06
三月の終わり、四月の初め。
ファウストとシギルは緊張を高めていた。ロイスは三月二十五日付でグラウコスに移籍をすませ、月が変わる前には引っ越しも含めすべての準備を整えた。そして迎える、新入隊員の配属先および人事異動発表の日。
電光掲示板前は多くの者の動揺と混乱で騒動していた。
昨年を上回る変動、加えてその異常さは目にあまる。大きな波紋を呼ぶことは必然と言えた。
陸軍はサウス・ウィビーンが准将へ昇格するのにともなって、以下、下級軍曹までの士官が一級ずつ昇格し、海軍もマチルダ・マイセンの少佐昇格に準じて、以下、下級軍曹までの士官が一級ずつの昇格を果たした。
そして空軍はハリス・コート准将が退職した後釜にファウスト・ロスレインが起用され、ルーヴ・サーヴァル・メイレンとクリント・マーシャルが一級昇格。空席となった少佐の地位に伍長であったシルバー・クラウズ・ラインビルが任命され、伍長の穴はタートルダヴから引き抜かれたロイス・ハーベイが埋めるというものだ。
もちろん際立って異様なのはシルバーの出世だが、あまり前例のない全体の異動や他軍からの引き抜きは、誰がどう考えても怪しい。ブレッドのもとには説明を求める者が詰めかけた。その顔ぶれは錚々たるものだ。
陸からはマイケル・ショーカー大将、サウス・ウィビーン(新)准将が。海からはフォレスト・マイセン大将、ジョージ・ヴェルマン大佐、マチルダ・マイセン(新)少佐が。空からはケント・ウェールズ大将、ディモンズ・バーン少将、ルーヴ・サーヴァル・メイレン(新)大佐が——しかし、みなが言いたいことを言い合っても収拾がつかないだろうということで、サウスが代表に立つ。この中で一番ブレッドと親しくしているという理由と、いざ将軍を目の前にすると結局みな足がすくんでしまう、という理由からだ。
「今度こそ納得いく説明をお願いしますよ。去年のようにはいきませんから」
今回は一人でない強みからか、サウスは堂々とした口調で言った。ブレッドはわずかに眉を吊り上げ、さすがに立ち上がって返答した。
「やれやれ、予想はしていたが。たまには俺が驚くような行動を起こせないものかな」
サウスは頬を引きつらせて笑った。
「すみませんねえ、ワンパターンで。さあ答えてください。シルバーが優秀なのは認めます。昨年はそれなりに功績も残しました。人柄も申し分ない。大目に見て伍長なのは了承いたしましょう。しかし実戦での経験がない少年をいきなり少佐に据えるなんてありえません。ロイス・ハーベイの引き抜きも疑問です。それほど優秀とは思えないし、引き抜くにしては年も行き過ぎています」
「俺の人事に不服を申し立てるとは、おまえ達もずいぶん偉くなったものだな」
「我々だって疑問があれば問いただすことくらい致します」
「明日は佐官級以上の会議があるだろう。説明はその時にする」
「できれば今お伺いしたいのですが」
「ここで説明できるほど答えは単純ではない。会議で話す内容と被るのであれば尚更だ。わざわざその時間を割いているのに、今それを説明するのは時間のムダだと思わないのか。俺は二度も同じことは言わない。仕事へ戻れ。今日すべきことは今日やり遂げ、明日やるべきことは明日にしろ」
結局のところサウスらはブレッドの言うことに従って明日の説明に期待することにした。
「あの顔で正論言われると腹立つな。黙ってニッコリ笑ってりゃサイコーなのに」
などとサウスはボヤいたが、ディモンズがすかさず突っ込みを入れた。
「将軍が顔だけの男だったら困るのは俺たちだ」
***
一夜明け、問題の会議は午前八時より開始された。
「まずは一人も欠席者を出すことなく会議が開かれることに感謝しよう」
開口一番、ブレッドは言った。出席者は顔を見合ってうなずいた。
みな何食わぬ顔をしているが、昨日の騒ぎ以降、ブレッドへの不審を口にする者もなくはない。しかし見限るかどうかを判断するには材料が乏しく、「とにかく会議を迎えて真意を明らかにせねば身動きがとれぬ」といった体で出席しているのが現状だ。
そこで陸軍大将マイケル・ショーカーが述べた。
「まずは人事の疑問点からご説明くださるのでしょうな」
