3話「ダンジョンの現実」
「よし、星牙。まずはこの世界のことを教えてやろう」
グロウは立ち上がると、ファンに手を差し伸べた。ファンはその大きな手を小さな前足で押して、自力で立ち上がった。
「だから俺の名前はファンだって!」
「ハハ、分かってる。でも星牙の方がお前にぴったりだ」
グロウは楽しそうに笑った。ファンは溜息をついたが、まんざらでもなさそうだった。
「それで、このダンジョンってのは一体どんな場所なんだ?」
ファンが辺りを見回した。石造りの通路が薄暗く続いている。松明の明かりがちらちらと揺れて、不気味な影を壁に映していた。
「ここは『試練の迷宮』と呼ばれるダンジョンだ。全部で十層あって、下に行くほど強い魔物が住んでいる」
グロウが説明しながら歩き始めた。ファンは小さな足で必死について行く。
「十層...結構深いんだな。で、グロウは何層にいるんだ?」
「俺は第三層の住人だ。でも、お前が落ちてきたここは第一層。運が良かったな」
「運が良い?」
「ああ。いきなり深い層に落ちていたら、一瞬で魔物の餌食になってた」
ファンはぞっとした。確かに運が良かったのかもしれない。
「このダンジョンには不思議な力が働いている」
グロウが続けた。
「戦闘で勝利すると『レベル』が上がり、『スキル』を習得できる。冒険者たちはそれを目当てにここに来るんだ」
「レベル?スキル?ゲームみたいだな」
ファンには馴染みのある概念だった。健太郎がよくやっていたゲームで似たようなシステムを見たことがある。
「ゲーム?まあ、似たようなものかもしれんな」
その時、ファンの頭の中に突然声が響いた。
『システム起動。新規ユーザー登録完了』
『種族:チワポメ(希少種)』
『初期レベル:1』
『固有スキル:【魅惑の可愛さ】習得』
「うわっ!今、頭の中に声が!」
ファンは驚いて飛び跳ねた。
「ああ、それがダンジョンシステムの音声だ。お前もこの世界の住人として認められたってことだな」
グロウは嬉しそうに説明した。
「『魅惑の可愛さ』って何だそれ...」
ファンは恥ずかしそうに呟いた。なんとも微妙なスキル名だった。
二人が通路を歩いていると、前方からぷるぷると震える音が聞こえてきた。
「ん?あの音は...」
グロウが警戒の表情を見せた。
「どうした?」
「スライムだ。弱い魔物だが、初心者には丁度いい相手かもな」
角を曲がると、そこには青いゼリー状の生物がふよふよと浮いていた。直径50センチほどの丸い体で、中央に黒い点のような目が二つある。
「あ、本当にスライムだ!」
ファンは興味深そうに見つめた。ゲームでしか見たことがなかった生物が実際に目の前にいる。
スライムもファンたちに気づいたようで、ぷるぷると体を震わせながらゆっくりと近づいてきた。
「星牙、下がっていろ。俺がやる」
グロウが前に出ようとしたが、ファンが止めた。
「待てよ、グロウ。俺も戦ってみたい」
「無茶だ!お前はまだレベル1だぞ!」
「でも、ダンジョンを攻略するんだろ?いつまでもグロウに守られてばかりじゃダメだ」
ファンの目には強い意志が宿っていた。確かに小さくて可愛いが、その心は勇敢だった。
「うーん...分かった。でも絶対に無理はするな。危なくなったらすぐに俺が助ける」
グロウは心配そうに了承した。
スライムがゆっくりとファンに近づいてきた。敵意はないようだが、縄張りに入った侵入者として警戒しているようだった。
「えーっと...どうやって戦うんだ?」
ファンは困惑した。今まで戦闘なんてしたことがない。せいぜい健太郎とじゃれ合うくらいだった。
『スキル【魅惑の可愛さ】が自動発動します』
突然、システム音声が響いた。
「え?自動って...」
その瞬間、ファンの体がほんのりと光り始めた。そして、ファン自身も気づかないうちに、いつも以上に愛らしい表情になっていた。
