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ロスト・フィラデルフィア  作者: 礎衣 織姫
第二章 シーランの兄弟
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04

 一三七二年一月末。

 テロリストによる襲撃事件の興奮もまだ冷めやらぬ街の中をひとり、幼いファウストはシギルを捜して歩いていた。事件の規模を物語るように、いまだ横を慌ただしく駆け抜けていく人、無残に崩れ去った我が家を呆然と見つめる人、消火活動に追われる消防士、怪我人を担ぎ出す救急隊。数えきれないほどの人間が右往左往していた。日が落ちて薄暗いあたりは、まるで悪夢のように冷たく、人々の動揺を混乱に変えつつたたずんでいる。

「生後二ヶ月くらいの赤ちゃんを抱いている人を見ませんでしたか? どこかの病院でも施設でも、見かけたら教えてください」

 病院も施設もすでに調べ尽くしたというのに、なおも同じ台詞を繰り返しながら棒のようになった足を引きずって歩く。生きた心地などない。ファウストは、このまま自分こそ道端で果てるのではないかと思えるほど、身も心も疲れてしまっていた。

(あの時すぐに受け取っていれば良かったんだ。僕がシギルを病院に連れていけばそれですんだのに、どうして)

 挫折しかけて両膝に手をつきうなだれたファウストは、首を強くふった。

(まだ事件が起こったばかりだから、行方不明になっているだけだ。大丈夫。すぐに見つかる。二〜三日も経てば、きっと僕のところに連絡が来る)

 そこへ一人の少年が声をかけた。

「おい、親はどうした」

 ファウストはドキッとして顔を上げた。少年は十二〜三歳くらいの兵士だ。黒い髪に黒い瞳。深緑の制服を着ている。襟には四つも記章がついていて、胸のネームプレートが臨時灯の明かりを反射して光っていた。

 ファウストが軍人を見るのは、それが初めてだった。おまけにハッとするほど美しく、子供心にも見とれてしまった。神か天使でも舞い降りたのかと錯覚するほどだ。だが少年は現実で確かに軍人のようだと気づくと、緊張に固まった。

 少年兵士は優しく微笑んだ。

「俺はグラウコス基地の陸海空、すべてに属する上等兵だ。ここへは救援活動に来ている——と言っても、むずかしいか? 名前はブレッド・カーマル。十二歳。同じ子供だ。リラックスしろ」

「……僕はファウスト・ロスレイン。弟を捜してるんだけど、見つからないんだ」

「お父さんとお母さんは?」

「死んだ。弟は消防士が助けてくれたけど、そのあと病院に運ばれてから分からないんだ」

「弟はいくつだ」

「まだ生まれたばっかりだよ。二ヶ月」

「そうか。それは心配だな。じゃあ軍にも働きかけて捜してみよう。おまえはとにかく、ここをウロウロしていても危ないだけだ。こっちへ来い」

 先導されるまま、ファウストは軍が緊急に設けた中継基地へと足を踏み入れた。似たような境遇におちいったらしい子供達が集められている。みな不安に脅えているのか、与えられた毛布にくるまって、上目づかいにホットミルクをすすっていた。夏も終わりに近い季節。夜になると肌寒い。弟を捜すのに夢中だったファウストは今やっと冷気に気づいて、少し身震いした。

「寒いか? 待っていろ。すぐに毛布を用意してやる——シモンズ中尉! 支給用の毛布を一枚くれないか」

 ブレッドは軍用車両の中に向かって声をかけた。中からは金髪の中年男が毛布を持って現れた。やや太めのガッチリした体型。いかにも軍人らしい厳つい顔立ちだ。

「閣下、もうグラウコスの保護施設は定員を大幅に越えているのですぞ」

 軽く注意をうながしながらブレッドに毛布を渡す。ブレッドはそれを素知らぬ顔で受け答えた。

「たりないのなら造れ。仮設でもなんでもいいんだ」

「そうはおっしゃられても、予算というものが」

「シモンズ、貴様らのようないい大人がそんな腑抜けたことを言っているから、治安はいつまでたっても良くならないんだぞ」

「閣下、私だってできるかぎりのことはやりたいと思っております。しかし」

「思うだけなら誰でもできる。おまえが実行できないでいるのは、自分のベッドを守りたいからだ。誰が外で凍えていようと自分だけは暖かい家の中に入っていたい——そうだろう? 懐が痛むのはそんなに嫌か。資金がないのなら調達しろ。俺の給料をなくしてもいい。おまえはボーナスをいくらもらっていたかな? 半分でもいいから寄付してみたらどうなんだ」

 ブレッドは何事にも容赦ない。シモンズ中尉は脂汗をかいて黙りこくった。「しょうがないな」というように肩でため息ついたブレッドは、さりげなく毛布をファウストに差し出した。

「さあ、これを。ミルクはあっちで配給してある。もらうといい。一緒に行ってやろう」

 そして去り際、シモンズ中尉をふり返った。

「言い忘れていたが、公ではまだ上等兵なんだ。〝閣下〟なんて呼ぶのはやめろ」


***


 ファウストも今考えればわかることだが、陸海空、すべての記章をつけている上等兵などない。たとえ士官でもいないだろう。ブレッド・カーマルは異例の男で、グラウコス基地の次期将軍だったから身につけていたのだ。

(グラスゲート・チルドレンの王、なんて渾名があったな、元帥は)

