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ロスト・フィラデルフィア  作者: 礎衣 織姫
第一章 動き出す時
6/36

06

 わざわざ自分が所属している基地の就任式を蹴ってまでやって来て、シギルの就任挨拶に涙したロイスは、グラウコスでちょっとした話題になった。

「ラインビル伍長は、いろんな人間に愛されているようだな」

 基地内のカフェテラスで一服しながら、ファウストは親友のサウスに向かって他人事のように話しかけた。

「カワイイからな」

 受け答えるサウスものんきである。

「いや、それはおまえの見解だろう。俺は一般的な意見を聞きたいんだ」

「えーっ、だって、おまえんとこの少将もカワイイって言ってたぜ?」

 コーヒーをかき混ぜていたスプーンの先を向け、サウスは声を上げた。が、

「少将が言うカワイイと、おまえの言うカワイイとは違うだろう」

 と言われると、とたんに覇気をなくして再びカップにスプーンを突っ込み、かき回した。

「まあな」

「あのロイス・ハーベイ伍長というのは、ラインビルのなんだ」

「さあ。昔なじみとしか聞いてないな。小さい頃、世話してたって」

「そういえば、ラインビルは孤児だったな」

「ああ。早くに両親を亡くしている。かわいそうだな」

「今時めずらしくない。おまえにかわいそうだと言われるほうが、かわいそうだ」

「この野郎」

 口の減らない友人に悪態をついてやろうとした時、サウスはふと、視界の端にシギルの姿をとめた。彼は唐突に立ち上がり、大きく手をふった。

「おーい! シルバー!」

 シギルが気づいて、こちらに進行方向を変えたのを確認すると、サウスはイスに腰かけなおして、にやにや笑った。

「噂をすれば、だな」

 サウスと向かい合っていたファウストは、なにげにゆっくりと、かえりみた。すると、こちらへ向かって来つつあったシギルの足が不意に止まり、急に背を向けて走り出したので、険しく眉をしかめた。

「おい、逃げたぞ?」

「えっ!?」

 サウスはテーブルに手をつき、イスをならして立ち上がった。

「な、なんで?」

「知るか」

〝明らかに自分を見て逃げた〟——そう感じたファウストは姿勢を戻すと、コーヒーをいっきに飲み干した。

「おい、サウス」

「あ?」

「あとでひっ捕まえて、なんで逃げたのか聞いておけ」

「お?」

 ご立腹の様子と見て、サウスは驚いた。

(こんなことで怒るなんて、らしくねーな。さすがのファウスト様も人気者に嫌われるのはイヤなのかねえ……はは、まさかね)


 サウスと別れたファウストは、その足でマチルダとの待ち合わせ場所へ行った。軍のレジャー施設内にある広い公園だ。人工的だが涼しげな木々が立ち並ぶ、美しい園だ。日々軍事にたずさわる者が心の安らぎを求める、憩いの場である。

 ファウストとマチルダは、その一角の人目につかないベンチへ腰かけた。付き合い始めて一年が経った。次の休日には彼女の両親と挨拶を交わし、食事をする予定で、今日はその打ち合わせといったところだ。

「こういうことでもないと基地の外に出ることはないから、思いっきり楽しめる場所がいいわ」

 とマチルダは言うが、ファウストは乗り気でない。

「大事な挨拶なんだし、相応の場所ってものがあるだろう」

「父は、私の好きなところでいいって言ってくれたわ」

「そうかも知れないが、俺の体面も考えてくれ」

「固いのね」

「そういう問題じゃない。心証を良くしたいんだ。特に君の父親は、所属が違うとはいえ上司でトップだ。内でも外でも、こっちは常に評価される側だ」

 マチルダは頬に手をあて、うーんと唸った。

「まあ、それもそうだけど、あなたって優秀でしょ? これといった欠点もないし、むしろ長所しか見えないのよね。あんまり完璧より少し崩したほうがいいんじゃないかしら。そのほうが人間らしいわ」