「きゅーん♪」
ファンが首をかしげて甘えるような鳴き声を出した。その瞬間、スライムの動きが止まった。
「......」
スライムはじっとファンを見つめている。そして、突然体をぷるぷると震わせ始めた。
「お、おい、スライムの様子が変だぞ」
グロウが心配そうに声をかけた。
「ぷるぷるぅ〜♪」
スライムは嬉しそうな音を出しながら、ファンの周りをくるくると回り始めた。まるで子犬が飼い主の周りを回るように。
「え?なんで?」
ファンは困惑した。戦闘になると思ったのに、スライムが懐いてしまった。
『戦闘勝利。経験値を獲得しました』
『レベルアップ!レベル1→レベル2』
『スキル【魅惑の可愛さ】がレベルアップしました』
「戦闘勝利?でも戦ってないぞ?」
ファンが首をひねった。
「すげぇ...」
グロウは呆然としていた。
「戦わずして敵を味方にしてしまうなんて...お前のその可愛さ、ただものじゃないな」
「そんなこと言われても...」
ファンは照れくさそうに耳を垂らした。その仕草がまた愛らしく、スライムがさらにぷるぷると震えて喜んでいる。
「ぷるぷる〜♪」
スライムはファンの前で弾むように跳ねている。どうやら完全に懐いてしまったようだった。
「おい、スライム。お前、俺たちについてくる気か?」
ファンが話しかけると、スライムは嬉しそうに縦に揺れた。
「こりゃあ、仲間が増えたな」
グロウは苦笑いした。
「でも、スライムって弱いんだろ?」
「まあな。でも数が多ければ結構役に立つ。それに...」
グロウはスライムをじっと見つめた。
「こいつ、普通のスライムより一回り大きいな。もしかすると特別な個体かもしれん」
『仲間になりました:ブル(スライム・レベル5)』
『特殊能力:変形、アイテム格納』
システム音声が響いた。
「ブル?お前の名前か?」
ファンが聞くと、スライムは嬉しそうに跳ねた。
「ブルか。よろしくな」
グロウも挨拶した。ブルはぷるぷると震えて応えた。
「それにしても、お前のスキル、本当にすごいな」
グロウは感心していた。
「戦わずして敵を仲間にしてしまうなんて、聞いたことがない」
「俺もよく分からないんだ。でも、レベルアップしたら前より...なんというか...」
ファンは自分の変化を感じていた。より愛らしく、より魅力的になったような気がする。
「可愛くなった?」
「それを自分で言うか!」
グロウは大笑いした。でも、確かにファンはレベルアップ前より愛らしさが増していた。
「よし、これからは三人で行動だな」
ファンが元気よく言った。
「ああ、お前を守り抜く。俺が誓ったからな」
グロウは力強く頷いた。
「ぷるぷる〜♪」
ブルも賛同するように跳ねた。
「でも、お前のそのスキル、使い方によっては相当強力だぞ」
グロウが真剣な顔で言った。
「どういう意味だ?」
「考えてみろ。戦わずして敵を味方にできるなら、どんどん仲間が増えていく。最終的には大軍団になるかもしれん」
「大軍団って...そんな大げさな」
ファンは苦笑いしたが、確かに理屈の上ではそうなる可能性があった。
「まあ、今はまだ始まったばかりだ。一歩ずつ進んでいこう」
三人と一匹は通路の奥へと歩いて行った。ファンの冒険は始まったばかりだった。そして、彼の可愛さがこの世界に与える影響は、まだ誰にも想像できないほど大きなものになろうとしていた。
薄暗いダンジョンの中で、小さな犬の周りには既に温かい仲間の輪ができ始めていた。グロウの忠実な守護、ブルの無邪気な愛情。これが後に「星牙王ファン」の伝説の始まりとなるのだった。
「健太郎...俺、頑張って帰るからな」
ファンは心の中でそう呟きながら、新しい仲間たちと共に歩き続けた。希望を胸に、愛する飼い主との再会を信じて。




