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ロスト・フィラデルフィア  作者: 礎衣 織姫
第一章 動き出す時
3/36

03

 その夜、シギルは眠れずにいた。初めて見る兄の姿が、まぶたに焼きついて消えないのだ。

(まいったな、似てる。まあ、兄弟だから無理もないけど)

 左に寝返りを打ち、壁をみつめる。シギルの瞳は不安に憂えた。そのうち博士の作成した偽造IDのことが気になり出した。入隊試験の緊張から解放され、少し冷静になったためともいえる。


 翌日の昼休み。IDの詳細は調べておく必要があるだろうと、シギルは休憩所にあるパソコンで自分のデータを引き出し、閲覧した。

 休憩所にはフリーのカフェバーとカフェテラスがあり、脇にセパレーターで区切られたネット用のパソコンが置いてある。パソコンは、直径五センチの球体中央にあるレンズから発信される光が、四十五度角に設置されている二十インチ、〇.〇一ミリ幅の透明なディスプレイの背面に当たると、前面にパソコン画面として映るというタイプの最新機種だ。操作は画面に直接触れておこなう。

 シギルは、外付けされているカードリーダーにIDカードを通した。

『氏名=シルバー・クラウズ・ラインビル。

 生年月日=一三七二年十月十八日。

 性別=男。

 出身地=フリューギア。

 血液型=B。

 人種=アドサピリア。

 詳細=クール・ケインズ・ラインビルとサラ・ビーンズ・ラインビル夫妻の間に生まれる。両親は一三八〇年没』

(なるほど。死んだ人間の忘れ形見ってことか。フリューギアなんて僻地もいいとこだな。身寄りも友人もなく、ひっそり暮らしていた夫婦の子なら、まず本物かどうか確かめようがない。本当にラインビル夫妻に子供が生まれたのかどうかさえ、誰も実証できない)

 シギルはウィンドウを閉じ、システムを終了させ、イスを離れた。その足でカフェバーへ向かい、セルフコーナーで紙コップにブラックコーヒーをそそぐと、歩き出しながら飲み干した。空になったコップは六メートルも先にあるゴミ箱の中へと、正確に投げ入れられる。周囲は気がつかないが、これは念動力の賜物だ。

 そんなシギルの行動を、少し離れた位置から眺めていた男が言った。

「あれは誰だ」

 男の名はブレッド・カーマル。二十七歳。黒髪に黒い瞳で、一九四センチの長身だが、ただ背が高いのではない。長い肢体を微塵も持てあますことのない驚くほど均整のとれた美しい姿をしている。神秘的な面差しは、百人中百人が目を見張るほど完成された美があり、人間離れしている。長めに伸ばした前髪をおろし、やや目元を隠してあるのは、目立ちすぎるのを気にしている内面の表れだ。だがそれさえも、美しさに彩りを添える一品である。

 テーブルをはさんで寛いでいたサウスは一瞬、緊張した面持ちで答えた。

「昨日入って来た少年です。シルバー・クラウズ・ラインビル、十五歳。筆記も実地も満点でした」

 マニュアルどおりの言い方をしておいて、再びボンヤリとする。さきほどからブレッドにみとれていたのだ。

 いかなる男女も、これは別物と言わしめるだけの気品と美貌。てっぺんから爪先まで一点の曇りもない。もはや神懸かり的だ、と。そんな彼の、次に目がいくのは制服である。軍服の上着丈は通常、腿のあたりまでだが、彼の場合はスネまであり、色は瑠璃紺だ——それはすなわち将軍の証。グラウコスで将軍といえば、全七軍のトップに立つ者として知られている。つまり彼は将軍の将軍、大元帥とか総帥とか言われたりする立場の人間なのである。