 ファウストはしばらく無言でマチルダをみつめた。

「俺は人間らしくないか?」

「あら、やだ。悪い意味にとらないでね。ただ打ち解けやすくしたいのよ。これでも私、あなたに気をつかってないわけじゃないのよ」

 ファウストは肩で軽く息をついて微笑んだ。

「わかった。君の好きな場所でいいよ」

 それを受けて、マチルダも微笑んだ。

「ありがとう。でも、うれしいわ。あなたが私の両親に良く思われたいって思っててくれて」

「当然じゃないか。俺は君を愛してる」

「私もあなたを愛してるわ」

 二人は自然と包容を交わし、キスをした。幸福を感じる脳裏でファウストは、これまで逃れることのできなかった弟の影をほんの一瞬だけ忘れた。そのことが後から悲しく思えて、夜も眠れないほど苦しんだ。


***


 翌日のこと。サウスは友人の注文どおり、空軍士官棟内のミーティングルームでシギルを捕まえた。

「おまえ、なんであそこで逃げるの? ファウスト怒ってたぜ?」

 捕まえた理由を告げるとシギルは青ざめた。

「えっ、怒ってた?」

「ああ。だって、ファウストの顔見て逃げただろ」

「すみません。つい条件反射で」

「は?」

「俺、あの人、どうも怖くて」

 口ではそう言いつつ、シギルは「しまったなあ」と胸の内でつぶやいた。本当は逃げるつもりなどなかったが、隠していることへのうしろめたさや、兄を慕う心のはやりに負けて、逃げてしまったのだ。

 サウスは呆気にとられて、シギルの胸元を指差した。

「もしかして、空に行きたくないっつってたの、ファウストが怖いから?」

 シギルは素直にうなずいた。すると数秒の沈黙のあとに、サウスが「ぷっ」と吹き出した。

「わっはっはっ!」

「なっ、なにがおかしいんですか!」

「ひぃーひっひっ。だってよー、なんかツボにハマりすぎてんだよっ。あっはっはっ。ファウストが怖いから嫌、か。すっげえカワイイっ。いかすよ、その理由! 稀代の優等生が、ファウスト怖い〜ってか。高所恐怖症ならぬファウスト恐怖症? あー、もうダメだ。おまえに逃げられた時のファウストの顔、思い出しちまった。ぎゃははははは!」

 涙を浮かべてまで笑うサウスを前に、シギルは耳まで真っ赤にして顔をほてらせた。

「もう! いいかげんにしてください。言わなきゃよかった。笑うな!」

「ぎゃあっはっはっはっはー……ああ、でもよお、ファウストの友人としてフォローすっけど、あいつが怖えのは仕事ん時だけ。本当は優しい、いい奴なんだ。みんな、ちょっと誤解してるけど。まあ、俺が言ってもピンとこないだろうけどな。一緒に仕事してりゃあ、おまえもいつか分かる時がくるよ」

 シギルはあえて何も返さなかったが、彼のフォローを心密かに喜んだ。自分にとっては若干迷惑な男だが、兄にとっては確かにかけがえのない友人だと……二人のめぐり合わせを、ひとまず神に感謝しておこうと思った。


 ところで、このエピソードは即基地内に広まって、『シルバーってやっぱりカワイイね事件』と名付けられた。もちろん名付け親はサウスだ。しかしこの噂話を聞いて、二人だけ笑わなかった人物がいた。当人のファウストと、ブレッド・カーマル将軍である。

 ブレッド曰く、

「空に行きたくない理由としては、むしろ出来すぎている」

 だが本格的に今期の訓練が始まってしまうと、怖いだとかなんだとか言ってはいられない。所属が同じ士官同士は否が応でも顔を合わせなければならない。事件の噂のおかげでファウストは目も合わせないが、シギルは姿を見かけるだけで、悲哀に押しつぶされそうだった。

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