02
「ねえ、お父さん。私、自分なりによく考えてみたの。聞いてくれる?」
自室にて療養中のマチルダは、暇を縫って会いに来た父フォレストに向かい、言った。
フォレストは娘からの突然な申し出に眉をひそめながらも、うなずいた。
「なんだね」
「私は一度死んだわ。本当なら、ここでこうしていることも、セフィラ戦を終えたあとの未来もないはずだった。でも生きてる。私は生まれ変わったんだわ」
生きていることの喜びを語る娘を見て、フォレストは我が事のように嬉しく思った。しかしマチルダは穏やかな表情から一変、厳しさを秘めた眼差しで父を見つめ返した。
「私のこの先の人生はもともとないも同然。同じないのなら、もっと自分らしく、一所懸命生きて行きたいの。だからお願いよ、理解を示して」
「理解……とは?」」
いぶかるフォレストの前で、マチルダは大きく深呼吸した。
「……あの暗い海の中、嵐で思うように方向も定まらない海の中で、彼は私を捜してくれた。危険をかえりみずに。それを聞いたとき、私、とても嬉しかったの。やっぱり彼を愛してる。ファウストを愛しているのよ」
思わぬ告白に、フォレストはどうしていいのか分からなかった。そしてやっと言えたのは、マチルダが待っている言葉ではなかった。
「あれはセフィラの兄だぞ。わかっているのか」
マチルダはフォレストを睨んだ。
「わかっているから言ってるんだわ!」
そう、わかっている。彼女も一度は偏見を抱いて離れたのだ。だからこそ、そんなことを言うフォレストが許せなかった。今のフォレストは少し前のマチルダだ。セフィラに対する先入観で凝り固まり、愛する者にさえ理解を示せない、心の狭かった彼女自身なのだ。
だがマチルダはそこから目覚めた。心を開き、ようやく陽の当たる世界へ一歩踏み出したのだ。その気持ちを、父であるフォレストと分かち合いたいのだった。
「せっかく生まれ変わったのだ。ファウストのことなどキッパリ忘れて、新しい人生を歩むほうが賢明だ」
なおもフォレストは説得するが、マチルダは耳を貸さなかった。
「無理よ。きっと彼以上に愛せる人を見つけられない」
「それは今だから思うことだ。時が経てば気持ちは薄くなる。あれ以上の男は必ず現れる。おまえはまだ若いんだし」
「そうね、お父さんの言うことは正しいかも知れない。でも正しいことだけが幸せなのかしら。自分の気持ちに嘘をついたこと、一生後悔しないかしら」
「マチルダ」
マチルダはフォレストの目を、まっすぐに見つめた。その表情は凛として美しい。
「お父さん、私は死んだのよ? 生きているのは奇跡だわ。もういない者と思って許して欲しいの。悔いのないように生きたい。彼となら、どんな逆境にあっても大丈夫。私は幸せだわ」
彼女の意志は固く、曲げられそうもない。フォレストは己のほうが間違っていないと思うのに、マチルダの言うことも正しいと思った。そう信じられるくらい、マチルダは輝いているのだ。
フォレストはがっくりとうなだれ、肩を落とした。マチルダにはその父が、少し小さく見えた。
「おまえの人生だ。好きにしなさい。母さんには私から話すよ」
マチルダは満面の笑みをたたえ、フォレストを抱きしめた。
「ありがとう、お父さん。大好きよ」
***
その日は早朝から鬼のように忙しかったが、ファウストの心は晴れて表情には生気が満ちていた。マチルダが戻って来たからだ。
自然と顔をほころばせるファウストを見たディモンズも、つられて微笑みながら「やれやれ」とため息ついた。
「やっぱり人間には愛と生き甲斐が必要なんだな」
すると、そばにいたケイト・ゴールデン大尉が何気に答えた。
「少将も探しませんか? 私で良かったらお手伝いしますけど」
「え!?」
「やだ! こっち見ないでください」
「お、すまん」
ディモンズは一度向けた顔を再び戻したが、そこからどうしたものか分からなかった。ケイトは小柄な女性だ。美人とか可愛いとかいうのではないがチャーミングだ。二十四歳と若くもある。三十四歳になるディモンズがどうするもこうするもないのだが、意味深な台詞に動揺した。
「手伝いと言うとあれか。見合いの相手でも紹介してくれるのか?」
「なんでそうなるんですか?」
「じゃあ……大尉が?」
「はい」
