20話「嵐の前の静けさ」
犬国建国から一年が経とうとしていた。春の暖かな日差しが城の庭園を照らし、色とりどりの花が咲き誇っている。ファンは庭の芝生で、のんびりとお腹を出して日向ぼっこをしていた。
「平和だなあ...」
ファンが満足そうに呟いた。遠くからは子供たちの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。オーガの子とエルフの子が一緒に遊んでいる姿も見える。
「星牙、気持ちよさそうだな」
グロウが近づいてきた。
「うん、とても気持ちいい」
ファンが尻尾を振った。
「みんなが笑って暮らせる国になったね」
「ああ、お前のおかげだ」
グロウも芝生に座り込んだ。
「一年前はこんな未来、想像もできなかった」
「本当に色々あったね」
ファンが振り返った。
「ダンジョン攻略、建国、ルミナリア帝国との同盟、多種族平和会議、そして星牙教...」
「忙しい一年だったな」
「でも充実してた」
ファンの表情は満足そうだった。
「みんなが幸せそうで、俺も嬉しい」
そこにシルフィア、ドゥーガン、バハムート、ディアボロス、ゲンクもやってきた。
「みんなでお花見ですか?」
シルフィアが微笑んだ。
「いいですね。平和な時間です」
シルフィアはさり気なくファンに近づき抱っこした。
「はぁ〜モフモフ」
ファンも慣れっこで柔らかいシルフィアの胸を堪能しながら収まっている。
「平和すぎて、少し物足りないくらいだ」
苦笑したドゥーガンが冗談めかして言った。
「物足りないって、贅沢な悩みだな」
バハムートが笑った。
「ゲン爺そういえば、最新の統計はどうなってる?」
ファンがゲンクに尋ねた。
「はい、陛下」
ゲンクが報告書を広げた。
「人口は建国時の5倍になりました」
「5倍!?」
「はい。近隣諸国から移住希望者が絶えません」
確かに、犬国の評判は大陸全体に広がっていた。平和で豊かで、種族差別のない理想の国として。
「経済成長率は年200%です」
「200%って...」
ファンが驚いた。
「各種族の技術融合により、革新的な商品が次々と生まれています」
「犯罪発生率は0.1%」
「ほぼゼロじゃないか」
グロウが感心した。
「みんなが幸せなら、犯罪なんて起きないよね」
ファンが当然のように言った。
「外交面でも大きな進展があります」
ゲンクが続けた。
「現在、27カ国と平和条約を締結しています」
「27カ国も?」
「はい。そして15カ国が犬国式の多種族政策を導入しました」
「すごいな...」
ファンは自分の影響力の大きさに改めて驚いていた。
「星牙教の信者数も、大陸全体で100万人を超えました」
「100万人...」
想像もつかない数字だった。
「各国の政府からは、陛下に勲章を贈りたいという申し出が数十件来ています」
「勲章なんていらないよ」
ファンが首を振った。
「みんなが幸せになってくれれば、それで十分」
「みんなも随分変わったね」
ファンが仲間たちを見回した。
「グロウは外交官になったし」
「まさか俺が他国と交渉するなんてな」
グロウが苦笑いした。
「でも面白いよ。平和のための仕事だからな」
「シルフィアは教育大臣」
「子供たちに種族理解を教えるのは、とてもやりがいがあります」
シルフィアがファンを抱きながら微笑んだ。
「未来の平和を作るお手伝いですから」
「ドゥーガンは技術開発長官」
「各種族の技術を組み合わせるのは楽しいぞ」
ドゥーガンが目を輝かせた。
「今度、空飛ぶ馬車を作ってみるんだ」
「バハムートは防衛大臣で、ディアボロスは魔法研究所の所長」
「平和な国の防衛大臣なんて、楽な仕事だ」
バハムートが笑った。
「研究も平和利用ばかりだから、気が楽だな」
ディアボロスも満足そうだった。
「みんな、自分の特技を活かせる仕事に就けて良かった」
「でも、俺はまだやり残したことがある」
ファンの表情が少し曇った。
「健太郎のこと?」
シルフィアが優しく聞いた。
「うん。毎日想ってる」
ファンが正直に答えた。
「この一年、いろんなことがあって忙しかったけど、健太郎への想いは一日も忘れたことがない」
「世界樹の手がかりは?」
