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ロスト・フィラデルフィア  作者: 礎衣 織姫
第一章 動き出す時
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04

 グラウコス空軍基地内の管制塔は東西南北、北東・南東・北西・南西の八方にそれぞれあり、すべてを直線で結んだ中心に管制塔本部が構えられている。こうした空港設備が含まれる分だけ、陸軍や海軍に比べ敷地面積は約三倍もある。だが軍事会議など、もろもろの事務的な作業をおこなう施設は陸軍と共同である。将軍がブレッド・カーマルに代わってから、経費削減のため縮小されたのだ。

 サウスはその日、情報処理室を訪れてファウストと出会った。

 設置されているパソコンは、何世代か前のELシートディスプレイ型デスクトップで、ワイヤレス式のキーボードとマウスで操作する。サウスなどは、わりにアナログ人間なので、最新モデルより、こちらのほうが使い勝手が良いと思っている。

 室内に入ると、整然と並ぶ複数台のパソコンのうち一台が、やや暗めの室内に煌煌とした明かりを灯していた。ファウストが一人、パソコンのディスプレイに映し出された個人情報のデータベースを虚ろに見つめている。

「よう、なにしてるんだ?」

 サウスの軽い挨拶に、ファウストは表情なく、ふり返った。

「調べものだ」

「弟か?」

 ディスプレイを覗き込みながら、サウスは声を落とした。ファウストは微かなため息のあと、うなずいた。

「ああ。だが、それらしいのはな」

「なんていうか、まあ、なに言っても仕方ないけど、あれだよな。大変だよな。俺で力になれることなら、なんでもやるぜ?」

「しおらしいことを言うな。気味が悪い」

 ファウストは苦笑して、再び画面に向かった。サウスも一緒になって、膨大な量のデータを上から下まで注意深く見てみたが、気にかかる者はいない。

「俺が五歳の時だ。忘れられない」

 不意にファウストが語りだした。左手をマウスに置いてはいるが、操作は止まっている。サウスは近くのイスを引き寄せて座った。

「弟はまだ生まれたばかりで、思えばあれが幸福の絶頂期だった。弟の名を自分がつけてやりたいんだと、ずいぶん母にねだって、生まれる前から必死に考えて、用意していた名前をつけたんだ」

「へえ。そんな話、初めて聞いたな。なんてつけたんだ?」

「シギル——シギル・ロスレイン。いつも陽の当たる場所にいてほしいと、願いを込めた」

「そっか、いい名前だな」

「だが現実は、願いとは裏腹だ。俺は二ヶ月も、一緒に暮らしただろうか。街がテロの襲撃を受けて、俺の家にも爆弾が投げ込まれた。両親は即死。弟は居間に取り残された。その時は駆けつけた消防士に助けられたが、外で待っていた俺の手には渡されず、救急病院へ搬送された。あとを追って病院を訪れると看護師がやって来て、無傷だったから養護施設へまわされているはずだと言った。でも言われた施設にはいなかった。街中の病院、施設、預けられそうな場所は全部、捜した」

「いなかったんだな」

 ファウストは苦痛に顔をゆがませた。その胸の内にある怒りと哀しみを感じて、サウスはいたたまれない気持ちで一杯になった。世の中に、そんな理不尽があっていいはずはないと。

「……こんなことを言うのは無責任だと叱責されそうだけど、諦めずに捜し続ければ、きっといつか見つかる。出逢える時がくるって、俺は思うぜ?」

 言いながらファウストの肩を優しく、だが力強く叩く。その慰めは確かに無責任だと思いつつも、ファウストは得難い友のいることに感謝した。

「ああ、そうだな」

 わずかに笑みを浮かべたファウストを見て安心したサウスは、腕組みをして眉をしかめ、声のトーンを上げた。

「しっかし妙だな」

「なにが?」

 唐突な態度に、ファウストはやや肩を引いた。するとサウスは人の顔を指さして言った。

「だっておまえ、ガキの頃からずっと捜しているんだろ?」

「ああ」

「軍人になってから捜し始めたとしても、もう七年経っている。今現在十六歳前後のシーランの男の子っていうのを限定で捜して、いまだに見つからないなんて、ちょっと不思議だ」

「そんなことは、おまえに指摘されなくても俺だって感じている。でもだからって、どうすればいい」

「うーん」

 サウスは頭をかき、しばらく宙に目を泳がせた。最悪、生きてはいないのかも知れないと思うが、希望を捨てていないファウストを前にそんなことは言えない。あくまでも、どこかで生きていると想定して考えるしかないのだ。

 首をひねったサウスは、ふと、

「お、こういうのはどうだ?」

 と指を鳴らした。

「シーランだけど、戸籍上はシーランとして暮らしていない」

 ファウストは怪訝そうにサウスを見据えた。

「……それは、ちらっと考えたこともあるが、少し無茶苦茶じゃないか? 乱暴すぎる」

「でも捜索範囲は広がる。段階は見た目じゃ判別しにくい。本人か、もしくは育ての親だかが、ネオ・ゲノムならネオ・ゲノムと申告すれば、そのまま受理されるだろ? よほどのことがないかぎり医学的な実証を求められもしないし、書類上の書き換えなんかどうにでもなる」

