14話「噂の拡散」
ルミナスの街での生活が始まって一週間が過ぎた頃、ファンの名前は街を超えて広がり始めていた。毎朝宿の前に集まる人々の数は増える一方で、中には遠い街から来たという人もいた。
「星牙様に一目お会いしたくて、三日間歩いてきました」
「私の村でも、星牙様の噂で持ちきりです」
「本当に魔物と友達になれるんですか?」
人々は口々にファンへの憧れを語った。
「うーん...こんなに有名になるとは思わなかったな」
ファンが困惑していると、宿の女将がやってきた。
「星牙様、今日も新しい来客がいらしてます」
「新しい来客?」
「はい、今度は隣国のベルフォード王国から使者が来ています」
「王国から?」
ファンは驚いた。王国レベルで自分に関心を持つなんて考えてもいなかった。
宿の応接室に通されると、立派な服装をした中年の男性が待っていた。金の装飾が施された青いマントを羽織り、王国の紋章をつけている。
「初めてお目にかかります、星牙様。私はベルフォード王国の外交官、ロバート・ハミルトンと申します」
ロバートが丁寧に一礼した。
「お、俺はファンだ。よろしく」
ファンがいつものように挨拶すると、ロバートの表情が驚きに変わった。
「なんと...噂以上に愛らしい...」
ロバートも他の人々と同様に、ファンの魅力に心を奪われていた。
「それで、何の用で来たんだ?」
グロウが警戒しながら尋ねた。
「はい、実は我が国の王様が、星牙様にぜひお会いしたいとおっしゃっているのです」
「王様が?」
ファンは戸惑った。
「星牙様の魔物との和解能力について、非常に興味を持たれています」
ロバートが説明した。
「我が国では長年、魔物との争いが絶えません。もし星牙様のお力をお借りできれば、平和が訪れるかもしれません」
ロバートの説明を聞いていると、宿の外が騒がしくなってきた。
「あの、また新しいお客様が...」
女将が慌てて入ってきた。
「今度はグランディア帝国とエルフの森の国から使者が来ています」
「え?一度に?」
ファンは混乱していた。
「どうやら、各国が星牙様の情報を得て、競うように使者を派遣したようです」
シルフィアが窓の外を見ながら言った。
「確かに、立派な馬車が何台も止まってる」
応接室に次々と使者たちが案内されてきた。グランディア帝国の騎士、エルフの森の国の長老、そして他にも数カ国からの代表者たち。
「皆さん、俺に何の用ですか?」
ファンが困惑しながら尋ねた。
「星牙殿、我が帝国では君の力を軍事利用させていただきたい」
グランディア帝国の騎士が直球で言った。
「軍事利用?」
「敵国の魔物を味方に付けることができれば、戦争に勝利できる」
「ちょっと待てよ!」
ファンが慌てた。
「俺の力は戦争のためじゃない!」
「しかし、実際に君は強力な魔物たちを従えている」
騎士がバハムートとディアボロスを見た。
「確かにこの戦力があれば...」
「違う!」
ファンが強く否定した。
「みんなは俺の仲間だ!戦争の道具じゃない!」
「星牙様の仰る通りです」
エルフの長老が割って入った。
「私たちエルフの森では、星牙様のような存在を『和平の使者』と呼んでいます」
「和平の使者?」
「はい。種族間の争いを止め、真の平和をもたらす存在です」
長老の言葉に、ファンは少し安心した。
「皆さん、お気持ちは嬉しいですが...」
ファンが立ち上がった。
「俺は今、健太郎という大切な人の元に帰る方法を探してるんです」
「健太郎?」
使者たちが首をかしげた。
「俺の飼い主...いや、大切な家族です」
ファンが説明した。
「だから、申し訳ないですが、皆さんのお誘いはお断りします」
使者たちは困惑していた。王国や帝国からの誘いを断るなど、普通なら考えられないことだった。
「でも、星牙様。お考え直しを」
ロバートが食い下がった。
「我が国の王様は、星牙様を国賓として最高の待遇でお迎えする準備をしています」
「最高の待遇なんていらないよ」
ファンがきっぱりと言った。
「俺が欲しいのは、健太郎に会えることだけだ」
その時、アルベルトが慌てて駆け込んできた。
「星牙君!大変なことが分かった!」
「どうしたんだ?」
「君の噂が大陸全土に広まっている!」
アルベルトが興奮して報告した。
「各地で『星牙伝説』として語り継がれ始めているんだ!」
