02
それからしばらくは、所属が違うこともあってシギルとルークが直接会うようなことはなかったが、たまにすれ違うと気まずい空気が流れた。シギルは妙な態度をとったことを後悔していたし、ルークはルークで「たぶん知らないところで傷つけてしまったんだろう」と思い悩んでいたが、お互いに歩み寄る機会を得られないまま時が過ぎてしまっていたのだ。どちらかが、ちょっと声をかければすむことなのだが、それも簡単なようで、むずかしいのだった。
一三八七年十一月一日。
南大陸に寒気が押し寄せてくる季節である。この時期、第二地球惑星では北半球が夏を迎え、南半球が冬を迎えるのだ。
グラウコスでは二年生に深緑色のロングコートが配布された。裏地には保温効果の高い特殊な生地が使われており、マットな仕上がりの表地は撥水加工がほどこされている。この衣替えにともなって、記章やネームバッチもコートにつけ替えられた。
シギルは士官用の黒いコートをもらった。上等兵以下の兵士に渡されるような標準サイズ別の配布とは違い、オーダーメイドだ。十月初旬に寸法を測り、成長も見越して、しっかり仕立てた。が、二ヶ月に一センチ背が伸びている現状を思うと、すぐに補正行きだろう。
そんなささいな面倒事を新たにかかえつつ、シギルは訓練場への道を歩いていた。すると待ち伏せていたらしいサウスに会った。一七三・五センチとまだまだ小柄ながら、コート姿もサマになっているシギルを見て彼は、
「シルバー! 最高だな。よく似合ってる。萌えだ、萌え!」
と両腕を広げ、大声を張り上げた。シギルは顔を真っ赤にして歯ぎしりした。
「やめてください! 恥ずかしい!」
朝一の台詞がこれである。半分どころか、全面的に冗談で生きているとしか思えないサウスに絡まれるとは、あまり良いすべり出しとは言えない。
「いーじゃん。褒めてんのに」
「良くありません」
「照れちゃって、かわいいねえ〜。そのウブなところがオジサンにはたまらないよ。十七歳なんて、おいしい年頃だよな〜」
(まだ十六だよ)
シギルは無言で突っ込んだ。誕生日も詐称しているのだ。といっても四十日程度だが……
「大佐の歳でオジサンなんて言ってたら、本物のオジサンに怒られますよ?」
「ん〜、俺は中身が古くさい男でね。実年齢よりずっと年寄りなんだ」
「そうですか?」
「そうだよ〜」
(いや、とてもそうは思えないけどな)
シギルの疑わしい視線に刺されても、サウスは気にする素振りもなく、軽く少年の背を叩いた。
「さ、もう行こうぜ」
と歩を踏み出す。シギルはつられるようにして、サウスと並んで歩いた。本日の出勤先は同じなのだ。
「今日は陸空の合同訓練だなあ。楽しみ楽しみ」
ウキウキしながらニヤけるサウスを、シギルは横目に見た。
「なにが楽しみなんですか」
「バッカ、そんなの決まってるじゃねーか。おまえにちょっかい出すこと&不機嫌なファウストをおちょくること!」
シギルは二〜三回口を開閉させて、立ち止まった。
「タチ悪う〜! そのうち絶交されますよ」
よりによって兄弟そろって的だというあたりが、さらに最悪である。だがサウスは立ち止まったシギルをかえりみて、ニッと笑った。
「心配すんな。俺なりの愛情表現さ。アイツもそんなこと、ようく分かってる。でなきゃ、とっくに犬猿の仲だ。そうだろ?」
シギルは返事もせず、うなずきもしなかったが、その青い眼差しで肯定の意を表した。口は悪いし、お調子者だし、遠慮も配慮もないようだが、なぜか周囲の人間に慕われている。それがサウス・ウィビーンという男だ。
サウスは満面の笑みで相槌を打つと、シギルの手を引いて駆け出した。
「ほら、士官が遅刻じゃ、シャレになんねーぞ! はっしれ〜!」
こうして、合同訓練に使用する陸軍管轄訓練場内に入ると、二人はとたんに不機嫌そうなファウストと出逢った。彼が不機嫌な理由は、サウスには察することができた。自分を嫌って避けている少年と連れ立って現れた、サウスへの不満だ。その行為は、わざわざ険悪なムードを作ろうとするものだ。
しかしサウスはいつものテンションで指を鳴らした。
「やったぜ! さっそく不機嫌」
ファウストは眉間を寄せた。
「アホ。朝っぱらから、ふざけるな」
「俺は時を選ばない男だ」
「偉そうに言うな。それは欠点だろう」
「長所にしとけって」
「できるか」
ファウストは、言葉ではサウスを否定しつつ笑みを浮かべた。彼は何時も変わらない陽気な友を愛しているのだ。シギルは、遠慮のない言葉を交わし合う二人の間に、同じ戦場で戦い、ともに死の窮地をくぐり抜けてきた者達が持つ、独特な雰囲気の友情を感じた。
(……いいな。俺もいつかこんなふうに二人と話したい。たぶん無理だけど)
