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ロスト・フィラデルフィア  作者: 礎衣 織姫
第二章 シーランの兄弟
7/36

01

 就任式後、休日をはさんで、明くる訓練初日。

 空軍管轄訓練場内では、士官指導のもと、新しく配属されてきた二等兵の飛行訓練がおこなわれることになった。「士官クラスの者が主エンジンを操作。訓練生を乗せて飛び、実際の飛行を体験させる」という実地訓練だ。

 シギルは下士官だが、戦闘機に乗ったことはないので、訓練生に混ざる。

「君の訓練は私が受け持つよ」

 とシリング・カーター軍曹が言った。

 黒々とした短髪。奥二重の黒い瞳は垂れ目で、どこから見ても優しそうなおじさんという印象の軍曹だ。

 シギルは頭を下げた。

「よろしくお願いします」

 訓練生は担当してもらう各士官の前に整列し、小型通信機を耳に装着した。管制塔からの指示や、士官の指示を聞き取るためだ。

「君たちは乗っているだけだから気楽にね。といっても、少しは操縦テクニックを盗んでもらわないと困るんだけど」

 二十八歳の女性士官シエラ・ハーネスト空軍准尉が冗談めかして言うと、緊張していた訓練生の顔に少し笑みがこぼれた。物腰の柔らかさは女性ならではだ。場を和らげる言葉選びに関しても慣れているようである。

 ひと通りの説明が終わると、みなは機へ順に乗り込み、次々と離陸した。シギルも同様にして指導士官のとなりに乗り込むと、気を引き締めた。

「空を飛ぶのは初めて?」

 シリングがなにか、そんな質問をした。ある意味、初めてであるはずがないシギルだが、そこはうなずいた。

「楽しいぞ、空は」

 シリングの励ましが聞こえたかと思うと同時に、戦闘機は走り出した。順調に離陸。決められたコースをたどり、あとは着陸するだけだ。正味十五分の飛行。

 が、急にシリングが、やや緊迫した面持ちで通信機のボタンに手を伸ばした。

「F305号機、主エンジンの操縦レバーに警告ランプが点滅。管制塔に指示を仰ぐ」

〝こちら管制塔、操縦可能な方位を示してください〟

 シリングはゆっくりとレバーを動かしていったが、中位置で止めて、再び管制塔に指示をあおいだ。

「全方向、操縦不能。オートシステム反応なし。予備は異常なし」

〝緊急用オートシステムにパスコードを入力して下さい〟

 シリングは指示にしたがって、反応のないオートシステムを切り捨て、緊急用のシステムを起動させた。これがうまく作動すれば、機は練習コースを自動で飛行し、着陸まで完璧におこなってくれる。

 訓練機ではなく、となりに座っているのが初搭乗の訓練生でなければ、副操縦桿を動かすところだが、まるで条件を備えてないので、やむを得ない。

 シリングはシギルと目を合わせると、かすかに口角を上げた。不安にさせまいと無理に笑顔を作っているようだ。

「こんなことは、めったにないんだがな」

 と言いながら、黄色いボタンを押す。

「緊急用システム、正常に作動。加速装置にエラーのサインが表示されている」

〝加速装置ですか? 着陸後、ただちに整備班を向かわせます〟

「了解」

 管制塔とのやり取りが終了すると、シリングはホッとして座席に身を預けた。が、それまで様子をうかがっていたシギルが、ふとシリングの袖をつかんだ。

「軍曹、スピードが上がっています」

「なに!?」

 メーターを見たシリングは、顔面を硬直させた。一秒に〇.五キロ加速している。前方を見ると、前に飛び立った機が迫っていた。

 シギルはとっさに叫んだ。

「サブに切り替えます!」

 サブとは副操縦員のことで、この場合、メインの操縦を完全に副操縦に切り替え、操縦士がシギルに移ることを意味している。さきほどシリングがあえて避けた手段だ。当然シギルには操縦経験などないが、そんなことを言っている場合ではない。

 シギルは素早くサブに切り替えると、操縦桿を握った。それと同時に十メートル前方に迫っていた前号機を避け、その横わずか三メートルの距離をかすめて通り過ぎた。この瞬間を、管制塔員や地上に待機していた者は、固唾をのんで見守っていた。ヒッと息をつまらせた者もいる。

 その一分も経たぬ間に、速度は人間の動体視力限界の値を示した。コースを行くすべての機が、あっという間に前方に迫る。しかしシギルの操縦する機は、左右に華麗ともいえる格好で回転し、ことごとくこれを避けた。