五十を回って年季の入った口調であるが、彼の胸中は緊張で汗だくだった。ブレッドがここに至るまでの一部始終を知る一人だからだ。ベストラが支配していた時代を軍人として生きた者だからこそ、ブレッドの偉大さは理解を越えて本能で分かっているのだ。
ブレッドはショーカーを見て軽くうなずいた。
「希望に応えてそうしたいところだが、先にゲストを加えたい」
「ゲスト?」
「ロイス・ハーベイ、入室しろ」
ブレッドに指示されたロイスは会議室に隣接する休憩室の自動ドアから入室し、近くの空席に腰かけた。
「もう承知のことだろうが、グラウコスの空軍伍長に就任したロイス・ハーベイだ。今回は特別に出席してもらうことにした」
一同は眉をひそめた。だが人事の焦点の一人である以上「出席は必然」と理解した。
「ここに佐官級以上の、我が軍内でも非常に優秀な諸君らと新たなゲストを迎えて役者はそろった。改めて本会議開始だ」
ブレッドの言葉に全員背筋を伸ばした。
「まずはショーカーの質問に答えよう。今回の人事が意図するのはGPおよび政府に対する宣戦布告だ。本会議は〝セフィラ戦〟に関する第一回目の最も大切な話し合いだと認識してもらいたい」
会議室はざわめいた。
「セフィラ戦ですと?」
ショーカーが驚きをあらわに問うと、ブレッドはニコリと笑った。
「なにを驚いている。俺たちが軍人であるかぎり、いつか迎える戦だと覚悟はしていただろう?」
「し、しかし、こんなに早く」
「時期が早まったのには訳がある。単刀直入に言おう。セフィラは我が軍にある。迎え撃つ側でなく死守する側に立ったのだ」
一同は目を見開いて絶句した。驚きのあまり立ち上がった者もいる。サウスも額に汗してブレッドを凝視した。
「いつのまに捕獲したんです?」
ブレッドはサウスを軽く睨んだ。
「〝保護〟したんだ。セフィラは人格者であり、平和主義者であり、理不尽な方法によって不当に拉致され、本人の意思とは関係なくGPに拘束されていた被害者だ。俺はグラウコスの将軍として、また一個人として彼を犯罪組織から守り、人権を守りたいと考えている」
サウスは慎重な面持ちで念を押した。
「それ、間違いないんですか」
「間違いはないさ」
ブレッドは言って立ち上がった。
「紹介しよう」
一同はぎょっとして身構え、緊迫した空気を作り出した。ブレッドは軽く左手を上げた。
「立て」
シギルが少し間を置いて静かに立った。あまりにも意外な展開に、みな驚くことも忘れて呆然とし、ときおり強くまばたいた。
「今回の人事のキーパーソンとなっているのは言わずと知れたことだろう。前述したようにセフィラは保護対象だが、特別に扱うつもりはない。少なくとも士官としては対等の者とする。今回の昇格については立場として必要を感じた上でのものだ。ここまでで質問は?」
いっとき沈黙が続いた。「シルバー・クラウズ・ラインビルがセフィラ」という驚愕の事実を個々は脳と心で必死に呑み込もうとした。こういう時みだりに騒いだり喚いたり取り乱したりしないあたりが、グラウコス軍で上級士官をやっている者の肝の太さだ。
やがてケント・ウェールズ空軍大将が険しい表情で挙手した。声はかすかに震えている。
「どういうことですか。総帥は彼が入隊した当初かそれ以前にご存知で?」
「まさか。知っていたら試験や訓練は無用だっただろう。俺が知ったのはつい五カ月ほど前だ」
五カ月ほど前と聞いて、サウスが一人ピンと来た。確かディストールで事故があった時じゃないか、と。
(そういえば、あの時ファウストが付き添った。そして翌日いったん基地に戻っている。なんの理由で戻ったのか分からなかったし聞こうともしなかったけど、それが理由だったと考えられないか? ということはファウストも将軍と同じ頃からシルバーがセフィラだって知っていたことになる)
サウスは五メートルほど離れた向かい席のファウストの顔をうかがって、膝の上で拳を握った。
(なんでだ。どうして俺に相談しない。俺の気持ちを知っていて黙ってるなんて……将軍に口止めされていたとしても、そんなのないぜ)
サウスが密かにショックを受けているあいだも、ウェールズの質問は続いた。
「では、このたびのご決断を下された理由をお聞かせ下さい」
