それぞれの人生
祖父母宅にあった『御山見聞実録』という書物に記された石の全容。かつて水害にあったこの地域に、突如として現れたその石は、実はほとんどが地面に埋まっていた。その事実に、ゆうこは静かに興奮していた。
注:()内はLINEのやりとりである。
しばし興奮に悶える夏。聞こえてはいたが、一層セミの声は耳元で響く。落ち着かせようとするよりも、その興奮を誰かに伝えたい。
(聞いてほしいことがある)
親友の淳子に、どう表現して良いのか悩みながら、伝わりづらい文章を送る。
(里帰り楽しんでるー?)
(楽しんでるよ それよりうちの家がたいへん)
(どした とうとうやらかしたか)
(家に大きな庭があるんだけどさ 変なんだよ)
(はぁ、家広い自慢ですか)
(そうじゃ、まぁそうでもあるんだけど いやそうじゃなくておかしいところがあるの)
(ほうほう)
しかし、この異様さを言葉にすることは難しい。カメラで撮って伝えようにも、どうおかしいのかは体験するほかない。この伝え方や言葉の組み方が、これからの問題になってきそうである。
(うまくいい表せないけど 見つかってほしくないものを隠そうとしているの)
(隠ぺい?)
(庭の真ん中に石があるんだけど その石は実際はもっと大きくて)
(石が埋まってることが なんでおかしいの?)
(だってその10倍くらいが埋まってるんだよ)
うまく説明ができなくて、むずむずしていた。そもそも石がどこからともなく現れたことも伝えきれていない。興奮を伝えようとしすぎて、本題をうまく言語化できていない。この場にいないのに、興奮だけを共有しようとすることがいささか無理があった。
(ちゃんと文章をまとめてから報告する)
この時ばかりは、上司に研究報告するような感覚でいた。それに対して、淳子も理想的な対応をしてくれた。
(では、そうしてくれたまえ)
こうやって、私たちは心の通う親友になっていったのだ。
まとめる前に、現時点の情報を時系列順に並べていく。まず、現実の状況として庭には細工がされている。その細工とは、新たに上から土をかぶせて新しく庭を創造した。一年前の残骸が、土の下にしっかりと確認できる。奇妙な石は、顔を出している部分の何倍もの全容が、土の下に埋まっている。埋まる過程で、過去に水害との関係が見受けられる。解決していない漠然とした問題として、この石がどこから現れた、運ばれたのかはわからない。水害の歴史を辿って、明確な年代の特定はできそう。二つ目に、夢の中に現れた青年との対話。これは、実際には存在していないので、単なる想像の範囲内でしかない。ここまで過程を並べた時に、特に重要な発見はしていないことがわかった。何も真実にはたどり着いてはいない。先ほどまで熱くなっていた幼い精神は、急速に冷やされた。私は、何も解決もしていなければ、重要な発見もしていないのに、妙に興奮して昂っていた。どれも、これから本腰を入れて捜査していく必要がある、ある意味で扉を叩いただけの発見である。初歩的な入り口で踊っているだけで、妙な納得感や充実感を得てしまい、本筋の解明の苦痛やしんどさ、困難さまで見えてはいなかった。ただ考えているだけでは進むことはできないが、進むことの恐怖や苦痛を考えると、先ほどまでの熱が冷め、それが氷のようになり、腰をカチコチに凍らせてしまっている。
しかし、彼女の情熱はまだ続いていた。それは、若さゆえの無限に湧いてくる謎の力やパワーであり、理由がなくとも稼働するエンジンである。まだ稚心を去ることができていないからこそ、先の見えない恐怖を視認することができない。彼女に情熱を持たせ続けたのは、彼女自身の犯されぬ領域から来る未確認の力であった。
「これからもっと調べることがある。」
誰しもが、一度覚えた高揚感や興奮を忘れることはできない。それをどうにか再現しようと努力する。彼女もまた、どうにか未発見の領域を解明せんと稼働していた。
