朝にはもう、そこにいる
目を覚ました瞬間、アレンは違和感を覚えた。
――匂いだ。
いつもの白湯の匂いじゃない。
焦げる寸前の油と、刻んだ野菜の甘い香りが、家中に満ちている。
「……は?」
身体を起こし、キッチンを覗きに向かった。
そこには、見覚えのある白い背中があった。
簡素なエプロンを身につけ、鍋をかき混ぜる少女。
昨日、街道で拾ってしまった聖女――リリア。
「おはようございます、アレンさん」
振り返り、当たり前のように微笑んでいた。
「起こしてしまいましたか?」
「いや……そうじゃなくて……」
言葉が続かない。
「勝手に、すみません」
そう言いながら、彼女は一切手を止めない。
「でも、目が覚めたら何かしていたほうがいいかなって。
アレンさん、畑仕事もありますよね。朝は大事ですから」
まるで、何年もここで暮らしていたかのような口ぶり。
「……ここ、俺の家なんだけど」
確認するように言うと、リリアは少し目を丸くした。
「はい。知っています」
即答。
「だから、大切に使っています」
――意味が分からない。
「泊めただけだろ。客なんだから」
大人しくしてろ、という言葉は彼女の言葉にかき消されてしまった。
「今日から一緒に住みます」
当たり前のように言われ、アレンは口を閉ざした。
鍋から立ちのぼる湯気が、彼女の淡い金色の瞳を揺らす。
その瞳は、逃げ道を一切想定していない。
「……勝手に決めるな」
「では、アレンさんが決めてください」
リリアは火を弱め、静かに言った。
「私を、追い出しますか?」
その言葉に、昨日と同じ感覚が蘇る。
彼女をここから追い出す想像が、どうしてもできない。
王都にも、行き場にも、戻れないと知ってしまったからか。
それとも――もっと別の理由か。
指先がわずかに震える。
「……しばらく、様子を見るだけだ」
苦し紛れの言葉だった。
「はい」
彼女は満足そうに微笑んだ。
「では、“しばらく”の間、家事は私がやりますね」
「いや、そこまで――」
「アレンさんは、静かな暮らしがしたいのでしょう?」
核心を突かれ、言葉を失う。
「なら、その邪魔にならないようにします」
皿を並べ、スープを注ぎ、椅子を引く。
一つ一つの動作が、異様なほど丁寧で――完璧だった。
「……俺の生活を、守るって言ったよな」
「はい」
リリアは、迷いなくうなずいた。
「だから、壊れそうなものは、全部私が先に片付けます」
その言葉の意味を考える前に、
彼女は静かにスープを差し出した。
「冷めないうちに、どうぞ」
湯気の向こうで、彼女は微笑んでいる。
まるで――
最初から、ここが自分の居場所だと言っているみたいに。
アレンは、その微笑みから、
目を逸らすことができなかった。