「この二年、彼はどうだった」
「は?」
「信頼のおける仲間じゃなかったか。頼りになる士官じゃなかったか。優しいだけが取り柄のただの少年だったこともあるだろう。その中で少しでも殺気や脅威があったのか、思い出してみるといい」
みなは口を閉ざして互いの顔を見合った。反論できる者はいない。それどころかセフィラに対して否定的な自分を恥じている様子である。
黙って成り行きを見守っていたロイスは手に汗握った。
(さすがだ。伊達に人の上に立ってはいない。人の心を掌握するのはお手のものというわけか)
ここでレイク・ワーカー・シモンズ空軍中将が挙手した。年は五十九。ブレッドの入隊当時から実績を積んできた男である。
「確かにラインビルは申し分ありません。彼がセフィラだというなら少なくとも人に害はなさないものと信じることができましょう」
シモンズの意見にはショーカーも賛同した。
「同感ですな。なにより将軍が受け入れるというなら問題はない」
すると、すぐにフォレスト・マイセンが異を唱えた。
「この二年がそうだったからといって、そういう結論を導くのは性急すぎる。入隊の事実を将軍にも悟られなかったのだぞ。スパイ活動が目的なのかも知れん」
「それはない」
ブレッドはフォレストの意見をバッサリと切り捨てた。フォレストは思わずブレッドに噛みついた。
「確証がおありですか」
彼とてブレッドがどういう少年だったか知らないわけではないので、畏怖する部分は持っている。だがショーカーやシモンズほど詳細を把握していない分、意見をぶつけるのは比較的いける方だった。脇でショーカーやシモンズが身を縮める一方で、ブレッドは答弁した。
「ラインビルの入隊試験の手続きはラウ・コード博士がし、爆破事件を装って彼を逃がした。その行為はスカイフィールズに対する抵抗であったと受け取れる。それが証拠にラウ・コードはスカイフィールズとジアノスの繋がりに関する決定的な証拠をロイス・ハーベイに託した」
みなは、いっせいにロイスを見た。ロイスはわずかに怯んで額に汗した。
「ロイス・ハーベイはGP創立者の一人だ。愛称はロイ。真面目に研究していたようだが、スカイフィールズ登場以降GPを脱退。そののちタートルダヴへ入隊。あとはみな知っての通りだ。ロイスは今回の戦闘にあたって、ジアノスとスカイフィールズの陰謀にまつわる重要な証拠を提出してくれた。これから先もGPの内情について多少の知識を与えてくれるものと期待している」
フォレストは再び挙手した。
「それがスパイでないという証拠になりますか」
「スパイをするなら、セフィラであることを明かすリスクは絶対避けるべきじゃないか? ロイスにしてもそうだ。もしこの告発が作戦の一環だとしたらナンセンスだ」
ブレッドはフォレストに投げかけつつ、ロイスを見つめた。
「俺には分かっている。その男には少年に対する償いが必要なのだ。彼の良心が、少年のためにスカイフィールズと戦わねばならないと言っている。だからこそ俺に協力を求めてきたのだろう。といっても全面的に信用してもらえてはいないようだが」
ロイスはギョッとして硬直した。まったくその通りだったからだ。
GPを抜け出す時どうして一緒に逃げなかったのか、なぜ救えなかったのか、ずっと後悔に苦しんできた。やっと挽回できるチャンスが到来したものの、ブレッドに協力を求めるとなると積極的にはなれない。
ロイスのそうした心の葛藤をブレッドは、ほとんど初対面であるにもかかわらず正確に見抜いていたのだ。
そんな中、フォレストがまたしても挙手した。
「そうだとして、今はそうだとして、後で裏切らないと断言できますか」
「俺とは充分に話し合っている。また潜伏先にグラウコスを選んだのは俺がいたせいばかりではないようだ。ファウストのことを思えば裏切りなどありえないだろう」
急にファウストの名が浮上したので、フォレストはもちろん、周囲も不思議そうにファウストへ視線を投げた。
「なんでファウスト?」
と問うたのはサウスだ。ブレッドはそれに表情ひとつ変えずに答えた。
「シルバー・クラウズ・ラインビルとは偽名で、当然IDの内容もデタラメだ。本名はシギル・ロスレイン——ファウストの弟だ」