「しかし」

「ここまで捜していないんだ。手当たりしだい捜してみたって、無駄にゃあならないだろ」

「おまえな」

 たたみかけてくるサウスに、ファウストは沈痛な面持ちだった。

「万が一にもそうだとしよう。それで? それらしいのを手当たりしだい血液検査するのか。人権侵害で訴えられるぞ」

 サウスは一瞬ひるみ、気弱に顔を上げた。

「訴訟はマズイな。立場上、非常に良くない。でも、それだけの価値があるかもしれない。俺は一度でいいから、おまえが本気で笑っている顔を見てみたいんだよ、ファウスト」

「俺はそんなに笑わないか?」

 サウスは腕を広げて肩をすくめた。

「笑わないね」

 深いため息が、二人のあいだで交わされた。


***


 それから一ヶ月。基地は新入隊員を迎え、かつての新入隊員は第一志望、もしくは第二志望の隊へ上がる季節を迎えた。希望は毎年、成績順に優先して叶えられる。シギルは一度も成績を落とすことなくきたので行く先は決まったのも同然だ。

 改めて一軍人となる者も、新しい仲間を迎える側も、この時ばかりは浮き足立って、総本部前の広場にある電子掲示板に配属先が映し出されるのを待った。だが今年は例年とは違った。掲示板の前の人だかりからは、不審などよめきが上がった。誰よりそこにいて愕然としたのは、シギルだ。ほとんどの者が希望通りの隊に選ばれ、みなが二等兵であるのに対し、彼だけが希望を叶えられず、欄外に名を記されたのだ。

『次の者には以下の任務を命ずる

 空軍伍長

 シルバー・クラウズ・ラインビル』

 シギルは、めまいがした。

(空軍伍長? なにそれ。せめて上等兵にならないのかな——いや、そんな問題じゃないか)

 気軽にふらふらと見学しにきたサウスも、これには我が目を疑った。

(おいおい、うちの将軍は、なに考えてるんだ)

 思いっきり飛び級出世したサウスやファウストでさえ、新入隊員からいきなり下士官にはなれなかった。どんなに優秀であろうと、まずは二等兵、上等兵ときて下士官だ。

「おい、シルバー」

 サウスは、青ざめて呆然としているシギルを見つけ、声をかけた。

 シギルは気がつかなかった。一年経っても、どこかその名に馴染めないでいたのだ。

「シルバー」

 二度目でハッとしたシギルは、泣きそうな顔でサウスを見た。サウスは驚きと同時にたまらない気持ちになって、反射的にシギルの腕をつかむと、そのまま群衆から抜け、建物の中へと入っていった。


 無人の休憩所で、サウスは暗い顔をしたシギルと向かい合い、座った。

(さて、どうしたものかな)

 サウスがほとほと困っていると、シギルのほうから口火を切った。

「俺、将軍に嫌われているんでしょうか」

「え!? なんで」

「だって、第一希望でも第二希望でもない空で、しかもいきなり伍長だなんて。潰してやろうって腹でもないかぎり、考えられない選択です」

(なーっ!? なんつーマイナス思考!)

 サウスは心の中で叫び、額に冷や汗をかいた。

「ま、まさか。いくらなんでも、そりゃないぜ。俺の知るかぎり、将軍はそんなことをするような男じゃない。きっとおまえが優秀なんで期待してるんだ。第一、よーく考えてみろ。ラッキーじゃないか。いきなり出世コースだなんて」

 するとシギルはギロリとサウスを睨んだ。

「他人事だと思って。別に俺も、出世コースが嫌だとは言いません。でも空だけは嫌だったんです」

「どうして?」

 ひどく合点がいかないように問われ、シギルはムッとした。

「希望どおりの隊へ入れた人に、俺の気持ちなんか、わかりませんよね」

「あ、あのなー」

 サウスはガックリとし、頭をかかえた。

「俺は力になろうとしているんだ、これでも。場合によっちゃ将軍に掛け合ってやってもいいと思ってだな」

「そんな、理由なんて言ったら、ますますダメだ。申し訳ありませんが丁重にお断りします」

 サウスは若干興味をそそられて、そっけないシギルを熱く見つめた。

「気になるなー、その言い方。いったい全体、空のどこが気に入らないんだ。たいていの人間が憧れてる。今は太古の昔と違って、身長、体重にこだわらず、実力さえありゃ戦闘機に乗れる。Gの負担がかからないシステムだからな。まさか高所恐怖症ってわけでもないだろう」

