「白衣の中の爆弾」
「……分かったわ。話はそれだけ?」
理花は壁の〈火気厳禁〉プレートを睨む。
「その葉巻、消して。ここは火薬庫と同じなのよ」
浅川は気圧され、慌てて足を下ろして葉巻を揉み消した。
「……そういえば、例の“特殊部隊”の話は聞いたか?」
浅川は忌々しそうに吐き捨てる。
「詩島博士が作り上げた、特別な身体能力を持つ少女たちの部隊だ」
(身体能力ね)
その言葉だけが、なぜか耳に残った。
次の瞬間、理花の内側で何かが軋んだ。
怒りでも、恐怖でもない。
もっと根の深い、名前を持たない反応。
理花は知っていた。
この感覚が、父のものだけではないことを。
外の世界では、特殊部隊と反政府レジスタンスが衝突し、力だけが秩序を決めている。
だが、理花は檻の中にいる。
「私は、ここで指をくわえて見ているつもりはないわ」
内なる感情を浅川に悟られないように言う。
「納期は守る。……あんたが私の邪魔をしない限りはね」
そのときだった。
ビイイイイイイッ――!
不協和音のような警報が鳴り響き、研究室の照明が赤く染まる。
モニターに〈物理防壁・崩壊〉の文字が踊った。
「……チッ。私の計算式に、“他人の無能さ”という変数を入れる必要があったみたいね」
理花が舌打ちするより早く。
強化ガラスの向こうで、“それ”が動いた。
体長三メートル。
新物理法則によって筋繊維密度を鋼鉄並みに高められた、強化グリズリー。
設定ミスによるエネルギー暴走。凶暴な覚醒。
グオオオオオオオッ!!
バシャァァァン!!
強化ガラスが飴細工のように砕け散った。
こいつは今までのエラーとは物が違う。
スラムにポイ捨てできるレベルではない。
解き放たれた一トンの暴力。
逃げ遅れた研究員が、一撃で壁のシミへと変わる。
「うわあああ!」
逃げ惑う所員たち。
グリズリーが腕を振るたび、薬品の入った瓶が割れていく。
研究所中がツンとする異臭で充満した。
「……最悪ね」
理花は背筋が凍った。
揮発性のエーテル。
ニトロ化合物。
地下に作られた閉鎖空間。
そして回っているのかどうかも分からない換気扇。
この研究所はすでに巨大な爆弾と化している。
「た、助けてくれぇ理花ちゃん!」
浅川が腰を抜かし、理花の足元にすがりつく。
理花は浅川を見据えて言った。
「あんたの煙草の煙が、この事態を引き起こしたのよ」
もちろん皮肉だが、あながち間違いでもない。
こいつの撒いた種だ。
理花は瞬時に演算を走らせる。
逃げ道はない。
ハンドガンも使えない。
残された手札は、一つだけだった。
白衣のポケットの中。
指先に触れる、粘土のような感触。
軽い。小さい。
だが、致命的に危険な塊。
ほんの豆粒ほどの量でも、誤ればここ一帯を吹き飛ばす。
この地下研究室ごと、自分もろともだ。
理花は一瞬だけ躊躇した。
――使えば、もう戻れない。