グロウが聞いた。
「まだ見つからない」
ファンが溜息をついた。
「北の大陸の奥地にあるって話だけど、具体的な場所が分からないんだ」
「我も古い文献を調べているのだが」
ディアボロスが申し訳なさそうに言った。
「世界樹に関する記録は少ない」
「そろそろ本格的に探しに行こうかな」
ファンが呟いた。
「この国も安定したし、しばらく俺がいなくても大丈夫だろう」
「星牙...」
仲間たちが心配そうな表情になった。
「もちろん、みんなと一緒に行きたい」
ファンが慌てて付け加えた。
「俺たちは家族だから、一人で行くつもりはない」
「当然だ」
グロウが力強く頷いた。
「俺たちがついていく」
「でも、国を空けても大丈夫でしょうか?」
シルフィアが心配した。
「大丈夫です」
ゲンクが自信を持って答えた。
「もう各部門の責任者が育っています。陛下がしばらくいなくても、国は回ります」
「それに、星牙教の指導者たちも協力してくれるでしょう」
その時、城の衛兵が慌てて駆け込んできた。
「陛下!緊急事態です!」
「どうした?」
ファンがシルフィアから飛び降り立ち上がった。
「南の国境で、大軍の行進が目撃されました!」
「大軍?」
「推定1万人規模です!」
グロウの表情が険しくなった。
「どこの国の軍隊だ?」
「それが...複数国の連合軍のようです」
衛兵が息を切らしながら報告した。
「旗印から判断すると、少なくとも5カ国は参加しています」
急遽、緊急会議が開かれた。各部門の責任者が集まり、対策を協議した。
「間違いなく、我が国を標的にしています」
情報部長が報告した。
「連合軍の進路は、明らかに犬国に向かっています」
「なぜ突然?」
ファンが困惑していた。
「どの国とも平和条約を結んでいるのに」
「おそらく、陛下の影響力を恐れているのでしょう」
ゲンクが分析した。
「星牙教の拡大や、多種族政策の普及により、既存の権力者たちが危機感を抱いたのかもしれません」
「そんな...」
ファンは悲しそうな表情を浮かべた。
「平和のためにやってきたことなのに」
「陛下、我が国も軍備を整える必要があります」
防衛大臣のバハムートが提言した。
「1万の軍勢相手では、話し合いも難しいでしょう」
「でも、戦争は嫌だ」
ファンがはっきりと言った。
「俺は誰も傷つけたくない」
「気持ちは分かる」
グロウが慰めた。
「でも、相手が攻めてきたら、守らなければならない」
「国民の命がかかっています」
シルフィアも真剣な表情だった。
「私たちには守るべき人々がいます」
ファンは苦しそうに俯いた。平和な日々が、突然暗雲に覆われてしまった。
夕方、ファンは国民に向けて演説を行った。広場には多くの人々が集まっていた。
「みなさん、お聞きください」
ファンの声は少し震えていた。
「我が国に軍事的脅威が迫っています」
国民の間にざわめきが起こった。
「でも、慌てる必要はありません。私たちは平和を愛する国です」
「まず話し合いによる解決を目指します」
「それでもダメなら...」
ファンは言葉に詰まった。
「私たちの平和な暮らしを守るために、戦う覚悟もあります」
国民から拍手が起こった。不安そうな表情の中にも、ファンへの信頼が見えた。
その夜、ファンは一人で城の屋上にいた。南の空を見つめていると、遠くに松明の明かりが見えた。敵軍のものだろう。
「健太郎...」
ファンが小さく呟いた。
「俺、戦争をしなければならないかもしれない」
夜風が冷たく感じられた。
「でも、みんなを守るためなら...」
「星牙」
バハムートがやってきた。
「一人で悩むな」
「でも...」
「お前は一人じゃない。俺たちがいる」
バハムートの言葉に、ファンは少し救われた。
「ありがとう、バハムート」
「明日、連合軍の使者が来る予定だ」
「使者?」
「話し合いの機会はある。お前の得意分野だ」
「そうだね。まずは話し合いをしてみよう」
ファンに希望の光が見えた。
嵐の前の静けさが支配する夜。明日から、ファンと犬国の新たな試練が始まろうとしていた。
平和な日々は終わり、真の試練の時が近づいていた。小さな犬の大きな愛が、今度はどんな奇跡を起こすのだろうか。