 事態の深刻さを知らない第三者がみれば、アクロバット飛行ショーでも、おこなわれているのかと思うほどだ。

「管制塔! F305号機はこのまま、いったんコースを抜けます! 許可をください!」

 シギルの声に、管制塔は慌てて応えた。

〝ラジャー!〟

 許可がおりると同時に、F305号機はコースをはずれた。するとまたシギルから、管制塔に連絡が入った。

「加速装置の機能を回復してください!」

〝そ、それは無理です! 直接機内を調査してみないことには〟

「加速装置はシステムエラーのようです!」

〝えっ、え?〟

「機とつながっているシステムにアクセスしてください!」

〝ど、どうやって……〟

「ターミナルから、センターパスワード画面を呼び出して、今からいうコードを入力してください!」

〝は、はい!〟

「H1093A5612#0012001Y31-3612OP961WWBO!」

〝…………う、打ち込みました!〟

「次、F305G100SCONTROL!」

〝……アクセス画面が開きました!〟

「エディットを選択してプロバインディングの再構築をしたあと、診断と修復のコマンドを入力してください!」

 言われるまま管制塔員が打ち込むと、F305号機の加速装置エラーは、あっけなく解除され、修復された。同時にスピードは徐々に弱まり、通常運行レベルまでダウン。

 シギルは大きく肩を揺らし、何度か深呼吸した。額には小さな汗の粒が無数に浮いている。的確で冷静な対処をし、大業を余裕で成し遂げたようでも、本人は無我夢中で、いっぱいいっぱいだったのだ。

 シリングはその様子をのちに仲間に語り、少年の勇気を褒めながら、ついでに自分の不甲斐なさを反省した。

 シリングは言った。

「すまない。私がしなければならないことを」

 シギルは唾をのみ込んで呼吸を落ち着かせ、額の汗をぬぐいつつ微笑んだ。

「いえ、軍曹と乗ってなかったら、たぶんパニックになって、こんなにうまく切り抜けられなかったと思います」

 二人は和やかに笑みを交わすと、ひと呼吸おいて管制塔と連絡をとった。

「今から着陸態勢に入ります。誘導お願いします」

〝ラ、ラジャー!〟

 管制塔からは深い安堵のため息と、明るい歓声が響いた。また、この一連のやりとりを逐一聞き、超人的な操縦を目の当たりにした士官や訓練生一同は、舌を巻いて絶句した。

「ターミナルからセンターパスワード画面を開いて戦闘機のシステムにアクセスする」などというのは、管制塔に長年勤めている者ですらしたことがない非常な行為だ。それをアッサリ指示してのけた度胸は並ではない。もはや「どうして第一希望に空を選んでなかったのか不思議なくらい」だった。異例の出世を果たしたのも納得である。

 いくら優秀といっても、いきなり伍長に就任した少年に不信感をいだき、内心で嫉妬していた士官や同期生はいた。だが、そんなわだかまりは彼らの中から今の一瞬で吹き飛んでしまったのだ。

「お、驚いたな。本当に初心者か?」

 横で唖然としたまま空を見上げているディモンズ・バーン少将の問いに、ファウストも驚きを隠せない様子で返答した。

「俺が、知るか」


***


 翌日。

 シギルは新入隊員寮と陸軍兵一般寮の境にあたる屋外通路を横切って、ルーク・リースに会った。ルークは見知らぬ新入隊員の少女と談笑しており、声をかけるのはためらわれたが、無視するのも妙なので、結局あいさつした。

「やあ、ルーク」

 するとルークは軽く敬礼し、「お疲れさまです」と言った。同期で親友であっても、もう立場が違うのだ。それがシギルには少し寂しかった。

「ほら、おまえも敬礼しろ。話しただろ? 空軍伍長のシルバー・クラウズ・ラインビルだ」

 ルークは傍らにいた少女を肘でつついた。少女は栗毛に大きな鳶色の瞳で、可愛らしい顔立ちをしている。美少女と言っていい。急に緊張した面持ちで敬礼する様子も初々しく、シギルは胸がくすぐったくなった。

「伍長、妹のマデリーンです。よろしくお願いします」

 ルークの紹介に、シギルは目を見張った。

「妹、いたの?」

「はい。実は去年、一緒に入隊試験を受けたんですが、自分だけ合格しまして」

「今年は受かったんだ。良かったね」

 シギルが言って微笑みかけると、マデリーンは顔を真っ赤にした。

「はい」

 その肩に、ルークが優しく手をのせる。

「俺たちシーランだから、この一年、離れているのは結構きつかったんですけど、ほんと良かったです。もし今年もダメだったら、俺も辞めるしかなかったし」

 思わぬところでのルークの告白に、シギルは衝撃を受け、深く傷ついた。ルークがシーランであることを知らなかったことはさておいても、邪気のない台詞に悪意を感じたのだ。

 統計上、シーランの兄弟を引き離していられるのは短くて三年、長くて二十年だと言われている。それを越えると精神に深刻な影響を与えるからだ。どういう形で、また何年で出るかは個人差があるようだが、なんにしてもロスレイン兄弟はギリギリである。シギルとしては、兄が心配だった。

