05
シギルはロイス宛にメールを打っていた。読んだらすぐ消去するようにと、あとがきを添えて。
『空軍の伍長に就任した。異例なことらしいので、みんな驚いている。俺自身、うまくやれるかどうか不安だ。なにより大佐の顔をまともには見られないだろうという気持ちがある。ここへ来る前に博士が、俺に兄がいると教えてくれた。ファウスト・ロスレインだ。ロイは知っていた? 今すぐにでもここを飛び出したい心境だけど当てはないし、よそで身を隠すのは限界がある。GPからは逃げてきただけなんだ。博士がどうしているかも心配だ。良ければ一度会いに来てほしい』
自室でメールを受け取り読み終えたロイスは、「会いに行く」とだけ返事して、シギルのメールとともに返信履歴を消去した。そのあと肩を落とし、頭をかかえてベッドに腰をおろすと、大きなため息をついた。
「なんてことだ。あのファウスト・ロスレインがシギルの——運命のイタズラとしか思えんな」
ロイスは因縁に恐怖しつつも、翌々日に控えたシギルの就任式のため、すばやく行動を起こした。休暇をとり、グラウコス基地に出席の希望を申し立て、宿泊施設に予約を入れたのだ。
もちろん上官からは嫌味を言われた。ロイスの所属するタートルダヴ基地でも就任式はあるのだ。グラウコスの就任式に行くということは、すなわち、タートルダヴの就任式には出ないということだ。いい顔をしてもらえないのは当然である。
しかしロイスは決して臆することなく、なんども頭を下げて懇願した。彼は彼なりにシギルへの罪悪感があり、また愛情を持っていたので、そうすることが苦ではなかった。
ラウ・コード博士の近況についても調べあげた。GP研究室爆発事故の報道があってから、今日に至るまでの、軍が入手し得た情報のすべてだ。
「研究所の爆発は何者かの襲撃によって引き起こされた事故である可能性が高い。軍ではテロリスト同士の抗争とみている。事故による火災でセフィラに関する研究データがほぼ消失。当日の被験者の在、不在は未確認。死亡説もささやかれているが、GP側が流したデマだろうと推測される。ラウ・コード博士はかろうじて脱出し、現在はGP本部に身を置いているものと思われる、か」
ロイスは眉をひそめた。
(シギルがグラウコス基地において、偽名でなんの問題もなく過ごし、そのうえ士官クラス入りを果たしたとなると、そこにはかなり信用のおける架空の戸籍が存在するはずだ。これは考えるまでもなく博士の根回しだろう。とすると爆発事故は抗争などではなく、博士がシギルを逃すために仕組んだものと推測するのが自然だな。本人も「逃げて来た」と言っている。——なんにしても、潜伏先にグラウコスを選んだのは正解だ。あそこの将軍はたぶん一番まともだからな。全軍のトップに立ち、権力も実力も充分に兼ね備えていながら、やっていることは、ほとんどボランティア活動……めずらしい男だ)
ロイスはおぼろげに、ブレッドの面影を思い浮かべた。たぐい稀なる美貌の人で、貧民街のストリート・チルドレンから軍人になったということぐらいしか、彼に関する知識は持っていない。数多くの武勲も立てているが、ことにボランティア活動には熱心だ。考えれば考えるほど、得体の知れない奇特な人間としか表現しようのないことに気づく。
そしてふと「ラウ博士は生きているのだろうか」という不吉な疑問を、胸の内でつぶやいた。こんな真似をして、あのスカイフィールズにバレていないとは、どうしても信じられないのだ。
(もし万が一、ラウ博士がこの世にもういないとしたら? とてもじゃないがシギルの耳には入れられない。実の父のように慕っていたんだ。そんなことになったら、きっと精神のバランスを崩してしまうだろう。百二十パーセントの正確さを誇る制御力をもってしても、精神のおよぼす影響力は計り知れない。ひとたびバランスを失えば、きっと力を抑制しきれなくなる。とはいえ、いつまでも隠しきれるものではないだろうな。大佐がストッパーになればいいが)
苦悩の色をにじませて、ロイスは窓に映る自分の顔を見つめた。
「命を懸けるか。おまえに、その覚悟はあるのか、ロイス・ハーベイ」
自問し、目を伏せる。彼は答えを出せないまま、翌朝、グラウコス基地へと旅立った。
***
空軍伍長に任命されたシギルは、士官棟に案内された。案内人は、なぜかサウスだ。
「地下の移動装置を使えば、陸海空、すべての士官棟に移動可能だ。記章とネームバッチさえつけてりゃ許可はいらない」
これからシギルの生活の拠点となる空軍の士官棟は南側に位置している。何層にも重ねた核シェルターの地下一階にあり、高級ホテル並みの広さと美しさ、そして設備が整っている。地下二階にはモノレールの原理を採用した水平移動のエレベーターが西側と東側にのびており、そこから陸海の士官棟へとそれぞれ移動できるのだ。距離にすれば遠いが、これを使えば五分で行き来できる。
