26話「信仰の力」
夜明けと共に、対星牙大同盟の攻撃が開始された。5万の軍勢が一斉に犬国に向かって進軍を開始する光景は、まさに圧巻だった。
「来るぞ!」
グロウが城壁で叫んだ。
地鳴りのような足音が響き、空を覆うほどの矢が降り注いだ。巨大な攻城兵器が城壁に向けて発射され、魔法攻撃が空中で炸裂した。
「全軍、迎撃開始!」
ファンが指揮を執った。
しかし、500対5万という戦力差は絶望的だった。犬国軍の勇敢な戦いも、圧倒的な物量の前に押し切られそうになる。
「このままでは...」
シルフィアが心配そうに呟いた。
「星牙、闇の可愛さを使うしかないのでは?」
「分かってる」
ファンが決意を固めた。
「でも、今度の敵は対策を練ってきてるかもしれない」
案の定、大同盟軍は新兵器を投入してきた。
「あれは何だ?」
バハムートが空中から報告した。
「巨大な鏡のようなものを持った部隊がいる」
その鏡は特殊な魔法がかけられており、ファンの闇の可愛さの効果を反射・拡散させる仕組みになっていた。
「『対魅惑装置』だ!」
敵の司令官が叫んだ。
「星牙の邪悪な魔力を無効化する秘密兵器だ!」
ファンが闇の可愛さを発動しても、その効果は大幅に減衰されてしまった。
「くそ!効果が弱い!」
「やはり対策を練ってきたか」
ディアボロスが歯ぎしりした。
対星牙兵器により、ファンの最大の武器が封じられた。通常戦力では、とても5万の軍勢に対抗できない。
「城壁が破られる!」
「敵が城内に侵入してくる!」
犬国軍は必死に抵抗したが、次第に押し込まれていく。
「陛下、お逃げください!」
「まだだ!」
ファンが諦めなかった。
「みんなを置いて逃げるわけにはいかない!」
しかし、状況は絶望的だった。城の中庭まで敵兵が押し寄せ、ファンたちは包囲されてしまった。
「観念しろ、星牙!」
大同盟の総司令官が現れた。
「貴様の邪悪な統治はここで終わりだ!」
その時、地面の下から不思議な音が聞こえてきた。
「何だ、この音は?」
敵兵たちが困惑した。
それは歌声だった。美しく、神聖な歌声が地下から響いてくる。
「らーらーら〜♪ 星牙様を守ろう〜♪」
「らーらーら〜♪ 愛と平和を〜♪」
「星牙教の歌?」
ファンが驚いた。
「でも、星牙教は弾圧されたはず...」
地面のあちこちから、人々が現れ始めた。
「星牙様!」
「私たちは諦めていませんでした!」
現れたのは星牙教の信者たちだった。各国で弾圧され、逮捕された彼らは、秘密の地下道を通って犬国に集結していたのだ。
「みんな...」
ファンは感動で震えていた。
「危険なのに、なんでここに...」
「星牙様のためなら、命も惜しくありません!」
「私たちは星牙様の教えを信じています!」
次々と地下から現れる信者たち。その数は数千人に及んだ。
「らーらーら〜♪ みんなで歌おう〜♪」
ファンが歌い始めると、信者たちも合唱した。
数千人の美しい合唱が戦場に響き渡った。
「らーらーら〜♪ 愛は強い〜♪」
「らーらーら〜♪ 平和を作ろう〜♪」
その歌声には不思議な力があった。対魅惑装置でも防げない、純粋な愛の力だった。
「なんだ、この感動は...」
敵兵の中に、武器を下ろす者が現れ始めた。
「こんなに美しい歌を歌う人たちが、本当に邪悪なのか?」
歌声を聞いた敵兵たちの心に、変化が起きていた。
「星牙教の人たちは、こんなに平和を愛している」
「俺たちは間違っていたのでは?」
「この小さな犬の何が邪悪だというんだ?」
純粋な愛の歌声の前に、憎しみや恐怖は消えていく。
「だめだ!惑わされるな!」
大同盟の司令官が必死に兵を鼓舞した。
