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時は第二地球惑星暦一三五四年。人類が生まれた地球を捨て、太陽系を越えてから十四世紀半が過ぎた。思い返せば、「第二の太陽系」と呼ぶにふさわしい銀河の、この惑星とめぐり会えたことは奇跡と言うしかない。
それはまさに「地球の終わり」という時だった。要因は昔のSF小説や映画にあるような、人間によってもたらされた悲劇や隕石の衝突ではない。星の寿命という物質世界の定めにしたがった超自然現象だ。
なんにしても、そこで生きる者たちにとっては一大事。結果が同じなら原因など関係ない。人々は一縷の望みを託し、全世界協賛のもと開発した探査機を打ち上げたのである。
銀河探査機は見事に発見してくれた。まるで神によって用意されたかのような惑星を。豊かとまではいかないが動植物が生息し、人が住むのに充分な環境があり、なにより知的生命体の存在がない星。つまり何者とも交渉せずに堂々と入植できる土地だ。
ゆいいつ問題となったのは国土である。すべての国が協力して成し得た危機からの脱出であったのだから、土地の分配が不公平であっては困る。各国は長い話し合いの末、思い切った決断を下した。
「我々はみな地球人である。よってこれをひとつの区切りとし、国という概念を捨て去ることを決意する」
誰もが心にいだいていた理想とする形が誕生した。つまり国境が消えたのだ。人類は新たな自由を手に入れた。住処、言語、食料、物資、金、資源……すべてがすべての民の物であり、その恩恵は平等となった。
現在の組織形態の基礎もこの頃ほぼ完成されている。行政機関、軍事機関、法廷機関、警察機関、宗教機関、教育機関、医療機関といった主要部分だ。全機関は独立・分権されており、特に強い権力を保有している行政と軍を除いては、五機関とも同等に権威を持っている。
こうして新しい地球に歴史と呼べるものを刻んで久しくなりだした頃。
人類は史上稀に見る急速な進化を遂げた。といっても外見的な変化はほとんど見られない、だが飛躍的な進化だ。
第一段階の進化では、奇形をともなう遺伝子上のトラブルが皆無になった。
第二段階では、視覚・聴覚の障害を持って生まれる子がいなくなった。
第三段階では、ガン細胞を発症する確率が格段に下がった。
つまり遺伝子が正常化、安定化、そして強化されていったのだ。それは人類が想像していなかった願ってもない副産物だった。
段階系の型が固定してくると、各人種の大別がなされるようになった。母なる地球より渡って来た従来型の人間をアースリング。一世紀なかばに現れた第一段階系の人間をネオ・ゲノム。六世紀後半からの第二段階系をアドサピリア。そして十世紀初頭に誕生した第三段階系となる人間をシーランと定めた。
しかし同年、アースリング最後の生き残りであるレイモンド・オクラが永眠したことによって、ひとつの大きな時代が完全に幕を閉じた。オクラは享年百三歳だった。
また、新しい地球での暮らしは良いことばかりではなかったし、いつまでも平穏ではなかった。国境こそなくなったが、新人種が多様化してくると小競り合いや衝突はさけられないものとなり、人類はアースリングが築いた初心を忘れ、理想郷を踏みにじり、再び戦闘や紛争を各地で起こした。ある時は強大なマフィアが世界を牛耳り、ある時はテロリズムによる破壊活動が頻繁におこなわれ、ある時は政治家による汚職事件が世相を乱した。
一三五二年。ベストラ・スエム率いるマフィア集団が結成される。北大陸西南部の海岸沿いにあるキングフィッシャーズ・レイクを拠点に拡大を続け、麻薬、ギャンブル、売春、恐喝、詐欺、人身売買などの、ありとあらゆる悪行を基本財源とし、やがては油田や鉱山から出る収益や各企業団体の利益、最終的には税収まで懐に納めるほどの圧力と勢力を獲得した。
一三五四年。第三段階進化系「シーラン」に対する医学研究において、テレキネシス能力を司る遺伝子「セフィラ」が発見される。発見者は生物学博士ラウ・コード。
一三五五年。ラウ・コードの発見に触発された数名の若い研究員による、セフィラ研究所ガゲード・パラディオン(通称GP)設立。
一三六〇年。正規研究所であったはずのGPが突如テロ組織へと変貌。時同じくしてラウ・コード博士が行方不明となる。