「質問いいですか?」
「ん、なんでも聞いちゃって」
「どうして大佐が自分の案内を?」
「それはね〜、俺から将軍にお願いしたからだよ」
サウスは、のんきな声でニヤニヤしながら答えた。シギルは不審そうに、その顔を覗き込んだ。
「どうして」
「あれ、つれないなー。一年前に告白したの、忘れちゃったの? 哀しいなあ」
「ふざけていただけじゃ」
「ないよ。俺はいつでも本気さあ」
とても本気とは思えない軽い口調だが、たぶん本気なんだろうと、シギルは沈痛な面持ちで眉間を寄せた。
「大佐とお付き合いをして、なにかいいことありますか」
「お、いい質問だな。もちろんあるさ。伊達に陸軍大佐を務めちゃいない。おまえの権限がおよばないところもフォローできるし、なにかあってもバックアップできる。一応、あっちにも自信があるぜ?」
「……」
「どう? 付き合う気になった?」
「いや、聞いてみただけですから。まったくその気はありません」
「んなーっ! 冷たいっ。冷たすぎるぜ、ベイビー!」
周囲のことなどお構いなしにサウスが絶叫するので、部屋で休んでいた一人の士官が通路に出てきた。
「んだよ、サウスか。うっせーぞ!」
空軍少将のディモンズ・バーンである。寝癖だらけの赤毛に黒目で、身長は一七八センチ。容姿は可もなく不可もない。三十二歳独身だ。いつも無精髭を生やしている。ファウストほどの活躍はないが、指導力を買われて少将の地位にある。が、本人曰く「ファウストを早く上げろ。奴の上に立つのは向いてねえ」とのこと。
所属が違うとはいえ、彼はサウスの上司でもある。しかしサウスは思い切りタメ口を叩いた。
「こらえろ! 俺は今、とおっても傷心ボーイなんだよぉ〜」
グラウコスの鷹と恐れられているファウストと平気で親友付き合いしている男だ。上司だろうがなんだろうがお構いない。上下関係という言葉をまったく無視して生きている。怖い者知らずの子供のようであり、生まれつき無礼者とも言える。そんなサウスが敬意を払うのは、カーマル将軍だけだ。それを知ってはいても、ディモンズにもプライドがある。おまけに睡眠をさまたげられているので、軽くキレた。
「ああっ!? てめ、頭打ったか!」
初日から問題を起こしたくないシギルは、慌ててサウスを制した。
「大佐!」
これを見たディモンズは声を上げ、シギルを指差した。
「あーっ、おまえはっ、噂のニューフェイスだな! よく来た! 空へようこそ!」
すると少将の声に反応して、ほかの士官たちも次々と部屋から顔を覗かせた。
「なにっ、ラインビル?」
「おーっ、来たか。どれどれ」
「よーお。空へようこそ!」
「空へようこそ!」
みな満面の笑顔。
シギル・ロスレイン、もとい、シルバー・クラウズ・ラインビル十六歳は、本人が思うよりも友好的に迎え入れられたことに驚いた。そして、和気あいあいとしたムードにやや圧倒されつつも、頬をわずかに紅潮させ、照れくさそうに一礼した。
「よろしくお願いします」
***
「あれは、なかなかカワイイな。女性陣に大人気なのは勿論だが、士官のウケも上々だ」
人が混み合っている就任式会場の広場で、ルーヴ・サーヴァル・メイレン空軍中佐を相手に、シギルを指してディモンズは言った。すると東洋系の切れ長の目をわずかにまたたかせ、メイレンは釈然としない面持ちでまっすぐ前を見据えた。
「カワイイですかね? 自分には脅威です」
「ん? そうか?」
「そうですよ。ロスレイン大佐を思わせるような優秀さに加えて、前代未聞の最年少士官。明日にでも自分の上官になりそうな勢いだ。怖いですね」
「はっはっは。そりゃ考えすぎだ。たとえいつか上官になる日が訪れるにしても、五〜六年は先だろう」
「明日も五年も同じです。ロスレイン大佐が大将になる頃は彼が中将だと、みんなが噂しているのをご存知ですか」
「ほう、初耳だ」
「自分は情けないです」
「なんだ、くやしいのか」
「もちろんです。入隊当初から大佐について行こうと決めて、死ぬような努力を重ね、やっとここまで来たんですよ?」
「努力でどうにかなったんだから、たいしたものだ。奴がおまえを必要としていることに変わりはなかろう。別にそんなピッタリくっついてかなくてもいいじゃないか」
「自分は片腕になりたいんです」
「ふうん、奴も好かれたものだな」
ディモンズは人差し指で鼻をかきつつ、遠目にファウストの姿を眺めた。
一方、シギルは昨日まで同室だった三人の仲間達に取り囲まれ、祝福されていた。ひとつ年下のラスクは海軍に、同い年のゾイックとひとつ上のルークは陸軍に入った。みな真新しい深緑の制服に身を包んでいる。
