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記部


「ええっまた午後は特別任務ですか」

「仕方ねえじゃねえか。お偉いさんの頼みだ。シャッキリ働いてこいよ」


 いつものようにガハガハと笑いながら、綺尚書は乱暴に羅刹の頭を撫でる。力が強すぎて、髪の毛が全部無くなりそうな撫で方だ。


「僕もたまにはお日様の光を浴びながら仕事がしたいよ」

 対する鵬侍郎はまたぼやいている。


「仮面をつけた宦官が迎えに来るそうだから。なんなの君、最近。これまでは異様に歴史好きアピールしてたけど、今度はお面にハマったの? お面教でも布教してるの? それも彼女の影響?」


 女の影ありと踏んでから、鵬のあたりが強くなっている気がする。 


「彼女じゃありません! 一回その話は忘れてください」

「どうだかなあ」


 羅刹は鵬の嫌味攻撃から逃げ、席につく。


 っていうか、お偉いさんて。結局雲嵐って、どういう出自の人間なのよ。皇族の印を持たされるほどの食客って、いったい何をしているんだか。


 第三者的にみる限りでは、仮面の変なやつという印象しかない。あの変人に皇帝に気に入られるほどのどんな特技があるのだろうか。



 そして午後。吏部の入り口にやってきた仮面の君を見て羅刹は絶句した。


「今日は大頭面じゃない……」


 提灯のごとく膨れたいつもの大頭面に代わり、見たことのないド派手な面を被っている。赤や黄、緑の原色を使ったやけに細長い木彫りの面だ。髪は頭上にまとめ上げ、一つに束ねている。


「あの、そのお面……」


「ああ、これか。これはな。南の島国のとある部族が、祭祀のときにつける面らしい。ほとんど裸に近い体に彫り物をした男どもが、腰蓑をつけ、この面をつけて激しく踊るそうだ」


「いや、そのお面の背景情報はどうでもいいです。私が疑問に思ったのは、なぜ大頭面からそれに切り替えたのかという部分で」


「ああ……それには深い事情があってな」


 雲嵐は顔を俯け、頭をかく。


「お前の家から帰った日、自分の部屋に着く頃には面の表面の絵の具がドロドロに溶けていた。加えて暗闇、部屋に灯る提灯の灯り。それに照らし出されたびしょ濡れの襦裙を着た大女。お前、それを目撃したとしたらどうする」


「叫びますね」


「そうだ。侍女に叫ばれた。そして横刀で叩き切られそうになった」


 あまりに間抜けな状況に、なんと返していいかわからない。しばしの沈黙の後、羅刹は口をひらく。


「そんな目にあっても、面をつけることはやめないんですね」


「俺の瞳は目立つからな。仮面は必須だ。今はどの形状がいいのか、模索している最中なのだ」


 瞳が翡翠色をしていることが、何か問題なのだろうか。瞳の色が変わっていることが問題なのであれば、それならば皇帝の側近である蔡華だって、青色の瞳を隠さねばならないはず、


「でもそのお面はちょっと……陽気が過ぎる気がするんですけど」


「そうか? でも濡れてもただれまい」


 その場で腰を振って踊ってみせる雲嵐を見て思わずため息をつく。

 この人、面の雰囲気に合わせて性格も変化してるのでは。大頭面の時に比べ、若干だがお調子者の雰囲気を纏っている。


 実にくだらない気づきを得つつ、回廊を進む雲嵐に続く羅刹だった。


◇◇ ◇


 太い上がり眉の片方を吊り上げ、不快そうにこちらを見る女官。痺れるほどに張り詰めた空気に、羅刹は緊張していた。

彤史(とうし)をしております、紅梅(こうばい)と申します」

「宦官の(らん)だ。こいつは羅王(らおう)。妃の不審死について調査をしている」

 紅梅の目は、雲嵐の腰に下がる佩玉(はいぎょく)を睨みつける。本物かどうかを見聞するような目つきだ。気持ちはわかる。こんなヘンテコな男が訪ねてきたら、最大限の警戒体制を持って迎え撃つだろう。