 シギルは、にがい表情を浮かべた。彼は高所恐怖症どころか、身ひとつで大気圏すれすれを飛行できる。いまさら戦闘機に乗って飛んでみたいとかいうレベルではないのだ。

「俺は空に憧れを持っていませんし、戦闘機にも乗りたくありません。嫌だという理由がたとえもっともでも、大佐に打ち明ける気もありません。このことについて触れてまわられても困ります。所属するのは嫌ですが、それ自体が嫌いだというんじゃありませんから」

「なんだそれ」

 納得いかないというより訳がわからないといったふうのサウスを置いて、シギルはスッと立ってイスを離れた。

「とにかく、決められたものは仕方ありません。したがいます」

「お、おい」

 サウスは腕をのばしたが、去っていくシギルを追うにはおよばなかった。少年を追うよりも将軍のもとへ行って、今回の人事に対する真意を聞き出すほうが先決だと思われたからだ。


***


 将軍室は四室に分かれていて、外部からの入口は第一室の報告室にのみある。残り三室は書斎、応接室、寝室となっていて、報告室からのみ出入り可能だ。

 サウスが報告室の、銀色で重厚な金属製の自動ドアを開くと、奥のデスクに組んだ両足をかけ、イスの背もたれにふんぞり返っている若き将軍の姿が目に入った。偉そうというのではなく、単にくつろいでいるふうの彼は、プライベートビーチへ遊びに来たどこぞの皇太子さながら、優雅に見える。

 サウスは無言で近寄り、静かに立ち止まった。

「将軍、いったい、どういうつもりです?」

 問われたブレッドは、彼が来ることを予想していたように、ニッと笑った。

「おまえもご苦労なことだな、サウス。そのお人好しがいつか、首を絞めることにならなきゃいいが」

「質問に答えてください」

 本当のところ、ひどく緊張していたが、サウスは平静をよそおって言った。ブレッドはデスクから足をおろし、黒い瞳を光らせた。

「あれは稀にみる逸材だ。即戦力になる。おまえの報告によると人柄も問題はないんだろう。それなら、さっさと士官クラスに上げてしまったほうが得策だ。鉄は熱いうちに打てと言うだろ? 俺たちは将来的に絶対と言っていい確率で、GPと存続をかけて戦う。それはイコール、セフィラ戦だ。能力のある者はすぐにでも使えるようにしておきたい。しかし残念ながら陸も海も伍長の空きがない。かといって下級軍曹(サージェント)より上にすえるのは、いくらなんでも早過ぎる。よって空軍伍長に任命したと言うわけだ。なにか疑問でも?」

「つい昨日まで新入隊員だったんですよ? 下を引っ張っていけるだけの力があるとは思えません」

「見込み違いなら降格させればいいだけだ。そう固く考えるな」

「本人が納得していません」

「では、本人に直接ここへ来るように言え。納得いくまで説明してやる」

 サウスはいっとき言葉を失って、口を開閉させた。

「かわいそうじゃないですか。俺でさえ、ここへ来るのは勇気がいります」

 やっと返ってきたような台詞に、ブレッドはふと立ち上がってサウスへ歩み寄った。背は高いほうであるサウスでも見上げるような長身で、その若さからは想像もつかないような功の仮面をかぶっている。おまけに、人間が想像しうる範囲を越えた美貌の持ち主だ。そんな見るからに近寄りがたい男が、一歩踏み込まなくとも届く位置で意地が悪そうに笑った。後ろ手を組み、少しだけ上半身をかたむけ、耳元でささやく。

「同伴で来てやればいいじゃないか。特別に許可をやろう」

 サウスは目を白黒させつつ、あとずさりした。

 ブレッド・カーマルは、ほかの基地の将軍に比べれば、歳も近く親しみやすいタイプなのだが、平和への理想や人格者としての思想が高い分、人に求めるものも厳しい。特に軍人となった者には「相応の覚悟を持ち、おのれの良心に忠義を尽くせ」と日頃から口うるさい。軍はじまって以来の名将軍とうたわれるだけあって、兵士のしつけは完璧だ。それは彼の尊敬すべき点ではあるが、時にこの強靭な潔癖さが権力がらみの敵を多く作ることもある。

 にもかかわらず最大規模を誇るグラウコス基地に君臨し、地位をたもって一見平然と暮らしていられるのは、そこらの人間では歯が立たない相手だからだ。その男が「あくまでも筋の通った人事」としていることに不服申立するのは、進んで地獄の扉を開けるのと同じと言える。「同伴なんて冗談じゃない」と、サウスは身震いした。

「わかった、わかりました! もう、どうなっても知りませんよ!」

 ブレッドはスッと胸を張った。

「結構。人事で一度や二度失敗したからといって、どうにかなる俺ではない」

 やや低音の、張りのある声で断言をする。

(その自信はどこから来るんだ)

 サウスは思ったが、おっかないので口には出さなかった。そして、

「では、ご成功をお祈りします。失礼いたしました」

 と敬礼して踵を返し、鬼のような早足で退室した。

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