一三七〇年。ベストラによって長く無法地帯であったグラスゲートに、孤児である子供たちだけの組織が立ち上がり、驚くべき快進撃でベストラ・ファミリーを撲滅。リーダーは弱冠十一歳の少年だったというが詳細は語られていない。
一三七二年。ベストラ・ファミリー壊滅の影響を受け、それまで息をひそめていたテロ集団が活発化。中でもGPは最も巨大化した。
一三七四年。消息を断っていたラウ・コード博士がGPの専属学者として再び世に現れた。セフィラ覚醒実験の成功論文を作成、発表。ただし被験者の顔や氏名、年齢、その他の詳細などは公表せず。現在も一個体であるこのシーランはGPの手中に置かれているものと思われる。論文に示されたセフィラの能力値とその可能性は底知れず、それはラウ・コードの名を高めると同時にGPの脅威を増幅させた。
政府はテロ対策として軍事拡大支援を余儀なくされ、毎年、税の三分の一を軍資金として民衆から吸い上げている————
***
乱れた灰白髪と年輪を刻んだ顔は、騒々しく唸る警報と炎に照らされていた。両眼には光が、ささやく声には力が込められた。その男、ラウ・コード博士は今、七十を過ぎたとは思えない気迫で十五歳の少年と向き合っている。
「いいね、シギル。ここを出たらすぐに南大陸へ飛びなさい」
そう言い、少年の手にプラスチックカードを握らせた。
「これは、おまえのIDカードだ」
少年がカードを覗き込むと、青銀色の髪と碧色の目をした無表情な自分の顔写真が見えた。横には知らない名前が印刷されている。
「シルバー・クラウズ・ラインビル?」
呟くと、博士は一度だけ深くうなずいた。
「今日からおまえの名前だ。それを持ってグラウコス軍事基地へ行き、入隊試験を受けなさい」
すると少年は、少し皮肉気に口の端を上げて笑った。
「スパイでもさせようっていうの?」
博士はかぶりをふった。
「軍に身を隠していれば、とりあえずは安心ということだ」
少年は眉間を曇らせた。
「笑っちゃうね。今日の敵は明日の友?」
互いに、にがい顔で視線を交わす。
ここは北大陸サマイト森林地帯の奥深くに建立された、巨大テロ組織ガゲード・パラディオンの研究所内である。
少年は博士の手で「セフィラ」と呼ばれる生きた破壊兵器となった、史上初の覚醒したシーランであり、まだ唯一の存在だ。つまり二人にとって軍は最大の敵であるはずだった。
軍とGPとの抗争は十年あまりと比較的浅いが、軋轢は深い。軍の最高位に立つ男がマフィアとテロリズムを撲滅しようという志のもとに生きているせいもあるが、セフィラの登場によってさらに警戒が強まったためでもある。ここへきて彼らが軍に救いを求めようというのは滑稽な話だ。
しかしもはや研究所は崩壊寸前。少年の脱出を図るため博士が中心部を爆破したのだ。
「ここは何者かによって襲撃された。そしておまえは襲撃による爆発事故で死んだのだ。いいね?」
と博士は念をおす。そんな嘘がどこまで通用するのかわからないが、博士はこの少年をただ自由にするために必死だった。
研究費用欲しさにGPに与したことや、名声に目がくらみ、どこからか拉致された少年の未来をゆがめてしまったことを、後悔していたのである。特にGP総統スカイフィールズについては、悔やんでも悔やみきれない思いだった。
出会った頃のスカイフィールズは五十代前半の中肉で小柄な、野心に満ちた顔つきの男だった。すでにセフィラによって世界を恐怖におとしいれ、殺戮と破壊を夢見ている狂人だった。博士はそれを薄々感づいていながらも、みずから彼の世界に身を投じてしまったのである。研究さえ成功すればなんとかなると……しかし過ちは過ちでしかなかったのだ。
博士は少年をみつめ、肩を抱き寄せた。
「本当にすまないことをした。償いは必ずする。グラウコス基地に着いたらファウスト・ロスレイン大佐をたずねなさい」
「……?」
どうして、と少年は言いかけた。
ファウスト・ロスレインといえば空軍に属し、空中戦において右に出る者はいないと噂の人物だ。『グラウコスの鷹』と称され恐れられている。GPにとっては最要注意人物の一人だ。
ところが博士の口からは思わぬ言葉が出た。
「おまえのセカンドネームはロスレイン。彼はおまえの実の兄だよ、シギル」