「これこそが星牙の邪悪な洗脳だ!」
しかし、もう遅かった。
「俺は戦いたくない!」
一人の兵士が武器を投げ捨てた。
「こんなに愛らしい存在と戦うなんて、間違ってる!」
その行動は連鎖反応を引き起こした。
「俺も戦いをやめる!」
「星牙様、お許しください!」
「私たちも星牙教に入りたいです!」
5万の軍勢の半分以上が、次々と武器を捨て始めた。
「ば、馬鹿な!」
司令官が青ざめた。
「なぜ我が軍が...」
「司令官!西方軍が全軍寝返りました!」
「東方軍も戦闘を放棄しています!」
「南方軍は星牙教の歌を歌い始めました!」
次々と入る報告に、司令官は絶望した。
「なぜだ...なぜこんなことに...」
戦争は完全に様相を変えていた。武力による征服から、愛による感化へと。
「みんな、武器を捨ててくれてありがとう」
ファンが元敵兵たちに向かって話しかけた。
「きゅーん♪」
その愛らしい鳴き声に、元敵兵たちは完全に心を奪われた。
「なんて可愛いんだ...」
「こんな存在を敵視していた俺たちは愚かだった」
「星牙様、お許しください!」
大勢の元敵兵が土下座し始めた。
「許すも何も、俺はみんなを恨んでないよ」
ファンが優しく言った。
「みんな、自分の国を守ろうとしただけだもん」
しかし、まだ戦いを続ける部隊もいた。各国の精鋭部隊や、星牙への恐怖が深い兵士たちだった。
「くそ!洗脳されるものか!」
残り1万ほどの兵士が最後の抵抗を見せた。
「星牙を倒せば、この悪夢は終わる!」
彼らは対魅惑装置を最大出力にして、ファンに向かって突撃してきた。
「危ない!」
グロウが庇おうとしたが、その時だった。
「星牙様をお守りします!」
数千人の星牙教信者が、ファンの前に立ちはだかった。
「どけ!邪魔をするな!」
「私たちは星牙様のためなら死をも恐れません!」
信者たちの強い意志の前に、残存部隊も戸惑った。
「こいつらを斬って進むのか?」
「でも、相手は武器を持たない民間人だ...」
良心の呵責が兵士たちを襲った。
「みなさん、お聞きください」
ファンが残存部隊に向かって話しかけた。
「俺は誰も傷つけたくありません。あなたたちも、あなたたちの家族も」
「嘘をつけ!」
司令官が叫んだ。
「貴様の恐ろしい力を我々は見た!」
「あれは、仲間を守るためでした」
ファンが静かに答えた。
「あなたたちだって、大切な人を守るためなら戦うでしょう?」
「それは...」
司令官の剣が震えた。
「俺も同じです。大切な仲間を傷つけられた時、怒りました。でも、今は後悔してます」
「怖い思いをさせて、ごめんなさい」
ファンが頭を下げた。
「俺は、みんなと仲良くしたかっただけなんです」
その純真な謝罪に、ついに司令官の剣が地面に落ちた。
「なんだ...これは...」
司令官の目から涙がこぼれた。
「俺たちは...一体何をしていたんだ...」
こうして、史上最大の戦争は終わった。武力ではなく、愛の力によって。
5万の軍勢の大部分が星牙教に改宗し、犬国は一夜にして信者数十万人を抱える宗教国家となった。
「これが...俺の力なのかな」
ファンが不思議そうに呟いた。
戦わずして勝利する。それこそが真の強さなのかもしれなかった。
しかし、この勝利が新たな問題を生むことを、まだ誰も予想していなかった。世界の半分を敵に回し、もう半分を信者にしてしまったファンの影響力は、もはや個人や一国のレベルを遥かに超えていた。
「健太郎、俺、すごいことになっちゃったよ」
夕日を見つめながら、ファンは愛する飼い主に心の中で報告した。小さな犬の大きな愛が、ついに世界を変え始めていた。