまった。どう解明したいか?それを自分が決めていいのか。
「全ての謎を包み隠さず解明したい。」
「それは目的だ。手段はどうする。」
「人と協力して、父さんとも協力して解明したい。」
言葉を振り絞って答えた。
「それでいい。いつでも電話しなさい。」
「でも出ないでしょ。」
「大丈夫だから。」
そうして何年かぶりのちゃんとした親子の会話は終わった。こんなにもしっかりと話したのは初めてかもしれない。協力してもらうのに、母は何となく理解があるように思われるが、祖父母がどういった反応を示すだろうか。祖父は大変に可愛がってくれるが、祖母は去年の件もあり疑っている。もしかすれば、スマホに残された去年のメモが、夢から覚めたばかりで書いただけだったら合点がいく。しかし、そのような記憶はない。というよりも去年あったことが確かであるかどうかも不安である。協力して解明するのなら、祖母を回避しては通れず、この家に関してはことさら一番重要な人物かもしれない。
ガラガラガラガラと玄関を開ける音が聞こえたので、小走りで向かう。
「はぁ、これ煮つけて今晩に。」
「こんなにたくさん。水っぽくならない?」
「水の代わりに入れるんよ。」
真っ赤に燃えたトマトを、両手からこぼれるほど運んでいる。外の蛇口で洗ったばかりで、表面に弾けるほどの水滴がまとわりついている。その水滴の一つ一つが、太陽の陽を包んでいる。なんともかぶりつきたくなるような。
「ゆうちゃん、食べるかい。」
そのまま受け取ってぐっと歯を入れる。汁がこぼれないように啜りながら齧ると、薄皮がパリッと弾けて独特な実の舌触りと細かな種が、口いっぱいに広がる。小さな種を前歯でゆっくりと潰すのが好き。あのプチっと潰す感覚が病みつきになる。そうしている間にも、祖母は部屋に戻っていく。話しかけるタイミングを図っているけれど、こういう時に限って言い出せない。いつものようなおばあちゃん、と声をかけることが難しいので、今トマトを食べているからしゃべることができない、という言い訳を持っている体でその場にいる。
また同じ道を辿っている。協力をして解決することを考えれば、今こうしてトマトを味わっている暇はないのだが、体を動かすだけの気力がなくて肩に子供が乗りかかっているような気分である。私はトマトを食べるのをやめて、ぐっと唇に力を入れたまま体を震わせた。そしてなんとか足を踏み出して、祖母のいる部屋まで歩いていく。こうなれば、もう誰にも止められないはずだ。強く前へ動き出すが足音はなるべく立てず、川の流れのようにさらさらと渡る。それでいて強く前進しているのだから、相当気合いが入っていると見受けられる。気づいたのは、祖父母の部屋の近くにも庭のようなものがある。人様には見せずに、趣味で整えたような感じである。おおよそ好きな花や植物を自由に育てているのだろう、目立って不思議なところは何一つない。
「コンコン。」
障子の木の部分をノックしようと思ったが、床板を叩いてノックすることにした。何気に初めてこの家でノックをしたと思う。
「おばあちゃん入るよ。」
少し立て付けが悪いので途中で引っかかりながら開く。
「ん、どうした。」
おばあちゃんは優しく声をかけてくれるが、膝を突き合わせてじっと目を見た。祖母も大事なことを聞く姿勢を取ってくれた。
「何かあったのかい。」
「協力してほしいことがあるの。」
私は、ゆっくりと言葉をまとめてわかりやすいよう説明した。包み隠さず、たとえ怒られようとも。
「私ね、この家には大きな謎があると思っているの。この家だけじゃなくて、ここ一帯に古くからの謎がある。大きな中庭に石があるでしょう。あの石が私の中で強く印象に残ってて、あそこの本棚にあった本をお母さんに見せてもらったの。それでますます謎を解きたくなったんだけど、、、おばあちゃん。」
うんうんと頷きながら顔を見てくれる。私は、聞いてほしかったんだ。
「協力してください。」
振り絞った口に、少しばかり血の味がした。先ほど力を入れすぎて唇から血が出ていた。独特な血の味が、脳まで届く。ああ、暑い。この家こんなにも暑かったっけ?蝉の鳴き声がやんで、風も吹いていないから何も聞こえない。
「ゆうちゃん。」
だからこそ、はっきりと聞こえた。
「なんでも聞き。自分が一番やりたいことなんやろ。ばあちゃん、応援するわ。」
そこに嘘があるようには見えなかった。たしかに私を応援してくれる。
「ありがとう、さっきのトマトおいしかったよ。」
「ふふ、厳しくした方が甘くなるからね。」
協力の意志を確保したが、今はまだ目的の確立や情報をまとめることができていないので、まずはそれをやってから協力してもらおう。
「あの庭の石にさ、縄があったような気がしたんだけど。」
「良く知ってるね。お母さんに教えてもらったの?」
私は理解できずに混乱した。
「去年の話だよ。」
「それは違うね。おばあちゃんが小さい時に縄があったんだよ。自然に朽ちて無くなったから、もうつけることもなくてね。」
もしかして、いやそんなはずはない。
「石の中に部屋ってある?」
「うんうん、あったねぇ。危ないから閉じて使えないようにしてね。」
「そこに像みたいなのあった?」
「ほれ、昨日のやつだよ。作り変えたけどね。」
現実的ではない想像をしたが、胸の内に隠すことにした。それは私が本気で考えるべきことじゃない。でも、もしも不思議なことが起こる世界だったらありえるかもしれない。
あの日を綴ったメモの内容は、私の体験ではなく祖母の幼少期の体験なのではないだろうか。もしかすれば、私と同じ年齢の時の体験かもしれない。しかし、それを祖母の口から直接聞いたことはないし、誰からも聞いたことがない。たまたま夢で見た内容をメモして、それがたまたま祖母の体験と似ている、ということか。今は確証がないので、そう思うことにする。
「おばあちゃんありがとう。」
部屋を出て考えを整理しようと思うのだが、どこから手を出そうか。私が悩んでいるのを見かねてか、祖母がふと
「庭を掘ってみるかい。」
と助け船を出してくれた。
「もう掘ったよ、あれ古い庭に新しい土をかぶせてたね。」
にやりと笑ったように見えた。まだ謎を隠しているような影を察して
「もしかして死体でも埋まってるのかな。」
と庭の方を見ながら答えてみた。
「そうだったら面白かったかい。」
「いや、桜の木もないもんね。」
梶井基次郎を読んでいて良かった。ただ、こうして柱に寄りかかっていてもしょうがないので、作業に戻ろうと思う。
「あ、トマト。」
台所の机にトマトを置いたままで部屋に来てしまった。もう食べられないだろうから急いで片づけないと怒られる。障子を閉めて、ダンダンと小走りで台所へ向かうが、そこにもう誰もいなかった。ただ、そのテーブルの上に私の歯型のついたトマトが一つ、熟れた蜜を垂らしながら帰りを待っていた。私はそれを見た。
ゆうこの捜査に祖母は協力してくれるそうです。
まだ話ができていない祖父は、どのような情報を持っているでしょうか、気になりますね。




