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吏部

「おはようございます!」


「おお、柳羅刹か。今日も早いな。働き者だなあ、君は」


 眠そうな顔の(ほう)吏部侍郎(りぶじろう)が、机についたままこちらに顔だけ向けた。ぐぎぎ、と錆びた蝶番のような首の動きを見て、この感じはまた帰れていない、と羅刹は察した。部署を統括する尚書の副官である侍郎は、最も忙しい位だ。ゆえに泊まり込みが当たり前になっている。


 吏部の執務室には、やっつけるべき書類がうず高く積まれていた。これを確認し、不備があれば提出元に突き返ねばならない。


 腕まくりをした羅刹は、手近な書類に手をつける。入ってすぐの文机に乱雑に置いていく輩が多いので、下っ端の羅刹が仕分けをしなければならない。


「そういえば、君。彼女ができたらしいね」


 突然鵬に振られた話に、羅刹は仰天する。


「は!? 彼女ですか? いったい誰がそんなこと」


「進士の間で噂になってるみたいだよ。仕事を早上がりして、自宅に女を連れ込む姿を目撃したやつがいたみたいで」


 雲嵐のことか。羅刹は額をおさえ、天を仰いだ。あれだけ目立つ格好をしているのだから、人目に触れないはずはない。


「どうしても彼女の顔を他の男に見せたくなかったのかな。おかしなお面まで被らせて。しかも君よりかなり大柄というじゃないか。でかい女が好きだったのか君は。意外だなぁ」


 いつもぼやいてはいるが、今日は鵬の言葉の端々に棘を感じる。忙しい自分を置いて、仕事を放り出し、女に現を抜かすとは。そう言っているようだ。


「いえ、あの。それは仕事仲間で。そもそもあれは女では……」


「早朝出勤か! よく働くなぁ、羅刹」


 背後から聞こえた大きな声に振り向けば、腹に脂肪を蓄えた中年の男が立っていた。


「おはようございます、()尚書(しょうしょ)


 髭を蓄えた綺尚書は、げっそりした鵬とは対照的に溌剌としている。四十過ぎと聞いているが、肌もツヤツヤで、三十代の鵬よりも若々しくさえある。太っているせいか、皺も目立たない。


「働き者のお前に、ご褒美をやろう」


 褒美、という言葉に嫌な予感がした羅刹の顔が歪む。


「そら!」


 どん、と書類が追加される。小山を形成した明らかに種類の違う書類群に、思わず「げ」と声を出してしまった。


「頑張れば頑張るほど出世するぞー。がっはっはっ」


 そう言いながら羅刹の肩をバンバン叩いた尚書は、「ちょっと茶しばいてくる」と言って部屋から出ていってしまった。


「あの人はそんなに頑張ったのかね」


 尚書が遠ざかっていったのを確認し、虚な目の鵬がぼやく。


「ここだけの話。主上の人事は最適解と言えないと僕は思ってる。まあ、優秀な官はごっそりと辞めてしまったから、仕方がないのだけど。優先しなきゃいけないことを後回しにして歴史編纂事業なんか始めちゃうし……おっと」

「今の話どういうことですか」

「やめやめ、この話はやめだ。ああ、危ない。寝不足が祟ってとんでもないことを口にしてしまった。忘れておくれ」


 羅刹に話しかけているのかひとりごとなのかわからない調子でぶつぶつ言った鵬は、書類の方に向き直っていた。


「せめて東宮がしっかりしててくれれば……。あれも遊び呆けてばかりだからなあ……」


 鵬がそう言ってため息を吐くと同時、先輩官吏たちが続々と吏部の執務室に入ってきた。


 ◇ ◇ ◇


「へっぷし」


 絹のような黒髪を梳く女の手がぴたりと止まる。


「おやぁ? 感冒でございますか」

 部屋着を着た美しい髪の持ち主は、翡翠のような瞳を伏せたまま答えた。


「……雨に濡れた」


「それはそれは大変でございますね! そんな時は張家特製! 秘伝の感冒薬を!」

 

 大仰に驚いてみせつつ、どこからか薬袋を取り出したのは、濃い緑色の侍女服を着た女である。


「いらん。お前のところの薬は効くが値段が高い」

「ではこちらでいかがでしょう。なんと、感冒薬と強壮剤の同時購入で今なら二割引!」

「うるさいぞ麗玲(れいれい)。黙って仕事しろ」

「仕方ありませんね、翠の君が倒れては、我が商会も商売あがったりでございます。試供品の強壮剤だけ置いておきますので、お気に入り頂いたらご購入のご検討を……」


 しつこい。肩をすぼめ、苛立ちを抑えるように両手握り合わせて大きなため息をつく。


「わかった。置いてけ」


 ピン、と背筋を伸ばし、満面の笑みを浮かべた狐目の侍女は怪しげな薬びんをそそと置き、茶を淹れてくると言って出ていった。


 実家の利益優先、仕事と私生活は分けたいタイプで扱いやすいと思い、そば付きの侍女に選んだが。隙あらば商品を売り込んでこようとするのがいただけない。


「あ、翠の君、ご指示いただいた件ですが。今日中に手配が整いそうです」


 ふたたびにゅっと襖の間から現れた麗玲に、雲嵐はびくりとする。気配もなしに首だけ出すのはやめてほしい。


「そうか」

「いかがいたしますか?」


 雲嵐の頭に、好きなことしか眼中にない《《女》》官吏の顔が浮かぶ。

 呼び出せば嫌な顔をされそうだが、雲嵐には味方が少ない。彼女を使うほかなかった。


 それに。もし羅刹が《《血筋》》の者なら。きっと真実を見出してくれるはずだ。

 

「吏部尚書に柳羅刹を貸すよう言ってくれ。俺の名前を出していい」


 そう言って椅子に身を預けると、怪しげな薬瓶を一気飲みした。


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