 奔放な性格のサウスでも臆する相手だ。極度な緊張もする。しかしそれを押してでも、たまに向かい合い雑談するのは、やはり一目千両以上の価値があるからだ。

 サウスの説明を聞いて、ブレッドは顎をつまんだ。

「ああ、あいつか。なるほど。容姿自体も目立つが、行動も派手なヤツだ。なんでも苦労せず、ひょうひょうとやってのけるタイプだな。誰かに似ている」

「あなたが言いますか」とサウスは思いつつ、受け答えた。

「ファウスト・ロスレイン」

 即答だったので、ブレッドはわずかにサウスを凝視した。

「そうだ。まさしくファウスト・ロスレインだ。よく気がついたな?」

「そりゃ、わりと年中、一緒にいますから」

 サウスの言葉に、ブレッドは穏やかな笑みを浮かべた。

「嫌か?」

「いえ、とんでもない。良き友であり、良い戦士だと思っています。まあ時々、劣等感はいだきますが」

「おまえのように優秀な男に劣等感をいだかせるとは、たいした男だ。すると、そんな人材がまた俺の手に入ったと考えていいのかな?」

「は、はい。そう考えてよろしいかと」

「そうか、しかし——」

 ブレッドはテーブルに手をつき、立ち上がり際に言った。

「あの少年、要注意だな」

「えっ?」

 サウスはブレッドの台詞を意外に思い、見上げた先に、将軍の顔を見た。

「思い過ごしならいいが、なんとなく、軍人の勘がそう言っている。優れたる者は宝だが、扱い方を間違えると足をすくわれる。目を光らせておけ」

「……はい」

 サウスは小さな声で返事をした。自分は別のことで目をつけていたのだが、まさか将軍から直々に軍事的な目付役を命ぜられるとは思ってもみなかったので、動揺した。


 しかしそれからの一年は、シギルも連日のようにある初頭教育や訓練を受けていたので、忙しさにまぎれ、さして変わった様子もなく過ぎた。「やはり将軍の思い過ごしじゃないだろうか」と口には出さないが、サウスは思った。

 シルバーは優秀さを鼻にかけないうえに温厚な性格で、同僚に好かれている。落ちこぼれ気味の仲間を助ける知恵も持っていて、それが決して出しゃばらない、さりげないフォローだったりするので、教官からも好評だ。間違っても人の足をすくうような人間ではなかった。

 親友と呼べる友もできたようだ。同室のルーク・リース。訓練中でも休暇中でも常に一緒だ。なにか気が合うのだろう。サウスから見てその雰囲気は、まさにファウストと自分を見るようだった。

(それにしても)

 サウスは腕組みをして、入隊当時より十センチほど背の伸びたシギルを、やや遠くから見つめた。シギルは一人で集団を離れ、休憩している。今日はルークとは訓練内容が別らしく、若干つまらなそうだ。

 はじめは「ファウストに似ている」とみんなが噂していたが、意外と感情表現豊かで人当たりが良く、屈託なく笑う少年であることが判明した昨今では、誰も似ていると言わなくなった。ただサウスだけは未だに「ファウストをずうっと可愛くした感じだ」と言い張っている。

(客観的に見ると、やっぱ似てんだよな。どことなく顔立ちが。他人の空似とはよく言ったもんだ。まあどっちにしろ、俺好みだからいーんだけどよ〜)

 などと、くだらないことを思っていると、グラウコス基地の門をくぐった二台のジープが訓練場を横切った。ジープは本来ならそのまま外来専用の駐車場へ向かうはずだが、不意に後方のジープがシギルのそばで停まり、中から亜麻色の髪の中年男が跳び降りた。中年男はタートルダヴ基地の空軍所属、ロイス・ハーベイ伍長、四十五歳である。

 突然わきで停まり、ジープから降りて来た人物に、シギルは驚きと懐かしい喜びに、またたいた。

「ロイ?」

「まさか——まさか、こんなところで逢おうとは」

 ロイスの顔にも、シギルと同様の感情が表れた。だがロイスは、おおげさに声を上げたりしなかった。少年の胸のプレートに、自分の知る名が刻まれていなかったからだ。

 ロイス・ハーベイは、今でこそ軍隊で伍長などをやっているが、元GP創立者の一人である。もちろん軍に知られてはマズイ過去だ。さいわいGPメンバーである頃は「ロイ」という愛称でしか呼ばれておらず、顔もフルネームも公表されていなかったので、入隊することができた。