シギルは暗い想いを断ち切るように、軽くサウスの腕を叩いた。
「俺、先に行きますよ」
「お? おお」
サウスを置いて、シギルは百メートルほど先に見える集団の中にさっさと消える。こんな時、彼の心中を知ることのできないファウストとサウスは淡々と、そろって同じ意見を口にした。
「相変わらず苦手意識があるようだな」
だがファウストは敬遠されていることに対して(いい気はしないが)ある程度開き直っていたし、サウスはそういうことに頭を悩ますタイプではなかったので、言葉に中身はない。「肌が合わないものは仕方ない。仕事が円滑にいけばそれでいい」ということだ。
「俺たちも行くか」
サウスが言った、その直後。出動命令を知らせるサイレンが鳴り響いた。
〝陸軍および空軍に所属する部隊に告ぐ。ディストール西部で地滑り、土砂災害発生。自治体より救援要請あり。至急、各上官の指示にしたがい、出動せよ〟
放送を聞き終えると同時に、ファウストは慣れた動作で近くの内線機を取った。内線機は情報部に通じている。
「人身の被害報告は?」
〝今のところありません。主要道路が封鎖されている模様。岩盤などの落石があるようです。二次災害にご注意ください〟
ファウストは内線を切り、サウスと歩き出しながら、報告を反復した。
「人身の被害は今のところない。主要道路は封鎖。落石あり。二次災害の可能性もある。こっちはヘリを用意する。あとは任せた」
「了解」
災害時の出動はグラウコスの場合、今後、規模の大小で指揮官などの変更がある場合でも、まだ現場を見ないうちは大佐である者が指揮をとる。特に陸地における災害では陸軍大佐が、海難などでは海軍大佐が主導権を持つ。空軍はどちらにおいても出動する代わりといってはなんだが、性質的に補佐役にまわる。
しかし実のところ、「補佐」は主導権を持つ者と同等の力量か、それを上回る実力を兼ね備えた者でないと務まらない。補佐役は主導者を監視し、必要があれば軌道修正をうながすアドバイザーであるからだ。万が一の場合は全責任を負わねばならない。
現時点で空軍大佐の地位にあるのがファウスト・ロスレインであることは、陸海ともに頼もしいかぎりだった。彼との仕事には間違いがない。「カリスマ」と呼ばれるだけのスキルと実力は当然兼ね備えているので、安心して仕事に取り組めるのだ。
訓練開始のために整列していた兵士たちは放送後、将官の指示にしたがい二人の大佐がやって来るのを待っていた。大佐が集団の前に立つ将官に敬礼すると、将官の一人が「頼む」と指揮権をあけ渡す。二人は各所属部隊隊員に対して正面を向いた。
「ディストール西部において地滑り、および土砂災害発生。人身被害報告なし。主要道路封鎖。落石あり。二次災害に注意し、現場へ向かう。まず四人乗りのヘリを五台出す。操縦士は俺とケイト・ゴールデン大尉、ショウ・カワサキ先任准尉、アンバー・マクウェル上級軍長、シリング・カーター軍曹。副操縦士にクリント・マーシャル少佐、ヤン・シュウリン少尉、シエラ・ハーネスト准尉、ナタリー・クルー軍長、シルバー・クラウズ・ラインビル伍長。各自、上等兵一名、二等兵一名を選出し、急行せよ。ほかの者はここで待機。要請があればルーヴ・サーヴァル・メイレン中佐の指示にしたがって行動すること。以上」
ファウストの指示が完了すると、各士官はすばやく動いた。シギルもそれにならったが、内心、穏やかではなかった。ファウストの指名を規律にそって組み合わせると、士官の最下位であるシギルは最上位のファウストと行動しなければならない。言葉にできない動揺が走った。
(落ち着け。落ち着くんだ)
シギルはしきりと自分に言い聞かせた。
(指示にしたがっていればいいんだ。それだけで、いいんだから)
そんなことを思っているあいだに、ファウストは上等兵、二等兵を選出し終えて、ヘリへ急ぐようにと命令している。シギルは重い足を引きずるようにして、ヘリポートへと急いだ。
方やサウスは、まるで別人の面差しで隊員の前に立っていた。真面目なだけが取り柄というような、厳格さを絵に描いたような眼光の鋭さだ。普段のふざけている彼しか知らない二年生は、そのあまりの変貌ぶりに唖然とした。
「ディストール西部において地滑り、および土砂災害発生。人身被害報告なし。主要道路封鎖。落石あり。二次災害の可能性がある。気を引き締めて行ってくれ。向かうのは二部隊、各百二十名。三十名ごとに小隊を作って八隊体制を組む。中隊長にリブ・デリー少佐、アリーシャ・オーウェン大尉、小隊長にセイル・ニカラフ少尉、ベラルニ・ラチョス先任准尉、ジム・ギルバート准尉、ジョン・ウッド先任曹長、ヨン・スウ・イー曹長、トイチ・アカザワ軍曹、コリー・グリッド下級軍曹、トール・ダナーン伍長を任命する。第二部隊は現地到着後すぐに調査へ向かい、空軍と合流。第一部隊は迂回路の確保にあたって利用者の誘導および近隣住民への注意と作業内容の説明を頼む。残りはこの場で待機。ケビン・タイラー中佐の指示にしたがうこと。以上!」
