11:対価と幸福
最後の戦いが、始まった。
だが、それは戦いと呼べるものではなく。一方的な蹂躙だった。
「どうした、異界の騎士よ。その程度か!」
皇帝ゲルハルトが振るう黄金の大剣が、俺の防御ごと吹き飛ばす。
刀で受け止めるのが精一杯だ。衝撃が骨をきしませ、内臓を揺らす。刀も軋んでいる。
「くっ……アトラス!雷撃だ!」
「ダメですワン!バリアに弾かれます!」
メインサーバーから無限に供給されるエネルギー障壁は、俺たちの攻撃を無効化し、逆に数倍の威力でカウンターを放ってくる。
俺は床を転がり、血を吐き出した。
「神焔開放!」
俺は奥の手を使う。全身の筋肉繊維を強制的に焼き切るほどの負荷をかけ、身体能力を跳ね上げる。
視界が赤く染まるほどの加速。背後へ回り込み、皇帝の首を狙う。
だが――
「遅い。」
裏拳一発。
たったそれだけで、俺は砲弾のように吹き飛ばされ、壁にめり込んだ。
「がはっ……はっ……」
鎧の隙間から血が溢れる。指一本動かすのも億劫だ。いや、その指の骨すら粉々なのではないかと思うほど、言うことをきかない。
力の差がありすぎる。これが、皇帝の力か…。
やつがゆっくりと近づいてくる。死神の足音だ。
…勝てない。俺が死んだら誰がこの敵を倒せると言うんだ…
薄れゆく意識の中で、ふと、オットーとの会話が蘇った。
◆◆◆
夕暮れのシーブルック村。稽古の休憩中、オットーが神妙な顔で言った。
「いいかジン。神焔開放の上には、もう一段階、奥義がある」
「マジで!?教えてくれよオットーさん!」
「……教えん。いや、教えたくない」
「えー、ケチ」
「ケチではない。これは事故犠牲の技だ。自分の身体の一部、あるいは機能…自分にとって最も大切だと思うものを贄として捧げることで、一瞬だけ神焔開放の数十倍の出力を絞り出す」
「大切なもの…?」
「そうだ。命そのものではないが、お前がお前であるための根幹だ。それを失う覚悟があるか?…いや、使うな。お前はまだ若い。未来がある。何かを犠牲にして得る勝利になど、価値はないんだ」
◆◆◆
…オットー、あんたはそう言ったけどさ。
今、ここで負けたら、俺の未来も、あんたの未来もなくなっちまうんだよ。
俺は、自分の足を見た。
幼い頃から、来る日も来る日も走り続け、鍛え抜いてきた足。
オリンピックの金メダルを夢見て、全てを捧げてきた、俺の誇り。俺の翼。
この足があったから、俺は俺でいられた。
これを失ったら、俺はまた……あのベッドの上の、無力な塊に戻るのか?
(……怖いか?)
自問する。
いや、怖くない。不思議と、心は澄んでいた。
オリンピックを目指していた頃の俺は、自分のことしか考えていなかった。速く走ること、勝つこと、それだけが全てだった。孤独だった。
でも今は違う。この世界に来て、俺は知った。
飯の美味さを共感できる家族のようなオットー。
自分より弱いくせに、いつも俺の心配ばかりしてくれるコノミ。
出会って間もないのに、ボロボロになりながら俺の盾になってくれているアトラス。
そして、俺を信じて送り出してくれた村のみんな。
あいつらを守れるなら……安いもんだろ。
「ご、ご主人様…?」
アトラスが、俺の決意を感じ取ったのか、震える声で呼んだ。
「アトラス……少しだけ、時間を稼いでくれ。」
「……はい!命に代えても!」
アトラスが皇帝に向かって飛び掛かる。
その隙に、俺は刀を構え、深く息を吸い込んだ。
持って行け。俺の足だ。片足じゃ足りないなら、両足ともくれてやる!!