 ファウストはぼんやりと、ヘリの窓から眼下に広がる夜景を眺め、また追憶にふけった。


***


 施設での生活は不思議と平穏だった。その頃はテロ活動の絶頂期で、どこもかしこも一触即発の危機にさらされていたが、施設だけは忘れ去られた無人島のように静かだった。週に一度はブレッドが様子をうかがいに来ていたからだろう。

「彼の目が届く場所は世界で最も安全な場所なのよ」

 と、施設に勤める女性が話していたのをファウストは覚えている。

「彼は、グラスゲート・チルドレンの王様なの」

 自慢げに語る彼女。十七か八の年頃だったが、幼い少女のように瞳を輝かせていた。彼女にとってブレッドは白馬の王子様だったのだ。

「グラスゲート・チルドレンって、なに?」

「あー、君の歳じゃ知らないか。あのね、歴史的に有名、になるはずよ。まだ歴史というほど古くないから、そう言わないだけ。とにかく有名な話よ」

 そう言って彼女が語り始めたのは五歳のファウストには難しい話だったが、語り口調や表情から、それがいかに地獄だったかということは読み取れた。


 グラスゲートは、奈落の底と表現してもいいほど無秩序な街であった。ゆえに当時の〝グラスゲート・チルドレン〟といえば、社会的に蔑まされる対象だった。

 荒みきった街——強盗や暴行事件は日常茶飯事。道端には孤児があふれている。事件や事故で両親を失って身寄りのない子供や、ろくでもない親のもとに生まれた子供。そういう子供が自然に集まっているのだ。

 彼らを保護するものはない。タダで住処や食事を与えてくれるような大人もいない。それらを得ようとするなら、身体を売るしかすべがない街。それがどんなに地獄であるかは説明するまでもない。

 にもかかわらず軍も政府も誰も手を差し伸べなかったのは、当時そこを支配していたベストラ・ファミリーを恐れていたからだ。

 ベストラ・ファミリーとは、麻薬密売や売春婦の斡旋などで収益を得ている巨大なマフィアである。彼らはあろう事か政府や軍と同格か、それ以上の力を持っていた。まさに巨大にして強大な組織だったのだ。

 暴力による支配。金による権力の買収。世界を浸食し続けていたファミリーは、もはや向かうところ敵なしだった。

 救いはない。底知れぬ闇社会の力に誰もが口をつぐみ、上目遣いにご機嫌を取り、のさばらせていたのである。

 だが救世主が現れた。それこそが現在、軍の最高峰に立ち、指揮をふるっているブレッド・カーマルその人だ。

 齢十一。彼はグラスゲートの子供らを集めて組織を結成し、瞬く間にベストラ・ファミリーを一網打尽——完膚なきまでに叩きのめした。

 突如として現れたたった一人の子供に、世界を牛耳る組織が潰されたのだ。ニュースは世界を駆け巡った。だがブレッドの詳細が紙面に綴られることはなかった。彼によって報道規制されたためだと言われているが、定かではない。


 彼女の話を聞いてから五日後、ファウストは街の図書館に連れて行ってもらい、当時の新聞記事を探して読んだ。グラスゲートの様子がどうだったとか、名前こそ伏せられていたが、ブレッドの活躍のすばらしさを前面に押し出した記事が目に入った。この時、絵本などではなく新聞を読み始めたファウストを見て、彼女は目を丸めた。

「新聞が読めるの?」

 ファウストはバカにされたと思って少しむくれた。

「読めるよ、もう五歳だもん」

「普通は、まだ読めないんだけどな」

 彼女はポソリとつぶやいたが、ファウストの耳には届かなかった。


 それから一週間後。ブレッドがいつものように孤児院を訪ねて来たかと思うと、ファウストを呼び出して急に謝った。

「力になれなくて申し訳ない」

 深々と頭を下げるブレッド。ファウストは弟の件だということを直感的に悟った。

「病院も施設もくまなく捜してみたが、さっぱりだ。いったい、なにがどこでどうなっているのか皆目、見当がつかない。自我の芽生えている年頃なら、もっと別の角度から捜せるんだが、生後二ヶ月では」

「し、死んだかどうかも、わからないんですか?」

 ファウストは唇を震わせながら声を押し出した。ブレッドは暗い表情で一回だけ首を横にふった。彼ほどの人でも、どうしようもないことがあるのだ。ファウストは絶望して泣いた。唇をかみ、声を殺して静かに泣く。

 ブレッドは言葉をなくした。五歳という幼さに似合わない泣き方に驚いたのだ。

「声を上げて泣いていいんだぞ。なにもできない俺を責めてもいい」

 やっと言うと、ファウストがキッと顔を上げた。その強い眼差しにブレッドは目を見張った。

「弟を諦めるつもりはない。僕はシーランだ。あなたに見つけられないからといって諦めたら——生きてなんかいられない。死んだことがハッキリしないうちは絶対に、僕の中で生きていなくちゃならないんだ。絶対に」

 ブレッドはそっとファウストの肩に手をのせた。

「新聞が読めるそうだな。ビアンカに聞いた。頭はいいのかも知れない。軍隊に入るか」

 突然でファウストは放心した。だが、

「軍人は世界中を駆けまわる。おまえの信念が本物なら、いつか弟にも巡り逢えるだろう」

 と付け加えられた言葉が希望となって、心が決まった。毅然としてうなずくファウストに、ブレッドが微笑みかける。

「入隊試験を受けられるのは十四歳からだ。待ってるぞ」

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