***
災害規模は予想以上に大きかったが、あらためて援軍を要請するほどではなかった。約二十メートル間の主要道路が、地滑りではがれ落ちた十階建てビルに相当する大きさの岩盤によって破壊されている。片側は谷で、くだりきった所から二キロほど先に集落が見える。細かな土砂などが流れ続けていて、危険極まりない。
「周辺住民はただちに非難させてくれ。これから岩盤の撤去作業を行う。工事車両をまわせ」
サウスが部下に指示し終えると、すぐ横でファウストが計算書類を広げた。
「持ち合わせのダイナマイトじゃ足りない」
「マジで?」
「今、本部に連絡して持ってこさせているが、さっきより天候が悪くなった。撤去は明日に持ち越しになるかも知れないな」
「うーん。じゃ、準備だけでもやっとくか」
「そうだな」
というわけで、岩盤が今の位置からズレないようにするための処置と、ダイナマイトを仕掛けるための穴を開ける作業が始まった。ビルひとつ解体するのに匹敵する作業だ。グラウコスの精鋭をもってしても、撤去は困難をきわめそうだ。
谷の足場は悪く、小雨まで降りだした。コートの表面はフォーマル着のようなマットな質感でありながら高い撥水性があって簡単には濡れないが、南大陸の中でも最南にあるディストール地方は寒い。小雨が雪に変わるだろうということは誰にも予想できた。機能に優れた軍服とはいえ、寒さを防ぐのには限界がある。
「今日は夜を徹しての作業になりそうだが、みんな風邪引かないようにな」
サウスは全員にそう声をかけて、励ましてまわった。息はすでに白い。
シギルはこまごまとした作業を手伝いながらも、少し申し訳ない気持ちで、その様子を眺めていた。力を使えば岩盤のひとつやふたつ、始末するのは簡単だ。きっとみんな助かるだろう。だが使えない——そんなもどかしさに心が揺れたのだ。
それでもシギルは「絶対に力を使わない」と固く胸に誓わざるを得なかった。彼は一度も、自分がセフィラでよかったと思ったことはない。たとえ誰かを救えても、待っているのは偏見だろうと信じているからだ。今できることと言えば、せめてまったく力に頼らず、みんなと同じ苦労を分かち合うことだけなのだ。
陸空合わせて、最終的な現地到着時刻は午前九時。調査や避難勧告、迂回路の確保などに要した時間が三時間。休憩一時間をはさんで本格的な作業開始から、まもなく五時間が経とうとしていた。あたりはすっかり暗い。各所に置かれた照明がチラチラと舞う雪をきらめかせ、もの悲しい陰鬱とした情景を作り出している。
「よし、みんな休憩だ。腹ごしらえしよう」
サウスが言うのを待ってましたとばかりに、みんなは作業を中断し、近くのヘリポートへ移動して夕食をとった。食事は陸軍の一小隊が一時間ほど前から炊事班となってこしらえた、スープ類中心の暖をとりやすいメニューだ。
「あーっ、生き返るなあ」
「まったくだ」
みんなは言い合いながら、食事を口に運び、会話に花を咲かせている。シギルは、そんな人々を眺めて心身を暖めた。
(グラウコスは、いい人達ばかりだな。博士が俺をここへ送った理由が、わかった気がする。いつかきっと受け入れてもらえる日が来るんじゃないかと思える……けど)
そしてふと、ルーク・リースの姿を見かけて驚いた。彼は第一部隊で空軍と合流せず、作業開始後も近くにいなかったので、シギルとは顔を合わせなかったのだ。
(なんだ、ルークも来てたのか)
シギルは声をかけてみようかと思った。しかし今一歩、足が動かなかった。なにげない言葉で話しかければいいというのはわかるが、その言葉が思いつかないのだ。頭の中で右往左往していると、突然、中央付近にサウスが立って、大声でみんなに注意をうながした。
「今みんなが作業してくれている岩盤向かって左側は、これ以上の立ち入りは危険だ。五メートル以内には近寄らないようにしてくれ。作業はそれより右側だ。よろしく頼む。今日の仕事はあと少しだから気合い入れていけ! おまえらだけが頼りだからな! ケガなんかしてくれるなよ!」
士気を鼓舞しようとする彼に応えて一同は、いっせいに声を上げた。
「イエス・サー!」
総勢二百七十名の軍人の声は圧巻である。疲労もピークを迎えようかとする兵士も腕を上げて応え、なえた心を盛り上げた。サウスはやはり「大陸の龍」の名に恥じない男だと、シギルはうなずいた。