「俺は見ての通り冴えないオッサンだが」
「そんなことありません。とっても素敵です」
「そうかなあ。顔はぞっともしないし、頭もボサボサだ。たまには剃るが無精髭だってある。おまけに十も年上だ」
「私、ワイルドな人が好きなんです。顔も好みだし、十の違いくらい気にしません」
ディモンズはまっすぐに遠方を見据えたまま赤面した。そのとなりでケイトも頬を紅潮させ、うつむいた。
***
七月十日。セフィラ戦・第二幕が上がった。第三部隊は帰還していた空軍隊を伴って、第二部隊の待つスカルベニーへと発つ。
今回、第三部隊はユーリ・イースト少将、空軍隊はディモンズ・バーン少将が引率する。いよいよ本腰でGP制圧に向かうのだ。
「今度は少将と一緒なんですね。嬉しい」
とケイトは言った。ディモンズは照れくさそうに頭をかいた。
「遊園地じゃないのが残念だが」
「恋人同士で戦場に向かうっていうのもロマンチックですよ」
「ケイト……」
ディモンズは優しく彼女の肩を抱き寄せると、口づけした。
翌々日、連隊はスカルベニーへと無事到着し、第二部隊と合流した。ユーリはタイラーと近況の報告をし合う。同じようにディモンズもメイレンと報告を交わした。
「グラウコスでの戦闘結果は伺っておりましたが——」
メイレンは、死んだ人間が生き返ったという話を聞いて顔面を蒼白させ、動揺をあらわにした。
ディモンズは苦笑した。
「今では生き返ったという事実より、死んでいたというのが信じられないくらいだ。基地の連中は意外と冷静に受け止めている。おまえも冷静に対処しろ」
「そう言われても」というのがメイレンの正直な気持ちだったが、彼はゆっくりと敬礼した。
その晩、兵士らは充分な休息をとった。翌日から再会する戦闘に備えるためだ。食事もいつもより豪華である。その豪華な食事を囲んで、注目を集めた一組の男女がいた。ディモンズとケイトである。
「少将、はい、あーん」
「あーん」
それを見て、タイラーとメイレンは顎を外しかけた。
「なんだあれ」
「俺が聞きたい」
すると、横に並んで座っていたユーリが発言した。ユーリは四十五歳の妻帯者で白金の髪を七三に分けている。制服にも身のこなしにも乱れがなく、中身も外見もエリート意識一色な男だ。だが嫌みではない。喋り方が落ち着いていて、後輩の面倒見もいい。
「あの二人は電撃的に恋に落ちたのだよ」
なんでもないことのように淡々と言う。そんなユーリらしい説明を聞いたタイラーは、片手で顔半分を覆いつつもディモンズとケイトを凝視した。見ている者のほうが恥ずかしくなるくらい仲が良い。溜め息と歯ぎしりが入り交じるような光景だ。
「世の中、何がどうなるか分からないですね」
「まったくな」
「かーっ! 羨ましい! 俺も彼女欲しい!」
タイラーが叫ぶと、またユーリが答えた。
「メイレンに紹介してもらったらどうだ?」
「え!?」
メイレンとタイラーは同時に声を上げた。その後あわてたのは、むろんメイレンである。
「な、なんで自分が?」
「ルーシーはまだフリーだろ?」
「いっ、ダ、ダメです! あれはダメです!」
断固拒否するメイレンに、タイラーは眉を吊り上げて迫った。
「なんだよ! 誰だよ、それ」
メイレンは言うものかとばかり、口を真一文字に結んだ。仕方ないので、タイラーはユーリに向いた。
「少将、教えてください」
「メイレンの姉だ。知らないのか? 管制塔員だ」
タイラーは急に脱力した。
「あ、姉? え、何、おまえのキョウダイ、お姉さんなのか」
「……ああ」
嫌そうに返答するメイレンとは対照的に、ユーリはにやにやしながら言った。
「ルーシー・サーヴァル・メイレンといえば、管制塔員の間じゃマドンナ的存在だ。知らなかったなんて不幸だな」
それを聞いたタイラーは目を丸めた。
「マ、マドンナ!? 美人なんですか?」
「エキゾチックな感じの美女だ。そういうの好きだろ」
「大好きです!」
「やめろよ。人の姉貴つかまえて、そんな話」
「ダメだね。黙ってた罰として、帰還したら紹介しろ」
「いやだ」
「どうして」
「万が一うまくいったりして、おまえが義理の兄貴になったりしたら最悪だから」
タイラーは顔を引きつらせながら笑った。
「……かわいくない弟だな」
こうして、兵士らの夜は更けていったのだった。