家を出てからどれくらい経っただろうか、と言いたいところだが、妻の実家から纏向の事務所までは意外と近い。歩いて30分ほどかかる場所だが、あたり一面が田んぼであるために、行けども行けども進んだ気がしない。ここ一帯は盆地なので重い熱が沈んでいる。田舎は夏でも涼しいという幻想に、正論をぶつけるじっとりとした暑さ。けれど耐えられないことはない。首からぶら下げた白いタオルで時折、額の汗を拭う姿はなんともこの景色にマッチしている。子供頃に祖父が経営していた農園に行って、イチゴを縦横無尽に食べたなぁ。甘いものだけを食べて、酸っぱいのは下に捨てていた。それでいいよと祖父が言ってくれたことを今でも記憶している。孫は私だけだったから余計甘えさせてもらった。
「おじいちゃん、将来お医者さんになる!」
そんなことも言ったっけな。途中までは良かったのだけれど、僕は縄文に魅せられて考古学の方面に行ったよ。遺跡の何が良いかって?遺跡は多くを語らないから、そこがいい。死んでいるわけじゃない。いつの日か蘇って、過去を隠す闇を照らすために埋まったまま、なんだよね。
つい独り言をぶつぶつと心の中でつぶやく。実際に口にしていたのは大学生ぐらいまでで、それからは心の中でつぶやくようにしている。私の娘が、よく独り言を言っている。私に似て、色々考え事があるのだな。解き明かしたい謎があるって、そこも僕に似たのかな。
「あれか。」
米粒のようにずいぶん遠くから見えてはいたが、段々とちゃんとした事務所が確認できるようになった。どこにでもあるような顔をしている。
「どうも。」
扉からひょこっと顔を出して中を伺う。誰もいないような静けさだが、本当に彼らはいるのだろうか。
「ああ、お待ちしてました。」
中からではなく、外から声がする。振り返ると真夏の視線の中で、一人の男がにこやかに立っている。いくつかの飲み物を手にして
「ええと。」
「本多です。坂田は中にいますので、どうぞ。」
「この辺りは、自販機がないでしょう。」
「そうなんですよ、おかげでくたびれました。」
案内されるままに部屋へと向かう。扉をゆっくりと開き
「本多です。松崎さんいらっしゃいました。」
中には、電話の相手である坂田が、窓の外を見ながら立っている。部屋の外にいたのを知っていたであろうから、少しかっこつけている。
「松崎さん、お久しぶりです。」
「ああ、元気そうだな。」
熱い握手を交わす。窓から差し込む夏の日差しが少しづつ止んでいく。その少しづつ太陽が雲で隠れていく中で、妙な寒気を感じた。
「この部屋妙に、、」
「寒いですか。」
「そうなんだよ。君も、」
私は、言葉を詰まらせてしまった。私はあっけにとられてしまった。
「坂田君、何をしでかしたんだ。」
そばにいた志田は、何のことやらと怪訝な顔をして、机に買ってきた飲み物を置く。
「松崎さん、そのことでお呼びしたんです。私はまだ大丈夫ですが、ここの所長が。」
「・・・」
おそらく最悪な想定をしているであろう顔であった。所長については覚悟しなければならない。
「志田君、車の運転はできますか。」
「はい、今日は坂田さんの当番なんですよ。」
「・・志田君に運転してほしい。」
少し嫌な顔をしそうだったが、身内ではない人がいる手前いつものようにはできなかった。一応の納得した顔をしている。
「あの像だな。」
「やはりあの像に関係が?」
「志田君、この坂田という人はな、解明のために私を呼んだんじゃない。」
志田は、坂田の顔をじっと見つめる。どういうことか説明してもらおうか、と。
「あの伝説は、本当だったんです。」
「しかし。」
「ですから、はやく行動しなければいけません、さもないと。」
どういうことか理解できていない。それもそのはず、あの”伝説”自体知っているものは限られている。
「すいません、こんなことを言うようでなんですが、命に関わりますか?」
二人は沈黙している。それを察してか、すぐに準備に取り掛かる。
「本多さんのところへ。」
「ああ。」
三人はその場を後にして、病院に急ぐ。所長ではなく、本多の身に危険がある。太陽を隠した雲はしだいに厚みを増し、大きな雨粒を降らせる。空が黒く変化していくかたわらで、部屋に残された”女性の像”だけが、不敵に笑っているように見えた。