「星牙伝説?」
「『小さな犬が魔物と人間の架け橋となり、世界に平和をもたらす』という内容だ」
ファンは頭を抱えた。そんな大げさな話になっているとは思わなかった。
「それだけではない」
アルベルトが続けた。
「君を一目見ようとする人々で、各地の街道が大混雑している」
「え?」
「宗教団体も現れた。『星牙教』という新しい宗教まで作られている」
「星牙教って...」
ファンはめまいがしてきた。
「星牙様は神の遣いです!」
突然、宿の外から大きな声が聞こえてきた。
「星牙様に救いを!」
「星牙様、私たちをお救いください!」
窓の外を見ると、白い服を着た人々が集まっていた。手には「星牙教」と書かれた旗を持っている。
「うわあ...本当に宗教になってる...」
ファンが愕然とした。
「星牙、これは予想以上に大変なことになってるな」
グロウが心配そうに言った。
「どうして俺がこんなに注目されるんだ?」
「それは、お前の持つ力が特別だからだ」
バハムートが説明した。
「種族を超えて心を通わせる力。これは非常に稀で、多くの人が求めている力だ」
「でも、俺はただ健太郎に帰りたいだけなのに...」
ファンが悲しそうに呟いた。
「星牙様、外がますます騒がしくなってきました」
女将が心配そうに報告した。
「信者の数が千人を超えています」
「千人!?」
ファンが驚いた。
「このままでは街の機能が麻痺してしまいます」
シルフィアが冷静に状況を分析した。
「一時的にここから離れた方がいいかもしれませんね」
「そうだな」
グロウも同意した。
「星牙のことを想ってくれる気持ちは嬉しいが、これは行き過ぎだ」
「でも、どこに行くんだ?」
ファンが困った顔をした。
「世界樹の情報収集も兼ねて、北の大陸に向かうのはどうだ?」
ドゥーガンが提案した。
「そうですね。ここにいても、健太郎様の元に帰る手がかりは見つからなそうです」
シルフィアも同意した。
「分かった。明日の早朝に出発しよう」
ファンが決断した。
「でも、どうやってこの人だかりを抜けるんだ?」
「俺が運んでやろう」
バハムートが提案した。
「竜の背中に乗って、空から移動すれば誰にも気づかれない」
「それはいいアイデアだ」
ディアボロスも賛成した。
「我の魔法で姿を隠すこともできる」
「よし、じゃあ明日の夜明け前に出発だ」
グロウがまとめた。
「星牙、荷物はあるか?」
「特に何も...」
ファンは苦笑いした。
「もともと何も持たずにこの世界に来たからな」
出発前夜、ファンは宿の人々に挨拶をした。
「お世話になりました」
「いえいえ、こちらこそ」
女将が涙ぐんでいた。
「星牙様がいてくれたおかげで、うちの宿は有名になりました」
「また戻ってきてくださいね」
「うん、必ず戻ってくる」
ファンが約束した。
「健太郎に会えたら、きっと報告しに来るよ」
「お待ちしています」
街の人々の温かさに、ファンは心を動かされていた。
翌朝、夜明け前の静かな時間に、一行は宿を後にした。バハムートの背中に乗り、ディアボロスの隠蔽魔法で姿を隠して、静かに空に舞い上がった。
「ああ、街が小さくなっていく」
ファンが感慨深げに呟いた。
下では、まだ多くの人々がファンを待ち続けている。
「申し訳ないな、みんなを置いて行ってしまって」
「仕方ないさ」
グロウが慰めた。
「お前には帰るべき場所があるんだから」
「そうですね。きっと皆さんも理解してくれます」
シルフィアも優しく言った。
「星牙の幸せを願ってくれているのですから」
「北の大陸まではどのくらいかかるんだ?」
ファンが尋ねた。
「普通に歩けば数ヶ月だが、バハムートの背中なら一週間程度だろう」
ドゥーガンが計算した。
「それでも結構かかるな」
「急ぐ必要はない」
バハムートが言った。
「旅の途中でも、世界樹の情報を集められるだろう」
「そうだね」
ファンは前向きに考えることにした。
「健太郎、もう少し待っていて。俺は必ず帰るから」
朝日が昇る中、一行は北へ向かって飛び続けた。ファンの名声は大陸中に広まっていたが、本人は一途に愛する飼い主のことだけを想っていた。
この旅路で、彼らはどんな出会いと試練を経験するのだろうか。そして、世界樹は本当に存在するのだろうか。
小さな犬の大きな愛が、世界をさらに大きく動かそうとしていた。