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荒屋

 不気味な大頭面の大女が、紫水宮から飛び出る。

 近くにいた官女や侍女たちは、悲鳴をあげ、蜘蛛の子のように散っていく。


 やはりこの格好は目立ちすぎるな。が、仕方あるまい。


 雲嵐とてこの格好がまずいのはわかっている。だが素顔を衆目に晒せない理由があった。


「逃したか」


 明凛から話を聞いているとき、背後から不穏な視線を感じた。興味本位で覗き込む侍女たちとは明らかに違う、こちらを監視するような気配。

 すぐに反応して捕まえようとしたが、逃げ切られてしまった。女ものの服はやはり動きづらい。

 周囲に怪しいものがいないが伺うが、どちらかというと自分が怪しまれていた。


「うんら……雲母!」


 少年の声を思わせる涼やかな声が、自分の偽名を呼ぶ。薄鼠色の宦官服を着た連れが紫水宮から出てきていた。


「いったいどうしたんです」

「何者かが侍女に紛れていた。こちらの様子を伺っていたようだった」

「ええっ、なんでまた」

「それはまだわからん。捕まえようとしたが、逃げられた」

「そうですか……いったい誰が」


 見失ってしまった以上、ここで立ち往生したところでどうしようもない。

 羅刹もそう思ったのか、仕事の顔に切り替わっている。


「手持ちの品はあなたがいないうちに私の方で見てみましたけど。特に目立って変なものはありません。雲母も見ますか?」

「見よう」


 やや童顔な顔が曇る。何か言いたげだ。


「なんだ」

「あの、今周りに人がいないのは分かりますけど……喋るとき、もうちょっと女口調にできません?」

「俺が下手に女口調で喋ってみろ。その方が怪しい。堂々と喋っている方が、ああ、こいつはこういうやつなんだ、と受け入れられるだろう」

「……まあ確かにその低音で女言葉は、かなり気持ち悪いですけど」



 その後雲母も品を確認したが、特筆すべきものは見られなかった。



 ◇ ◇ ◇



 貴妃である芙蓉妃に続き、羅刹たちは淑妃、賢妃に仕えていた侍女頭の元も訪れた。どちらも皇帝の寵愛厚く、淑妃鈴凛(れいりん)、賢妃蘭花(らんか)とも姫を出産している。しかしその後、芙蓉妃に初めてのお渡りがあった頃には身罷られている。すでに亡くなってから時間が経過しているため、身辺の品については整理が済んでおり、ほとんど見られるものはないという。


 そしてどちらの侍女頭も同じ話をする。

「妃は悪霊に殺されたのだ」と。

 命の灯火が消えゆく有様もまた、芙蓉妃と同じだった。


 羅刹と雲嵐は外朝に戻ってきていた。

「聞いた話を整理したいですね。どこか部屋を借りれますか」

 あてもなく歩きながら、羅刹は雲嵐に問う。話が後宮ネタなだけに、大っぴらには話しづらい。また悪霊の話は外朝では表向き禁句でもある。これ以上悪霊怖さに後宮に入る娘が減っては困るということで、箝口令が敷かれているらしい。


「羅刹、お前は一人暮らしか」

「ええまあ。荒屋ですが皇城近くに一部屋借りています」

「では話が早い。お前の家へ向かう。そこで話をしよう」

「は? 何をおっしゃってるんですか! この間私を放り込んだ部屋があったじゃないですか。あそこはダメなんですか?」


 この緑の襦裙の大女(不気味な面つき)を家に連れ帰りでもしたら、とんでもない噂が立つのは目に見えている。


「志部に入りたくはないのか」

「っくぅぅ! 粗茶しか出せませんからね!」


 脅しだ。なんてひどい脅しなんだ。人の夢を逆手にとって!


 そう抗議したいのは山々だったが、それで話が立ち消えになっても困るので、泣く泣く羅刹は雲嵐の意見をのむ。西の白虎門を抜けて歩き出したところで、背後の雲嵐に呼び止められた。


「こちらは西側だぞ」

「知ってますよ」


 悠長に歩いていると置いていきますよ、と言いながらずんずん歩いていく。

 華やかな街並みが背後に過ぎ去り、うらぶれた寂しい通りに入ったところ。崩れかけた門扉の前で羅刹は立ち止まった。


「この坊の一番奥にあるのが私の家です」


 坊というのはいくつかの民家がまとまった、防壁で囲まれた一区画のことを言う。羅刹が指差した先、ほとんど幽霊屋敷と言っていい家を見て、雲嵐が息をのんだのが聞こえた。


「……本当に荒屋だな」


 よく通る美声の低音でそう言われると腹が立つが、見目の珍妙さに相殺されて怒る気になれない。羅刹は自宅の中に雲嵐を手招きすると、綿が潰れて薄くなった座布団を差し出した。大きな体を器用に折りたたむと、襦裙のままどっかりとあぐらをかく雲嵐の前に、羅刹は自分も座布団を敷いて座る。


「官は皆東側に住んでいるものだと思っていた」


 官吏たちが働く外朝、そして皇族の住まいや後宮のある内朝。その二つを合わせて皇城と呼ばれている。ほとんどの官吏は皇城の正門から伸びる朱雀大路の東側の地域に住んでいる。対して西側は、庶民の住む場所だ。


「仕方ないではないですか。進士のお給金は安くはありませんが、まだ初年度ですし」

「だが状元とあらば支度金がしっかり出ただろう」

「私の場合家とも縁が切れているので、お金は大切にしておきたいんです」

「縁が切れているとは、養い親とか」

「ええ。私の正体が万が一バレても、家に被害が及ばないようにと、戸籍から外れるというのが科挙受験の条件でした」


 大頭面がこちらに向けて迫ってくる。雲嵐が前傾姿勢になったからだ。怖いのでできればもう少し離れてほしい。


「寂しくはないのか」

「寂しくはないかですって?」

「養い親と言っても育ての親だろう」

「ああ、親っていう感じじゃないんですよね。働き手としての養子縁組ですから、親子というよりほぼ奴隷と主人の関係です。暴力とかは無かったので、その点は良かったですが」

「……お前も辛い思いをしたのだな」

「辛い? うーん、辛かったのかなあ。史書の世界に浸かれる時間があるだけで幸せだし、史書編纂事業のことを知ってからは、ずっと科挙に受かって史書を書くことしか頭に無かったですし」

「……そうか」


 雲嵐は両腕を組み、張り子の面のまま俯いた。不気味に笑う女の顔が前方に傾ぐ。

 なんだか腹を抱えて大笑いしているような格好になっている。が、中の本人は何か思案している最中なのだろう。とりあえずしばらく放っておくことにした。


 膝をたて、羅刹は立ち上がると、茶を入れるため竈門かまどに火を入れに行った。水瓶から鍋に水を入れ、湯を沸かす。

 ぼーっとしながら鍋から湯気が上がるのを待っていると、板の間の方ですごい音がした。振り返ってみると雲嵐が腕を組んだまま真横に倒れている。


「嘘っ! ど、どうしたんですか!」


 慌てて土間から板の前へと駆け上がり、羅刹は雲嵐の脈を確認した。


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