意識の中で、自分の中にある「走る機能」への執着を、魔力という薪にくべて点火する。
爆発的な熱量が、へその下から湧き上がった。
「神焔天賦……発動!!」
ドクン!!
心臓が破裂しそうなほどの拍動。
世界の色が変わる。皇帝の動きが、舞い散る粉塵が、完全に静止して見える。
足の感覚が消え失せ、代わりに膨大なエネルギーとなって全身を駆け巡り、刀へと収束していく。
俺は、消えゆく足のバネを最期まで使い切り、地面を蹴った。
もはや「速い」という次元ではない。空間を削り取って転移したかのように、皇帝の目の前へ。
「なっ――!?」
皇帝が反応し、剣を上げようとする。
遅い。止まって見える。
俺は、上段に構えた刀を、ただ真っ直ぐに振り下ろした。
小細工はいらない。これは、俺の人生そのものを乗せた一撃だ。
「天衝一閃ッ!!!」
ただの縦切りだ。だが、俺の青春、俺の血や汗、涙を共にした、俺の足を犠牲にした最後の縦切りだ。
音はなかった。
ただ、世界を分かつような光の線が、垂直に走っただけだ。
皇帝の黄金の装甲も、構えた大剣も、その背後にある玉座も、そして不気味に脈打つメインサーバーも。
さらに言えば、この巨大なアイゼンタワーそのものも。
すべてが、一瞬にして両断された。
一瞬の静寂の後…
ズズズ…と、タワー全体が左右にずれ始め、皇帝の身体が崩れ落ちた。
メインサーバーが火花を散らし、爆発四散する。帝都を覆っていた重苦しい気配が、霧散していく。
「……終わった、か。」
俺の体は、空中に投げ出されていた。
着地の衝撃を受け止めるはずの足は、もう動かない。
俺は無様に地面に転がり、仰向けになった。
「ご、ご主人様!ジン様!」
アトラスが駆け寄ってきて、俺の顔を舐める。
「はは……汚ねぇよ、アトラス。」
空を見上げる。
天井が割れ、そこから灰色の空が見えていた。雲の切れ間から、久しぶりに太陽の光が差し込んでくる。
足の感覚は、完全にない。
ピクリとも動かない。
コールドスリープする前、事故にあって絶望の淵にいた頃と、まったく同じ感覚だ。
あの頃の俺は、走れない自分に価値はないと思っていた。毎日が暗闇で、絶望しかなかった。
でも、今はどうだ。身体は動かないのに、心はこんなにも温かい。満ち足りた幸福感が、胸いっぱいに広がっている。
「守れたんだな…、アトラス、俺を置いて逃げろ…今なら間に合う…」
「ご主人様、僕は最後までご主人様の相棒です。」
「ふふ、語尾のワンを忘れているぞ?」
「てへへ、いちいちワンを付けるの正直面倒だったんですよ?」
「だよな、ふっふふ…ふふふっ」
笑う度に、強烈な痛みが走る…だが、アトラスと見つめ合っていると、痛みが和らぐ気がする。心なしかアトラスも笑っている気がした。
「アトラス…お前は俺の親友だ。ご主人様じゃなくて、名前で呼んでくれよ。」
「あ、ありがとうございます!ジン様!最後まで、共に戦えて光栄でした。」
「お前と一緒にいれて、幸せだったし、楽しかったよ。」
アトラスは、俺の動かない腕の下に潜り込み、俺の胸の上に頭をのせ、目を閉じた。
オットー、コノミ、みんな…戻れなくてすまない。
俺は、俺の大切なものを、この足と引き換えに守り抜いたんだ。
意識が遠のいていく。
それは死への恐怖ではなく、大切な物を守り抜いた、やり遂げた後の、深い安らぎだった。
俺は静かに目を閉じた。
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読んでいただきありがとうございます。
あと数話で、終わる予定です。最後まで読んでいただければ、うれしく思います。