シギルは「自分もその制服を着てみたかったな」と思ったが、言わなかった。エリートコースに進んだ者が口にすると嫌味になるとわかっているからだ。だが「みんなと同じ」であることに憧れていた少年にとってそれは、やはり妬ましいことだった。
「せめてセフィラでなかったら」と思ってしまうのだ。
シーランがセフィラになるには、数億万分の一のシーランしか保有していないという覚醒遺伝子「ナノクロス」が必要だ。しかしこのナノクロスは生後五年間が経過すると自然消滅してしまう。つまり、五歳の誕生日を迎えるまでにナノクロスがテレキネシス遺伝子「セフィラ」にショックを与えなければ、セフィラにはならないということだ。
また覚醒しても、衝撃に耐えられない個体は死んでしまう。よって、すべての条件をクリアした完全体は非常にめずらしい。皆無と言っても過言ではないだろう。シギルは、そんなものになってしまった身の上が、時々ひどく憎らしく思えるのだ。
「いーなあ、黒い制服。よく似合っているよ。かっこいい」
ゾイックは、生地も仕立ても良く、見た目も高級感があるデザインの士官服を、心底うらやましがって褒めた。着ている本人が気に入っているかいないかは、このさい関係ない。
「ありがとう」
「士官棟って個室なのか?」
ルークが尋ねた。
「うん」
「俺たちは三人部屋だぜ」
「へえ、どんな感じ?」
「うーん、四人から三人になっただけでも少し広いんだけどさ。なんて言うか、あまり代わり映えしないよ」
「そうなんだ」
そう答えた時、開会式の鐘がなった。四人は別れ、それぞれの立ち位置へと散らばる。シギルはその途中でロイスに会った。というより腕をつかまれ、引き止められた。
「ロイ!」
まさか就任式に来るとは思っていなかったらしく、目を丸めて自分をみつめるシギルに、ロイスは優しく微笑みかけた。
「まずは、おめでとう。同じ空軍伍長だ。わからないことは遠慮なく聞いてくれ」
シギルは、うれしそうに瞳を輝かせた。
「ありがとう」
「また後で話そう。さ、早く位置について」
「うん」
手をふって去るシギルを、目を細めて見送ったロイスは、広場の前面に設置された大きなステージに各士官の顔ぶれがそろいつつあるのを眺めた。右手に海軍、中央に陸軍、そして左手に空軍士官の席が用意されている。ロイスはその中にファウスト・ロスレインを見つけて、ハッとした。
(まずい、よく似ている)
まだ幼さを残している内はいいが、成長とともに兄に似てくるのではないか、と危惧していた彼は、こめかみにひと筋の汗を伝わせた。鉄のようにクールなイメージの強いファウストに比べ、シギルは春の日差しのように温和で愛想がいい。一見まったく正反対だからいいようなものの、これが同じタイプだったら……と考えて、ロイスはぞっとした。
そのロイスの肩を、後ろから誰かが軽く叩いた。ふり返ると、サウス・ウィビーン陸軍大佐の顔があった。
「ハーベイ伍長もどうぞステージ側からご参加ください」
ロイスは慌てて敬礼した。
「いえ、自分は勝手に参加を申し出た身であります。許可をいただけただけでも感謝しております。お気づかいなく」
「んな遠慮するなって。シルバーの晴れ姿、見に来たんだろ? せっかくなんだから特等席で見なきゃ」
ニッと笑うサウスを、ロイスは目をしばたたかせて見つめた。
「あの、あの子がなにか言っていましたか」
「ああ、小さい頃、世話んなったって」
「そ、そうですか」
ロイスは頭に手をあてつつ、恐縮しながらサウスに先導され、ステージの席へと着いた。就任式は、おごそかな中にも華やかで楽しい雰囲気を漂わせながら、つつがなく進行していった。将軍のスピーチがあり、記章の授与式に移る。
新入隊員であった者は、所属ごとの記章と、まだ訓練生であることを示す赤いピンバッチを受け取り、シギルは空軍の記章と伍長の記章を受け取った。今回、士官クラスで移動があったのはシギルだけなので、その注目度は高く、少年にはかなりのプレッシャーだろうと思われる。
ロイスは、シギルが就任の挨拶をする場面で思わず泣けてきてしまい、ハンカチを取り出して涙をぬぐった。
(シギル、君の運命は過酷だ。たとえ今は軍人として人並みに生きられたとしても、セフィラという名を背負い続けるかぎり、永遠に平穏な日々が訪れることはない。だが私は知っている。君が誰よりも平和を望んでいることを。君の心がどんなに純粋であるかを。私はひどい男だな。セフィラが君であることを、心のどこかで良かったと思っている。君ならその力を人間の恐怖に変えないと……私は君の幸福よりも、地上に生きる自分の身を案じている)
隣に着席していたグラウコスの空軍曹シリング・カーター(三十六歳)が、ロイスの背を軽く叩いた。感涙しているロイスを気づかって慰めたのだ。シリングに、ロイスの涙に隠された本当の意味を探ることはできない。だが彼の手は、今のロイスには有り難かった。