(俺たちは何故、この兄妹のようにしていられないんだろう)

 答えの出ている問いを心の中で反復してみると、軽いめまいに襲われた。

 十六年経った今でも弟を捜している兄。去年までそんな兄がいることも知らずに過ごしていた弟。再会した今でも視線を交わすことすらない兄弟。同じ兄弟を持つシーランでありながら、なんという違いだろうか——と。

(どうして俺は、セフィラなんだ)

 シギルは腕が震えそうなのをおさえようとして、グッと拳を握った。その顔からは笑みが消え、瞳からは輝きが失われた。

 兄弟姉妹で軍隊に勤めているシーランは多い。なにもルークが特別なのではない。それでもシギルの心は軋んで、居たたまれなくなってしまったのだ。

 表情が一変して暗く沈んだシギルを見て、ルークは少しだけ困惑した。気に障るようなことをした覚えはない。あったとしても、シギルなら怒ったりしないと知っているからだ。それほどシギルは普段から温厚だった。まして潔白なルークにしてみれば、ここで嫌な顔をされる筋合いはないわけで、通常なら冗談口調で文句のひとつも言ってやるところだ。が、いまや上司であり、前例がないだけに対処法がわからないでいた。

 気まずいなと思っていると、わずかに我に返った感で、シギルが言った。

「とにかく合格したんだ。良かったじゃないか。これからも、がんばって」

 それは、そっけなく淡々とした口調だった。

「それじゃあ」

 と会話を打ち切るシギルの視線は、もう兄妹を見ていない。二人のわきを通り過ぎ、空軍士官僚のある方角へと去って行く。その場に残されたマデリーンは、兄ルークに向かって言った。

「聞いているより、冷たい感じの人ね」

 ルークは眉をひそめながら、肩をすくめた。

「いや、いつもはもっと愛想がいいし優しいよ。今日は珍しく虫の居所が悪かったんじゃないかな」


***


 午後六時。

 夕食を終え、食堂を出たルークがマデリーンと楽しげに歩いていると、向かいからやって来たサウスに止められた。

「お、交際は禁止だぞう?」

 ルークは、相変わらず上司らしくないサウスを見上げて顔を引きつらせ、笑った。

「妹のマデリーンです、大佐」

 サウスは、とたんにそっぽを向く。

「なんだ、おもしろくない」

「大佐!」

 不埒な上司をたしなめるべく、ルークは声を上げた。しかし、そんなことに動じるはずもないサウスは、ふと真面目な顔で話題を変えた。

「おまえ、確かシーランだったな」

「はい」

「うーん、あんま顔合わせるこたないだろうけどなあ……」

「はい?」

「空軍大佐のファウスト・ロスレインは、知ってんだろ?」

「はい」

「間違っても、そいつの前で可愛い妹の自慢とかするなよ」

 ルークはキョトンとした。

「なぜです?」

「ファウストもシーランだ。生き別れた弟を捜して、もう十六年だ。その心中を想うとな。わかるだろ?」

「あ」

 ルークは、隣で聞いていた妹とともに息をつまらせた。視線を交わし合う二人の視線は、せつない。ネオ・ゲノムのサウスには共感できない世界が、そこにはある。

 シーランにとって兄弟姉妹を失うことは、誰のことでも他人事ではないのだ。いつか自分も直面する苦痛である。まして十代や二十代の若さで経験してしまうとしたら、それは生きる希望すら失ってしまう悲劇である。

(そっか。ロスレイン大佐があんなふうなのは、弟のことがあるからなんだ。つらいだろうな。俺もマデリーンを失ってしまったら、きっと同じように心を閉ざして……いや、とても生きていられないんじゃないかな)

 ルークはそう思う一方で、昼間のシギルを思い出していた。どうして思い出したりしたのか分からなかったが、らしくない彼の態度が小さなトゲとなって胸にひっかかったのだ。

(なんだろう、この感じ。変だな。なんだか、とても苦しい)

 兄妹を沈黙させてしまったサウスは心持ち立ち去りづらくなり、助けを求めるように兄ルークを見た。が、それはすぐ後悔に変わった。

「んなっ、おまえっ、なに泣いてんだよ! まるで俺が泣かしたみたいじゃねっかよー」

 ルークの両目からは涙が流れ落ちている。指摘されて横から兄を覗いたマデリーンも、さすがに驚いた様子で「大丈夫?」と声をかけた。だがルークは涙をぬぐおうともせず静かに泣き続けた。妹の気づかいすら効果がないとなると、そうとう重症だ。

「おいおい、勘弁してくれよな〜」

「すみません。でも、なんだか悲しくて」

「いや、ま、謝んなくてもいいけどよー」

 サウスは困ったように頭をかきつつ、途中、通りかかった同僚に冷やかされながら宙に視線をさまよわせた。

(おーい、誰か助けろ〜)

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