「お話は伺っております。調べたい内容について言っていただければ、こちらで書面にまとめてお渡ししますが」


 彼女の言葉に、羅刹はひっそりと肩を落とした。期待していた後宮の歴史記録には、直接触れることは難しいかもしれない。


 後宮の記部。それが雲嵐と羅刹が訪ねている部署の名前だ。皇帝のお渡りの記録、妃嬪の妊娠出産時の記録など、後宮で起こったあらゆる事柄を記録する部署である。そして記録をとるのが彤史(とうし)という役職で、女官の中でも特別優秀な人間しかなることができない。


 先日羅刹が依頼したことに応え、雲嵐は紅梅に会えるよう取り計らってくれたのだ。だが想像していたより拒否反応が強い。求めたことを全て受け入れてくれるわけではないらしい。


「それでは意味がない。直接記録を見せて欲しい」

「以前別の宦官の方がすでに見ておられます」


 食い下がる雲嵐を羅刹は見守る。今日は宦官役であるせいか、雲嵐が率先して話している。が、宦官らしい声の丸さを意識している様子はなく、いつもの通りの低音で喋っていた。「堂々としていれば、ああ、こういう奴もいるんだと思われる」戦法でやはりいくらしい。


「見落としがあるかもしれない」

「私どもの仕事を下に見ておられるのでしょうか?」

「そんなことを言っているのではない。我々は仕事で来ている。協力しろ」


 仮面の下の表情は見えないが、雲嵐が苛立っているのがわかる。

 彼の横顔を見ながら、羅刹は自分の顎をさする。


 この人、あまり交渉ごとに向いていないな。会話が下手すぎる。これまで人と付き合ってこなかったのか?


 箱入り娘ならぬ、箱入り息子だったのだろうか。このまま放っておけば、喧嘩に発展しそうな勢いである。

 羅刹は紅梅の表情を窺う。彼女の表情は訪ねてきた時から変わらない。射るように真っ直ぐに、こちらを見ている。


 頑なな態度の裏にあるのは仕事に対する誇りなのか。それとも宦官に対する偏見か。


「いくら大事なものを失っていても、男性であるお二人に記録を見られることが、妃嬪にとってどれほど許し難いことか、お分かりでしょうか」


 澄んだ瞳の女官の言葉に、羅刹は気づく。


 この人が守っているのは、自分の仕事ではない。妃の尊厳なのだ。

 記録の中には、閨ごとの詳細も書かれると聞く。それを宦官であるとはいえ男性に見られることに抵抗があるのだ。妃を思っているからこそ、彼女は雲嵐に歯向かっている。


「紅梅さん、こちらの態度をお詫びいたします」


 口を開きかけた雲嵐を手で制し、羅刹は前に出た。


「配慮の欠けた態度でした。ですが、私どもは、新たな犠牲者を出したくないのです。妃の皆様に、安心してお世継ぎを産んでいただくために、改めて後宮の悪霊について調べを進めています。事態の解決のために、どうしても記録の確認が必要なのです」


 紅梅は、唇を結び、おしだまる。

 彼女の表情の変化を見て、羅刹はわざと声を落とし、彼女にだけ聞こえるように言葉を紡ぐ。


「悪霊の仕業と信じ込まれていますが、実は人の手である可能性が出てきています」


 実際はこれからそれを見つけるところなのだが。方便というやつだ。


「私どもは犯人特定のため、この手で情報を集めたいのです」


 紅梅の表情に動揺が見てとれた。


「誰かが殺めた可能性があるというのですか?」


「はい」


 羅刹は真っ直ぐと彼女を見つめ、懇願するように言葉を紡ぐ。


「どうかご協力いただけませんか」


 紅梅の瞳に羅刹が映る。探るような眼差しを、そらさず受け止めた。


「……わかりました。ご覧になったことは、決して外には漏らさぬようお願いします」


「……! ありがとうございます、もちろんです」


 羅刹は拱手をし、頭を下げた。

 よかった、これで前に進む。そう思って顔を上げて驚いた。


 紅梅の鼻の頭は赤くなり、気の強そうな大きな瞳からは、涙が溢れ出ていたのだ。


「人の手で殺されたのであれば……姉の無念を、どうか晴らしてください」


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