 彼が軍に入ったのは、GPに愛想をつかしたからにほかならない。否、GP設立当初、彼の胸にはもっと高尚な目的があったのだが、現GPの総統スカイフィールズが現れて以降、思うようにいかなくなったから反旗をひるがえした、というほうがより正しい。今では初期メンバーのほとんどがGPを抜け、散り散りになってしまっている。

「ロイ、元気だったんだね。うれしいよ」

 シギルはまだ幼い子供のように、ロイスを見つめて微笑んだ。その笑顔でロイスはすぐに、シギルの心にわだかまる不安や淋しさに気がついた。なにしろ赤ん坊の頃から知っている少年だ。ロイスとしては、我が子を見守るような心境だった。

「君のことが、ずっと気にかかっていた。ひとときも忘れたことはなかったよ」

 ロイスは言い、懐から名刺を出した。

「なにか困ったことがあったら、ここへ連絡してくれ。なんでも力になろう」

 渡された名刺にはメールアドレスと携帯番号が印刷されている。シギルは素直にうなずいた。

「ありがとう。ロイス……伍長? すごいな、伍長なんだ」

「別に、大層なことはしていないんだがな。今日だって単なる上官のおともだ」

 そう告げると同時くらいに、ジープの運転手から声がかかった。

「伍長、早く参りませんと」

「ああ、すまん」

 ロイスは軽くふり返って答えた。

「それじゃあ……シルバー? 私は二日こちらにいる予定だ。また逢おう」

「うん」

 頬を紅潮させ、心からうれしそうに返事をするシギルの顔に、ロイスは悲しみを隠した笑顔を返した。

(こんなに純粋な子がセフィラとは……かわいそうに。運命とは残酷なものだ)

 ロイスはジープに乗り込み、シギルに軽く手をふり、その場を去った。シギルも軽く手をふり返した。するとジープが巻き上げる土埃の向こう側から、サウスが歩いて来た。

「ロイス・ハーベイ伍長と知り合いか?」

 シギルはややギョッとして、軍人らしい敬礼をした。

「はい。小さい頃、よく面倒をみてもらっていました」

「へえ」

 顎をつまむサウスの顔を、シギルは眉をひそめて見つめた。ここ一年、見張られているとは感じていたものの、話しかけられるは初めてだったからだ。

 少し緊張ぎみのシギルに、サウスは優しく微笑みかけた。

「どうだ? 調子は。一ヶ月後には後輩が入ってくる。しっかりしないとな」

「はい。そうするつもりです」

「お、頼もしいな。おまえのように優秀な人間は、上官としても鼻が高い」

「ありがとうございます」

 シギルは堅苦しく会釈する。「どうも、かなり距離を置かれているような」とサウスは頭をかいた。

「あーそのー、なんだ、もうどこに就くか考えてあるのか?」

「一応。第一希望が陸で、次が海です」

 サウスは意外そうに目を丸めた。

「へえ? 筆頭に我が隊を選んでくれるとは、うれしいね。けど空は? 興味ないのか?」

 シギルは口を閉ざした。空にはファウストがいる、とは言えなかった。弟だと名乗り出られないことだけでも苦痛であるのに、そのうえ同じ隊で頻繁に姿を目にしなければならないなんて状況は、地獄としか言いようがない。

 そんなシギルの気持ちなど知る由もないサウスは、急に黙り込んでしまったシギルを、どう扱えばいいのか迷った。

「えーっと、なにか、気に障ったかな?」

 シギルはハッとし、うつむいた。

「いえ、別に。そろそろ休憩時間も終わりですので、失礼します」

 一礼し、踵を返して同僚の群れの中へと戻るその後ろ姿を、サウスは呆然と見送った。

「失礼します、か。まいったな。もしかして俺、嫌われた?」

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