少年は衝撃に目を見開いた。
「——兄さん?」
「そうだ。ずっと消息がつかめないでいたが、おまえが拉致されたテロ事件のあと軍に保護されていたことがわかってね。その後、彼は君を捜すため軍人になる道を選んだのだ。行方不明者を捜すには良い環境だからね」
「もう連絡を?」
「いや。偽造IDを作るのと受験手続きをするのが精一杯だった」
「じゃあ、まだ俺のことは知らないんだ」
「ああ」
ため息をついて、少年は首を大きく横にふった。
「だったら尋ねない」
「な、なんだと? いったいどうして。せっかく兄弟の再会を果たそうというのに」
「どんなに生まれ変わろうと努力をしても、たとえ一生黙秘して過ごせたとしても、俺がセフィラだという事実は消えない。弟とだけ打ち明けて万事うまくいくなんて考えられないよ。相手は空軍大佐だ。GPの上層だって目を光らせている。それに博士が俺の兄さんを知っているということは、スカイフィールズだって……。もしかしたら軍に利用されないともかぎらない。セフィラだということを隠して生きるなら、兄弟だってことも隠しておくべきだ」
博士は哀しげに眉をゆがめた。
「今はそうだ。セフィラだと公表するには時期尚早だ。できうるかぎり隠しておくのがベストだと思う。しかし私は、もし正体が明るみに出ても周りの組織に甘えていいのではないかと思っているのだよ。セフィラはこの世の脅威でも、おまえ自身は脅威ではない。そのことはきっと心正しい者がよく理解してくれるはずだ。時間をかければ、より多くの者がわかってくれるようになるだろう。私がおまえをグラウコスに送ると決めたのには、その想いもあるからなのだ。だが、おまえの望みは別のところにあるようだな」
少年は黙った。
「シーラン特有の血だな」
と博士は言った。
シーランは、最も兄弟愛の深い種として知られているからだ。同じ両親を持つ者同士でしか血液型が一致しないという特徴を持つため、医療の点から見ても大切な存在である。彼ら自身は「人間愛なのか単なる自己防衛なのかわからないが、とにかく兄弟姉妹への想いは魂を分かつほどのものだ」とも言う。
それを博士は密かに、世界から人類が淘汰されていく前兆なのではないかと脅えていた。
極端な話、シーランは兄弟さえいれば良いからだ。ともすれば、そのために人間の三大欲である「物欲」「性欲」「食欲」を切り捨てても生きてゆけるという、高僧のような精神構造を持っている。ゆえに既婚者は稀だ。しても離婚率が高く、必然的にシーランから生まれる子供は少ない。いわゆる少子化。そこが問題で、実はシーランの人口減少はダイレクトに「人類滅亡」へのカウントダウンなのだ。
かつてアースリングがネオ・ゲノムにとって代わられたように、進化によってネオ・ゲノムはアドサピリアに、アドサピリアはシーランへと変化している。歴史は逆行することなく、アドサピリア同士の夫婦間にシーランが誕生することはあっても、シーランの間にアドサピリアは生まれない。この進化をたどればシーランによって人類は終焉の時を迎えるだろう。
シギルにも、もう兄を慕う心が芽生えている。博士にはそれがわかった。シーランでなくとも血のつながった兄弟がいると知らされれば動揺し、逢いたいと願うのが普通だ。シーランなら、なおさら切実であろうと。
「自分の運命がお兄さんの生活をおびやかすのではないかと、気に病んでいるのだね」
勝手に断定的な見解を示したが、はずれてはいない。少年の瞳の翳りが答えを導き出している。シーランであることの哀れを感じずにはいられない博士だったが、今は感傷にひたっている時ではないと、シギルの両肩を強く叩いた。
「君がたずねたくないと言うなら無理強いはしない。だが入隊は必ずするように。グラウコスは軍の最高峰。スカイフィールズから最も遠い場所だ」
少年はうなずき、博士に先導されるまま研究所から脱した。外は暗く、星の明かりが見えた。草の間からは虫の声が聞こえた。
「博士、元気で」
「ああ、おまえも。幸福を祈る」
短い挨拶のあと、少年は蒼いオーラに包まれて宙へ浮かんだ。遥か上空にまで高度を上げ、流れ星が去るように天を駆ける。
博士は夜空をまぶしそうに見上げた。
「シギル、おまえは素晴らしい。おまえに逢えて私はとても幸せだったよ」